1「ヒートブラッド」

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○ 「はいどうぞ」 「どうもー」  グラスに注いだウィスキーを同時に口に含む。  八重子とフィリスは居間ではなく八重子の部屋で話をしようとどちらからでもなく提案していた。  現在、敷石と遊維は街中を走り込みで廻っている。二人の体力で何周保つのかは判らないけれど、いつものように敷石が圧倒的なのは解っていたことだった。 「君が追っている魔術師って、どういうひと?」 「どういう、か。正直、よく解らないよ。ボクが彼を追い始めたのは既に『成り果てた』後のことだし、そもそも魔術師の総本山である『魔纏牢(デモニック・ケイジ)』には情報がなかったから」  ふうん? と八重子は息をつく。 「情報がないのは人為的なものかな。でも、消したのなら消した記録が残るはずだけど」  そもそも人間なのか、という疑問もあった。 「日本には『夜天泉(ナイト・ディーラー)』という呪術師がいたとされているんだ。でも、その記録はどこの情報を見ても存在しない。この国で最古の図書館である「萌芽院」にも、最大の「オモイカネ」にも記述はない」 「英語名が付けられているのなら、それほど古い話でもないんだよね」 「うん。噂が流れ始めたのは、おおよそ二千年前。二十七回目の大戦争時代だ」  その頃にはとっくに電子情報は機能しているし、記録に残らないはずがない。ならば、 「そもそも記録に残らない存在だった……?」 「そうかもね、例えば「呪影」が意志を持っていた、とか」  呪影(くらやみ)が? 首を捻るフィリスは、疑問以上にやり場のない怒りを内包した表情を見せている。 「どうやって?」 「んー。そこまでは判らないな、そんな実験は普通出来ないからね」  不定形かつ意志を持たず、そして普段から気体として存在している呪影を一塊にするには相応の設備が必要になる。そして、その設備で実験したとしても、確実に死人が出る危険な領域だ、手を出す者は居ないだろう。 「噂だけで実体がないから、「ジョン・ドゥ」と呼ばれているってこと? ボクにはそういう予測しか出来ないけど」  その魔術師が現れた後に付けられた現象の名前。完全なる正体不明はかつて現れた土地の頭文字を取って「リーファイ」と呼ばれている。 『リーファイ=ジョンドゥ』  名前だけが残っている、稀有な存在は、しかし凶悪な意志を持って世界中の人々を喰って廻っているのだ。  ただ。 「かつて一度だけ、その現象が一人の人間に負けそうになったことはあるよ。日本での記録だから、それだけは調べられた。その人間が「血液を燃焼させる」呪術の遣い手だったらしいけれど、その直後にはリーファイによる被害規模はひどく小さくなっていたらしい。私にはどういうことかは判らないけれど」 「そっか、そういう戦い方が……」  仮説ばかりで、情報の全てが煙に巻かれるように曖昧だった。そんなものを追いかけて、フィリスは何をしたいのか、肝心なところを彼女は話していない。  話したくないのなら、八重子には訊く気はないけれど。 「そういえば、しーちゃんに聞いたけど。君、修羅焔を手に取っても何も起こらなかったって?」 「ん? うん。単に異能で「直接触らなかった」だけだよ」 「異能?」 「これ自体はそういう使い道しかないんだけどね。ボクが敷石くんの炎を防げたのも同じ理由」  なるほど、と八重子は頷いた。触れられない、触れない異能。しかし決して常軌を逸した力ではなく。 「防御特化の異能は珍しくないけれど」 「防御って感じじゃないけどね。生き残った時も―――」  口をつぐむ。しかしそれだけで八重子には解ってしまっていた。 (なるほど、この人が動く理由は怨恨か。魔術師に何かをされたんだろうとは思っていたけれど) 「……敷石を選んだ理由は、どうしてなんだろうね」  あえて掘り下げなかった。別の話をして、意識を逸らす。 「焔の力を持つ人が良かった。過去の例に倣えるかも知れない。若しくは超えていくかも知れない。それが」 「遊維ちゃんがついていくのは反対かな?」 