2「無くなった光」

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2「無くなった光」

「かぅぅ」 「相変わらず変な欠伸だな」  街中を歩きながら敷石と遊維は周囲を警戒する。何も朝から出てくる敵など居やしないが、「呪影」に関して言えばそういうこともない。 「いいじゃん、こんなの個性だよ」  眠気ないなったー、と暢気に言えている辺り、遊維にはあまり危機感が無いように見える。しかし長い時間敷石と居るなら、そのことに対して鈍感なはずがないのだ。 「で、こっちなのか?」 「うん、商店街の方から暗い感じがある」  闇雲に呪影を探して斬り捨てる。それが最初にフィリスから受けた指示だった。フィリスは敷石の持つ鬼源装に興味を持ったらしく、ついてこようとしたけれど、敷石は三人で移動するのは目立つという理由で拒絶した。  そこに別の理由があったのかは判らないけれど。  敷石は何故か自分の感情に対してさえ鈍感なのだ。 「しーちゃんとフィリスさんってどっちが強いの?」 「あ? ええと」  唐突に尋ねられ、すぐには答えられなかった。 「身体能力なら、多分俺の方が上だと思う。ただ、フィリスには焔が通じないような能力があるようだから、撃ち合いには勝てないかな」 「焔が通じない?」 「異能なのかな。消去系とは違う気もするけれど」  よく解らないと呟いて、刀に手を置いた。  敷石の左眼が光る。赤色に染まる視界の奥で、揺らめく黒を見つけた。呪影の初期段階、「黒い靄」の判断は、呪術師でさえも難しいが。 「鬼の目にはしっかり映るんだよな」  ゆっくりと歩きながら、刀を抜く。逆手に持った刃を靄に突き刺すと、実体の薄い靄から「ざくり」と音が鳴った。  動きを止めた靄が煙を上げて燃え尽きるのを見てから、次へ行こうと促した。ちりちりと痛む左眼には、構うことはなかったが、それで無理をされては遊維も困るので、あえてゆっくりと移動しているのだった。 「闇雲に、ね。フィリスさんの言い方も変だったけれど、事実、闇雲だものねえ」 「妙な洒落を言うと思っていたけれど」  そのままだったのだろうか。  まあいいかとそこを考えることはせず、市街地を見回す。 「しかしなあ。これからのことを考えるなら九鬼にも助力を頼んだ方が良いんじゃないのか」 「徒場良くんに? あの人、クラスの中心だし自由には動けないんじゃないかな」 「室長なんて肩書き、ただの飾りだろ」 「そうだろうけどね……」  瑠璃堂高校の呪術師養成校という特殊な学校でも、生徒の自由をある程度制限する性質を持つのはどこの学校でも変わりはしないだろう。  敷石自身は、瑠璃高は緩い方だとは思っているけれど。 「彼の持つ「灰刃」は最高ランクの鬼だからね。黒鬼だっけ」 「ああ。黒が一番強い。次に三原色がくるけれど、差はやはりあるよ」  敷石と契約している修羅焔はその三原色を冠する「赤鬼」なのだが、入学の際のテストマッチでは三戦全敗だった。  その時は諦めに似た感情があったけれど、今はわりあいどうでもよくなっている。 「よっ」  きん。と鍔が鳴る。その音に遊維が驚いたように瞠目するが、その動きを捉えていたわけではなさそうだった。 「今のは?」 「うん、今は抜刀術を練習してるんだ。この速度だと鬼の力が必要になるけど、これでも「閃光」には劣るかな」  敷石と同じ鬼源装保持者、そして彼が目指す途の先に居るその人が、光速の剣士という渾名、つまり閃光と呼ばれているのだが。彼がそこを手本にすることが、遊維にはよく解らなかった。 「わたしはその人を見たことないけど。強いんだよね」 「大抵の異能者よりはよほどだね。鬼刀「白光鵬」はレアリティも高いし、剣士として目標にはしてるよ」  模倣はしないけどな、と付け足して。もう一度抜刀する。  その剣閃が遊維には見えなかった。 (焔系の術師なのに、方向性が全然違うんだなあ)  感心する視線に、敷石は照れくさそうに顔を背ける。  その視線が向かった先に、何かを見つけた気がした。 「…………?」  人混みの中で蹲っている子供。商店街で子供を見かけることは珍しくもないけれど、その子供に視線を向ける人間が敷石と遊維以外に居ないことが不自然だった。 「遊維」 「……うん、見えてる」 「俺の眼じゃ判別できないんだが、どう思う?」 「呪影とは違うと思うけど、鬼やあやかしの類でもないね」  熱を感知できるから、と遊維は言う。陰属性の生物には体温が低いのが特徴なので、温度があるのなら必然、そうではないと言えるのだけれど。 「不穏だね……どうする? しーちゃんの判断に任せるけど」 「うーん。