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「じゃあ、そのフィリスって子が全滅させちゃったってこと?」
「そういうことですね。完全に先回りされてました」
その辺りは流石に警察機構の人間だと感嘆せざるを得ない。昨夜話した時点で、完全に思考能力だけであの場所を予測できていたらしいから、下手な探偵よりも驚異的だ。
そもそもインターポールの仕事はそういう類のものではないのだが。
「その魔術師を追っているのは、完全にフィリスの独断専行なのか。ふうん……」
猫子は真剣な表情で何かを考え出した。
昨日の帰り際にもらった資料を提出して、すぐにこの話題になったわけだけれど、しばらくは終わりそうにない様子だった。
「この場合、課題ってどういう扱いになるんでしょうね」
「ん? んー……そうだね。じゃあ、フィリスちゃんを手伝ってあげて。それで今回の件の代替にするから」
「あ、やっぱりそうなるんだな……」
予想は出来ていた。課題のクリアが出来なかったのだから当たり前とはいえ、厄介なことになりそうな予感はずっとしていたからだ。
敷石のやる気がどうであれ、周囲がそういう方向に動いているのなら、彼は流されるだけだった。この状況でフィリスにノーと言えるほど、敷石も鬼ではない。
鬼と同化してはいても。
「まあ、死なないようにね。遊維ちゃんとか悲しませちゃ駄目だよ」
「解ってますよ。遊維には言わないで欲しいんですけど、この件」
「言わずとも筒抜けでしょ」
猫子が敷石の右肩辺りを指した。
「後ろで全部聞いてるんだから」
「…………………………………………」
振り返れば、遊維が不機嫌そうに敷石を睨みつけていた。不機嫌というより激怒しているように見えるのは気のせいではないだろう。
「全部?」
「うん。もうついてくるなとは言わせないよ」
敷石にしても遊維の頑なさは痛いほどに解っている。それが原因でトラブルに巻き込まれたことが何度もあるからなのだが、遊維はそこをあまり自覚していない。
「駄目だって言うなら弧閑凪くんについていってもらうから」
「やめてくれ。あいつと行動すると死にそうになる」
弧閑凪陸囲(こがなぎ・くがい)。敷石との相性が抜群に悪いクラスの生活委員だった。
「全く、意地の悪い奴だ」
「八重ねーさんにも話すんでしょ? 何かアドバイスもらえるかな」
「一般の呪術師に何を話せるんだよ」
よく判らなかったが、詳しい事情などフィリスが説明するだろうから、八重子に言えることがあるとは思えない。少なくとも敷石には、姉は何も口出ししないのだ。
よほどの危険が迫っているわけでもない限りは。
「宗谷先生、どうでしょうか」
「別にいいんじゃない? 修行にもなるだろうから」
修行、ね。と敷石は面倒そうに呟いた。もう止めることは不可能になり、色々とどうでも良くなっていた。
敷石が家に戻ると、フィリスが出迎えてきた。姉はまだ帰ってきていないようだけれど、どうやって這入ってきたのか。
「敷石くんが出た直後に入れてもらったよ。事情は後で話すって言っておいたけれど、いつ戻るのかな」
「姉貴はいつも七時頃帰ってくるよ。もう少し待っていてくれ」
「りょーかーい」
ぱたぱたと走って居間に戻っていった。仕種がどことなく幼い。敷石の隣でその様子を見ていた遊維が訝るレベルだった。
「あの子、本当にインターポールの人なの? わたしより若く見えるけれど」
「まあ、人は見かけに依らないから……」
能力的には本物だと判っていた。あの時の炎の嵐を全くのノーダメージでやり過ごしたのは、どういう理由なのかよく判らないけれど。
敷石には、彼女が信頼に値するかはとうに判断できている。
「たったかたー」
「てとてとてー」
「………………………………」
フィリスと遊維の二人の内面に同種の何かを感じていた。
「偶然だよなあ、多分」
二人に遅れて居間に這入れば、フィリスはテーブルの上にノートPCを広げて何やら作業をしていたようだった。
「これ何?」
「んー? 言えないよ。機密って訳じゃないけど、公表できない」
なら訊かないけれど、と鞄を置いて座る。見れば、遊維が台所に歩いていった。
敷石は近くにある戸棚の中から、取り置きの菓子を出して放り投げる。フィリスはキーボードを叩きながら、それを器用に口で受け止めた。
「かふぁい」