「ちょっと、誤算かな」 「あの子も同じだよ。敷石とは違う形で、焔を操る。君にすれば、どちらでも一緒だって思わなかった?」  霊能『死儀焔義(ネクロフレイム)』、呪術霊装『紅璧爆塵』。  命を燃やす霊能は、彼女の本質をよく表している。あの子の献身的な態度は、八重子だけでなく、生前の両親でさえ舌を巻くほどだったのだから。 「どちらも適格だよ。むしろ、あの二人じゃなければならないだろう」  贔屓目もあるけどね、と八重子は笑い。もう一口酒を含む。 「あの二人はどういう関係なのかな」 「どういう意味?」 「うーん、なんというか既に結婚している風な雰囲気出してるから」 「恋人のステップなんかとっくのとうに越えてるからなあ。そりゃあ、あんな性格ならああいう『ベタついた』関係にもなるだろうけど」  共依存とも違う気もするなあ。そう呟いた八重子の目はやや据わっている。グラス一杯のウィスキー(水割り)で彼女には限度量を超えているのだろうか。  反対にフィリスはストレートで三杯目に行っている。年の功というより身体機能の違いでしかない。 …… 「遅いぞ、遊維」 「いや、……しーちゃんが速い、だけだよ」  息を切らしながら走ってくる遊維を敷石はステップしながら待っている。およそ六キロは走った辺りで二人の体力の差が出始めていたが、十キロを超えると明確だ。 「持久力ないなあ、アスリートに負けるなよ」 「しーちゃんの鍛え方がおかしいんだよ! ……うぷす」 「待て、吐くなよ?」  しばらく動きを止めた遊維をじっと見ていると、彼女は顔色を変えながら吐き気をこらえ、一分経ってから落ち着いたように息をついた。 「少し休むか。……まったく、俺はあと二十キロは余裕なんだけどな」  出来るにもかかわらずそれをせず、遊維に合わせる辺りは昔からの癖だった。  近くの自販機でスポーツドリンクを購入して、その場で封を切る。 「……ぷは。ねえ、しーちゃん。どこまで鍛えれば気が済むの、きみ」 「どこまで? そうだな……神殺しが出来るくらいかな」  実際は神よりも地獄の王の方が強いのだけれど、と面白そうに付け足すが、笑えるような冗談だとは遊維には思えなかった。 「東京に閻魔王の末裔が居るらしい。一度斬り合ってみたいな」  閻魔王? と訝る遊維はそういう情報には疎いのだろう。 「以前は「黒神家」の血筋だったらしいが、当代からは全く別の「千家」に権利が移っているらしい。そういう移り変わりは面白いんだけどさ」  飲みきったボトルをゴミ箱に放り込んで、遊維が回復するのを待ってみる。彼女は不可解そうに首を捻っているが、それが何に由来するのかは、敷石には推し量れない。  そもそも、鬼と同化した時点で「共感性」と「感受性」を失っている彼には、表に出ない相手の感情は全く読み取れない。  精神的にリンクしている「鬼」の精神が直接流れ込んでくること以外は、何も判らないのだ。 「ん?」  遊維が視線をどこかに投げている。上の方。  その視線を追うように自らの視線を滑らせていくと、月が昇っている。その像が雲に遮られてぼやけたり鮮明になったり。  それだけでなく。  光そのものが、喰われているように翳るのが見える。  瞬間、敷石は背負っている竹刀袋から刀を取り出す。何度も繰り返して慣れきってしまった動作は人の眼には一瞬で刀を抜いたように見えるだろう。  数キロの重さがある金属の塊を抜くのには相応の修練は必要だ。  刀を抜き放ったと同時に、敷石は跳び上がる。鬼の力を借りて身体能力を底上げし、一階の跳躍で十メーターは上昇した。  真上に跳び上がった敷石は、背後の建物の壁を蹴ってさらに高く跳躍し、空中を浮遊している黒い靄の塊に突っ込んでいく。 「修羅焔刃」  口にすると同時に刀の黒い刀身が燃え上がる。修羅焔は焔を放出しそれを操るだけの単純な能力しか持たないが、それだけで敷石には充分だった。  赤く燃える刃が下から上に振り切られ、赤い閃光が漂っている呪影を両断する。  その断面から燃え上がり呪影はゆっくりと燃え尽きていく。それを確かめる前に、敷石の身体は落下し始めていた。  