フィリスの目標に繋がるかは判らないが、放っておくのも禍根を残しそうなんだよな」  わかるわー、と遊維は笑う。 「ねえ、大丈夫?」  遊維が蹲る子供の肩に手を置く。虚ろな眼で居るのかと思っていたが、実際には何かを堪えるように細かく震えていた。  その肩がびくりと跳ね、光の無い目が遊維を捉える。 (……あれ。こいつ、どこかで見たような気が)  後ろで見ている敷石がそんなことを思うけれど、それがどういう意味なのかは自分でもよく解らない。感覚に対して答えを出せないのは性質だが、思い出せないのは異常だ。 「う、あ」  呻く子供の口が開く。そこに潜む何かを見つけられた遊維は、相当に目敏い術師だった。 「しーちゃん。この子、蟲児だ」 「寄生虫に憑依された人間か。言葉も発せないとなると重症だな」  しかし、それでは人間に認識されない理由は説明できないが。  放っておく訳にもいくまいと遊維は彼を抱え上げる。彼女は普通の腕力しかないが、それでも持ち上げられるほどに、子供は内部を喰われているらしい。 「どこに行くんだ、病院じゃ治療できないだろう」 「学校に行くに決まってるでしょ。宗谷先生に相談しなくちゃ」  問題の本筋からは外れるけどね、と遊維は仕方なさげだ。それは敷石にも解ってはいたが。  猫子はただの生活指導教員であり、蟲を除去する呪術を修めているとは聞いてはいなかった。彼女の呪装「白爪斬影」の攻撃力は相当だったけれど、それだけだ。 「痛っ……」 「ん?」  気付くのが遅かった。遊維が子供の口から這い出してきた蟲に頬を噛まれていた。  即座に敷石が二人を引き剥がす。  同時に子供が金切り声を上げる。喉を引き裂くような異様な大音声に敷石も一瞬だけ固まってしまう。 「ぐっ!」  その一瞬に敷石も首筋に噛みつかれる。ぎりぎりで動脈は外しているが、痛みは鋭い。  瞬間、敷石の刀で蟲の頭を切り落とす。至近距離での抜刀では子供を殺しかねない危険な状態だが、そんなことを言っていられない。  次の動作で敷石は左脚で子供を蹴飛ばし距離を取る。それに対して子供は全身から蜘蛛の脚のようなものを飛び出させる。  しかしそれが彼の意志で動いているわけではない。  あくまで蟲が神経を支配しているだけだ。 「いけるか、修羅焔」  正眼を僅かに崩した自己流の構えを取りながら、刀の鬼に尋ねれば、じぃんっと震える。  それを合図に、敷石が動く。一歩で十メーターの間合いを詰めて、跳び上がる。同時に刀身から噴き出す焔を推進力にして、相手の背後を取る。 「ふっ!」  ざぐん、と薙いだ刃に斬られた無数の脚が舞い上がる。  その中にある一際堅い脚に遮られ、本体を狙う攻撃は繰り出せない。 「くそが、ワームなのか蜘蛛なんだかはっきりしろっての」  ぎちぎちと蠢く脚を見て、これを祓うのは自分にはできないと判断した。 「だが、無力化くらいできるさ」  刃を剥き出しにした八本の脚の攻撃を捌きながら、それでもまだ本体の身体を気遣って焔を出せないでいる敷石に、蟲は距離を取った状態で脚を繰り出す。  その刃が敷石の右肩を穿つ直前、赤い光がそれを断ち斬った。  金属音を立ててアスファルトに落ちる脚を見て、敷石は嗤う。 「届かない場所の方が全力を出せるってことだ」  修羅焔閃。  そう口にしたが、蟲の知能で理解できるはずもなく、次の攻撃を間髪入れずに繰り出してくる。  流石に複数の攻撃を単独で受けることはできないので、バックステップで躱していく。  周囲で見物している一般人は、この程度は慣れているのか動じる様子を見せない。というより、幼少期からこの街で暴れていた敷石を何かのエンターテインメントのように捉えている節があった。 「今更か」  呟いて、敷石は一歩踏み出す。その踏み込みで瞬間的に加速し、一番前の脚を切り落とす。  その勢いを殺して止まれば、蟲は後方まで通り抜けた敷石を認識できていない。ぐらついた体躯を沈め、もう一度立ち上がろうとしていた。 「……けほっ」  鬼の力を憑依させる反動がここで出てくる。 「やり過ぎたな、ひずみが内臓に……」  言いかけて、敷石は目を見開く。蟲の脚の断面から濃厚な呪影……「くらやみ」そのものが溢れ出していた。 「冗談だろ、あんなん見たことないぞ」 「大丈夫、対応できるよ」  遊維の声がどこかで囁いた。 「……焔上鋼幻」  蟲の周りに真紅の焔が噴き上がり、蟲を包んで燃え上がる。それに怯んだ蟲が動く前に、遊維の体躯が蟲の本体を捉えていた。 「撥っ!」  真上から振り下ろされた掌に打たれた蟲が子供の身体を『すり抜けて』弾き出される。正確には本体を呪影に分解して身体から排除した。  斬り合うことしかできない敷石には理解できない呪法だろう、と冷静に判断した。  上方に跳ね上がった子供の身体を両腕で受け止めて、遊維は空中で焔を噴射する。