「落雁だったか、それ」適当に選ぶものではないというか、ごちゃ混ぜだったのでは判別のしようが無かった。敷石と遊維の分には饅頭と羊羹を出して、湯呑みを持って戻ってきた遊維といつものようにゆったりと過ごす。
瑠璃堂高校は週末にしか課題を出さないので、平日に何をするのかは割と自由だ。だからといって敷石も遊維も何もしていないわけではないけれど、それでも目指すもの違えば、やるべきことは違ってくる。
「しーちゃん、あれやろ」
「あれって、なんだ」
「殺し合い」
聞いていたフィリスが「ぼふっ!」と緑茶を噴き出した。
「……組手を殺し合いって言うな、誤解される」
「でも、いつも死にかけるでしょ」
「お前がな。俺はいつも余裕だっつの」
「うわーむかつくー」
鬼源装保持者の戦闘能力が抜けているのはすでに知られていることだ。鬼の力を封じた武器は、世界に二百ほど存在しているが、それらは全て日本で製作されたものだった。
「しーちゃん、どんどん強くなるよね。最初は同じくらいだったのに」
遊維はつまらなさそうに、そして哀しそうに口を尖らせる。
「でも、鬼の力は命を喰うからな。あと何年生きられるかは俺にも判らないんだよ」
「そんなの捨てちゃえばいいのに」
暴論。敷石は緩く首を振った。
「契約と呪詛は戻ってくるものだよ。解っているだろう、お前も呪術師なんだから」
そうだけどねー、と遊維はむにむにしている。
「今日は組手はしないよ。いろいろ面倒そうだ」
「むにゃー」
遊維が唸ると同時に、フィリスがPCを閉じた。
「ぼーりぼーり」
落雁を噛み砕いて呑み込むと、湯呑みに口をつけた。それから脇に置いている鞄から小さなPCめいたデバイスを取り出す。
「今度は何をするの?」
「んー。暇だから小説でも書こうかなって。知ってる? ワープロ」
日本ではほとんど廃れてしまっているものが、海外にはまだあるようだった。
「おー、いい感じにできたねー」
午後六時三十分。遊維が先頭に立って台所で夕食を作り終えていた。流石に幼少期から作り続けていれば相応の腕前にはなるのだなあ、と感心する敷石の後ろから、フィリスも珍しそうに眺めていた。
それを居間に運ぶと、その間に鍵を外す音が聞こえる。
「あ、ねーさんだ」
「ただいま。しーちゃんは今日は元気そうだね」
「そうか? よく判らないけど」
「まあ、それはいいや。遊維ちゃん、毎回世話になるねえ」
「好きでやってることだから、気にしないでね」
志木島八重子はフレームレスの眼鏡を外して、上着のポケットに乱雑に突っ込む。姉弟でそんなところばかり似ている気がするのは、敷石の錯覚ではないだろう。
「はい、しーちゃん。これ、冷蔵庫」
手渡されたバッグの中身を敷石が確かめている内に、八重子は階段を上って自分の部屋に向かう。
「ん、バッグの底にスコッチの瓶が入ってるけど」
「お酒? ねーさんはあまり呑まないよね」
首を捻っていると、フィリスが小さく手を挙げた。
「ごめん。今朝、ボクの好物だって言ったんだ。気を利かせてくれたみたいだね」
本当に見かけじゃ判断できないな、と敷石は少し驚いていた。自分より三歳は下に見える少女が酒類を好むというのは、どうにも不思議だ。
遊維も意外そうに彼女を見ている。
先に驚きから戻ってきたのは敷石だった。とりあえず渡されたものを収納しようと歩いていく。
「けふっ。ちょっと多くないかな」
真っ先に音を上げたのはフィリスだった。用意された食事を三割ほど残して満腹を訴えるその姿を敷石は妙に感じた。
「そうか? 俺にはまだ足りない感じだけど」
「しーちゃん、最近必要量多くなってない?」
正反対の在りように遊維も八重子も引き気味だった。
というか、遊維はあらかじめフィリスの分は少なめにしていたはずなのだが、それでも多いとは、随分と胃の容積が小さいのだなと思っていた。そいでいて、反対にかなり多めに用意していた敷石が少ないと言い出すのは完全に予想外だった。
「やっぱり鬼源装の遣い手は違うなあ」
「物の怪を見る目になってんぞ、遊維」
「ある種化け物でしょうに」
「言い切りやがったな、お前」
三年前にも言ったけどね、と何故か遊維は威張りながら宣言した。敷石には意味が解らない。
苦笑しながらも適正量を食べきった八重子は丁寧に両手を合わせる。それに敷石と遊維が続いて、最後にフィリスがよく解らないという風に真似をする。
「ご馳走様でした」
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