放物線を描いていた体躯が近くのビルの屋上に向かって落ちていくのを下から眺めていた遊維は、あわててその姿を追いかける。  やや大きな建物はマンションのようだった。落下の勢いを着地したコンクリートの地面で殺しながら四メーターほど滑って動きを止める。 「ふう」  瞳孔の裂けた左眼に灯る光が消えて、敷石は血振りをするように刀を振り下ろしてから鞘に収めた。  刀を抜くと、左眼に軽い痛みが走る。それを無視して戦うのだが、今回はいつにも増して強く痛んだ。鬼の怨嗟が敷石を突き動かす。今までにはなかった、あり得ない挙動なのだが。 「まだまだだな、俺も」  精神の安定をもっと求めなくては、そう思う。  彼より強いレベルで影響を受けにくい精神性を持つのは、学校には同じクラスの霊刀使いしかいない。彼は鬼を扱いこそしないが、それを呑み込む適性は高いはずだった。  鬼に身体を明け渡すのを嫌って夜陽黒焔を操っているのは、弱いからではないだろう。 「追いついたーっ!」  背後から衝撃を受けて僅かによろめく。遊維がマンションの屋上まで追ってきたようだった。 「ぜー、ぜー、」 「疲れてるのに無茶をするなあ。下で待っていて良かったのに」 「そういう訳にもいかないよ。まだ、嫌な気配が消えてない」 「……何?」  辺りに視線をさ迷わせる。見える範囲で確認しただけでも十二体、真っ黒な体躯を揺らす不定形の呪影が屹立している。 「なるほど、一人で対処するには難しい数だな」 「そういうことだね」  すっと遊維が敷石から手を放し、代わりに背中を合わせる形で構えを取る。 「命を燃やして立ち向かう。わたしの流儀だよ」 「どっちが早死にするんだか判らないな。だが、それでも戦わなきゃな―――さ、征こうか修羅焔。手加減不要の相手だ」  もう一度刀を抜いた敷石と。全身に薄く、両腕に強く焔を纏う遊維が動き出すと同時に、呪影の集団も動きを見せる。知能などない呪影にチーム戦術などあるはずもなく、ただ人間を食い切ろうと飛び回るだけだった。 「修羅焔昇!」 「ブレイズゲイザー!」  赤い焔、朱色の焔が夜空に映える。 ◇  ひそひそと、誰かが話している。  その声はどこにも響かず消えている。  しかし、消えゆく音だけが残すものは、情報や意味だけでなく、その音を聴いたものに残る揺らぎもまた、人の内部という空間に残響する。  それはまるで波紋のよう。どこかで反射した波はまたどこかで反射して誰かの内部で増幅する。  揺らぎはいつしか空間全体を覆う細波へと変化していき、いつの間にか止めようがなくなってしまう。  反転した波のエントロピーが行き着く先は、水底か、それとも。  かつて見た夢を思い出して、目を覚ました。  周囲は暗く、光もなく、今は何時なのか、判別することもできない。自らが保有する秒針が何億もの刹那を呑み込んでいくのを知覚しながら、右手を開いた。 「……カロアルクス」  電子音めいた音声に辟易しながらも、灯る光に眼を細めた。  そこに浮かんでいる無数の人間の残滓が、一つ一つ命を保って代謝を繰り返していた。中央に浮かんでいる脳をもしたデバイスを起動しつつ、その残り時間を確認する。278D00。  そこまでの時間を計算し尽くして、ようやく。 「 も  も要らぬ世界を、  までに、準備を」  途切れている声が何を紡いだのかは判らない。目指すもの、目的。それは、いつか見たものを繰り返すことに近い。  遠い昔、協会の最上部「魔纏牢」で問われたことを思い出す。 『何を為したい、空虚な器よ』  何と、応えただろう。  夢幻の暗闇のなか、幾千年繰り返した問いにも意味は無い。  ただ生きていることを否定されることほど愚かなこともない。  ならば、照明して見せろと、どこかで誰かが言っていた。 「……空虚、を」 『ふざけるな』  どこかで聴いたような声が聞こえた気がした。 ……  血液が沸騰するような感覚が全身を走った。その熱と衝動に動かされるように刀を真横に振り切った。  断ち斬った呪影が爆散するのを確認してから、大きく跳び上がって屋上の中央に戻る。  