「死儀焔義」の遣いすぎは良くないと解っていながら、全力を出して人を救おうとする遊維は、敷石とよく似ていた。  敷石は這い出した蟲を、呪影を狙うように刀の切っ先を向ける。 「修羅焔砲」  赤い焔がうねりながら撃ち出され、呪影を焼き尽くす太いレーザーになって相手を呑み込んだ。  周囲の気温が瞬間的に上昇し、呑み込まれた呪影は軋る声を響かせながら蒸発していく。  完全に消え去ったのを確認すると、敷石はその場に膝をつき、咳き込んだ。その呼気に血の匂いが混じっているのは、気のせいではないだろうと思っていた。  明確に血を吐いたことはないけれど。 「お疲れ様、無理しすぎたね」  見上げれば、遊維は悄然とした眼差しで敷石を見ていた。 「さっきのは、どうやったんだ?」 「呪影だけを弾き出す呪法のこと? 結界を組んで霊力を撃ち込んだだけだよ」  電話で宗谷先生に聞いたのを試しただけだと、平然として言う。戦闘時ならともかく、平時でそれをやるのは困るだけだが。 「今日はもう限界かな。少なくとも少し休まなきゃまともには戦えないぞ、もう」 「後はもう探索だけにしようか。朝からバトるとは思わなかったから、精神的にキツいよ」  その前に病院だなあ、と敷石は端末を取り出した。  目を覚ます。自室のベッドの上で起き上がると、西日が目に痛かった。 「夕方か。……なんだかキツい夢を見た気がするが」  ゆっくりと頭を振って眠気を払う。睡眠をたっぷり取って、疲労はすっかり癒えていた。  目に見えるダメージはなかったものの、寿命が数時間程度削られたような不快な感覚が胃のそこにわだかまる。  あと、どれほど生きられるのか判らないけれど、特に長生きしようとも思わない。それは敷石の年齢では普通の思考だが、周囲からすれば危なっかしいという評価にしかならない。  刀を持って確かめる。特に変化はなく、変化があったとしても敷石には判らない。  ドアがノックされた。  返事をして這入るよう促すと、フィリスが立っている。 「えーと、元気そうだね?」 「しっかり寝たから。今は腹が減ってるよ」 「あはは、遊維ちゃんと同じこと言ってる」 「ふうん? それは珍しいな」 「霊力をほとんど使い切ってたらしいし、今も休んでるけどね」  居間に布団を引いて寝かせているらしいけれど、自分の家がすぐ隣なんだから戻ればいいのに。そうは思っても、何故か口にはできなかった。 「さっきのデータ、見終えたよ。『くらやみ』は人間には倒しにくいって本当なんだね」 「呪影は霊力を喰うから、人間には相手にできないだけさ。霊力を持たない相手なら、対抗はできるけど」  まあ、そんな奴はいないからな。そう言って敷石が刀を持ち上げた。 「現代の人間が呪影に対するなら、鬼の力を借りないとならないが。鬼源装は日本には三百程度しか存在しないんだ」 「でも、その大部分は『影喰』に所属しているんでしょ」  頷いた。 「俺も、そこに行くのが生きている目的だし」 「……どうして?」  問い質すフィリスの眼には、しかし疑問など浮かんではいない。幼少期の事情まで調べることは彼女にはできないけれど、だからといって話せない内容でもない。 「大した理由じゃないよ。昔、両親が呪影に喰われて消えた」  神隠しって奴だけどね。と言い換えても、フィリスには伝わりやしないだろう。それでも良いと思っていた。 「……復讐って訳じゃないんだ。呪影なんて自然現象だし、意志を持つわけでもない。ほとんどの場合はね」  なんにでも例外はあるだろうが。 「ただ、一人でも多く、護りたいんだ。知っている奴も、知らない人も。それだけさ」 「そっか」  フィリスは、笑わなかった。  むしろ、僅かに苛立っているように、眉をひそめている。 「ボクは、許せないけどな」 「そうかい、それも結構さ」  似たようなものかと、敷石には読めていた。表情を見れば判る。見えないものは解らないけれど、見えているものから裏を読むのは得意なのだから、迂闊な奴は敷石の周りにはいない。 「遊維ちゃんは?」 「あいつには何も。普通の家庭で育った、普通に幸せなだけの呪術師だよ。ただ」  少しだけ正義感が強すぎる。  困ったように笑って、敷石はシニカルに言う。 「ガキん時からああいう性格さ。ルールよりモラルを優先するようなタイプ。真面目じゃなくて、好い奴なんだよな」  だから、危なくて見ていられない。 「嫌いじゃないけどね、そういうの」  正反対の環境で、似たような性格に育つのも何かの因果だろう。どんな性格でも、何も変わりはしなかっただろうけれど。
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