呪影を全て消し去ったのを確認してから刀を収めると、敷石の視界がぐらりと揺らいだ。目眩など今まで無かったが、これも反動なのかと驚いていると、遊維が目の前に出てくる。 「大丈夫? 具合悪そうだよ」 「ん、平気。急に鬼が騒ぎ出しただけだ」  遊維は首を傾げた。よく解らないようだけれど、すぐに切り替えて帰ろうと促してくる。  それに従って歩き出す頃には、目眩はすっかり消え去っていた。  夢の奥で話していた。 「急にどうしたんだ、修羅焔」  白い地面に立つ背の低い少年の姿をした鬼に話しかける。  額から真っ赤な二本の角を生やした鬼は、剣呑な声で「ああ、少しね」と言い出した。 「懐かしい匂いを感じてさ、なんだか気分が悪い」 「八つ当たりで俺に変な感情ぶつけるなよ」 「なんだ変な感情って。劣情か」 「やめろ、嫌な冗談を」  修羅焔は呆れたように息をつく。 「シキ、君って無感情っぽい見た目なのに案外感情は剥き出しだよね」 「無感情だったらなんか得なのか」  さあね、ととぼけてみせる鬼に敷石は困った顔で溜息を吐いた。どうにも意思疎通が難しいことには辟易していたが、今回のはとりつく島もないといった感じか。  鬼に取り付いてどうするんだ、自分が取り憑かれている側だろうと首を振ってみる。そんな感情もリンクしている修羅焔には筒抜けだが。 「空を見てみなよ」 「空?」  言われるままに見上げてみる。そこにはいつもの赤い色に染まった空ではなく、夜闇を貼り付けたような単色の黒がそこにある。 「なんか気分悪い」  修羅焔は同じ台詞を繰り返す。鬼の力と馴染まない何かが心の中に巣くっているような感覚が、心臓にわだかまる。 「どうすればいい。あれを」 「斬って。斬呪でいけるから」  修羅焔が自分の鳩尾から黒い刀を引きずり出し、抜き身のまま敷石に投げて寄越す。それを右手で受け取ってくるりと回す。 「……ふむ」  見上げても空は空でしかなく、距離の測れない目標なのだが、彼ができるというなら、可能なのだろうと楽観的に構える。  右手に持った刀を下段、正確には反転した脇構えに動かし、ぴたりと止める。 「斬呪・焔断!」  構えた右腕を上方向に跳ね上げる。通常ならそんなことで動かない空の黒は、赤い閃光に断ち斬られて崩れ始める。 「おお、本当に斬れた」 「まあ、呪影の欠片だからね、あれ」  呪影は大気に存在するので、全ての人間がある程度体内に持っている要素なのだが、物質的にはあまり影響はしないので、治療の必要は基本的に無いのだけれど。 「鬼は呪影を喰える。鬼と同化した君も同様にね」  修羅焔は崩れて粒子状になった呪影をその手にかき集める。右腕をかざして吸い寄せているのだ。  数分して小さな球状になった呪影をばくりと呑み込み、しばらくして息を吐いた。  同時に、敷石の体内に異物の入り込んだ感覚が鳩尾の辺りに渦巻くが、それはすぐに消えていった。しかしどれだけ短い時間であっても不快なことに変わりはない。 「で?」 「うん。ちょっと厄介な相手だね。今の僕には何もできないけれど、それくらいは判る」 「そうか」 「おはよう」 「…………?」  目を覚ました敷石の目の前にフィリスの姿が映る。 「勝手に人の部屋に這入らないで欲しいんだけれど」 「八重子ちゃんに許可もらってるから」 「なんてことを」  起き上がって、眠気の纏わる頭を振った。寝起きが悪い方ではなかったけれど、鬼の力を使うと一時的に体調が悪くなるのはいつものことだった。 「腹減ったな」 「昨日あれだけ食べておいて……」 「身体の造りだろうな。そういうものだろ」  フィリスは肩を竦めた。呆れているようでもないが。 「とりあえずさ」と彼女は自然に口にする。「今日から学校休みね」 「まあ、そうなるだろうな」  公欠扱いになるのだろうか? そんな疑問もあったけれど、今は目の前のことをこなすしかない。これも目標に向かうプロセスだと割り切る必要があった。 「不思議な縁もあったものだ」  その言葉に、何故か修羅焔が反応した気がした。
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