2「無くなった光」

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 住宅地から外れた寂れた工場の周辺を走っていく。  明滅する街灯の蛍光色が目に痛いが、それでもその光も薄い黒に翳っている。  二つの影が横切った後に蒼い鬼火が追いかけていく。それを気付きつつも、あえて無視している二人は目的地に向かうまで気を取られている暇はなかった。  敷石が通行止めの柵を跳び越える。遊維が続くと、その奥は工場の敷地だった。  錆の匂いが仄かに漂っているけれど、それは決して周囲にある鉄のものだけではないのだろう。風に乗って生臭い匂いが届いてくる。  敷石は刀に手を置いて鯉口を切る。その音に合わせてダッシュ速度が飛躍的に上昇した。  飛ぶように工場内を駆け抜け、遊維が追いかけるのを気にもせずに走り続ける。街の一番大きな工場は複数の建物が建ち並び、野球場の敷地を十以上合わせたほどの広さだが、それ自体は既に放棄されて所有者ははっきりしない。  申し訳程度に光る蛍光灯も足元を照らすには足りない。  それでも鬼の力を宿す少年には大した障害にはならなかった。 「…………ここだ」  姿勢を変えて、大きく加速していた身体を減速させる。脚から煙を昇らせながら停止すると、左眼に痛みが走る。  赤い視界には黒い塊が煙のように燻っている。  地面を蹴ってその塊に肉薄し、勢いのままに刀を振り抜いた。  手応えは無かった。 「く、」じくじく痛む右手に活を入れて、上方向に視線を滑らせる。  光も届かない闇の中で、その闇より昏い呪影がこちらを見据えている。 『……お、マエ。……か、―――ホ、のが、い』  口を動かすことなく、電子音のように声を響かせるそれに、敷石は苛立たしげに刀を構えた。 「あ? 誰だそれ。俺は志木島敷石だ」  焔が膨れ上がる。爆発するような赤い閃光が周囲の闇を剥ぎ取って、小さな太陽のように照らした。  それでも、相手には届かない。 「弾いた、だと?」 『しき、シ。……ま。――?』  遠くから、高い音が響く。笛を鳴らすような高音が、敷石の耳にははっきりと聞こえた。 「人を喰ったか、化け物が」  毒づいた敷石に、意思のある呪影は肯定を返した。 『然、り。ワタ、シ。は。……意志、持つ。生、、命な。……り』 (こいつ、知能も意思もある。だが、何故?)  敷石の考えでは解らないことが多かった。少なくとも呪影に関しては解らないことばかりで、全てを推測で考えるしかないのだが。 「斬るぞ、修羅焔。俺の命を喰え!」 『…………!』  刀身から焔を走らせ、腕力と踏み込みで斬り上げる。 『修羅焔昇!』  瞬速の斬撃。普通なら相手をした時点で終わっている攻撃を、しかし呪影は躱してみせた。 「……っ!」 『そん、な、、程…………度で、斬れ。る、もの――か』 「捉えた!」  呪影と敷石の遥か上で白い光が瞬いた。敷石はともかく、呪影にとっては意識の外からの攻撃だ。無数の霊弾がスコールのように降り注ぐ。 『無駄、な』  呪影は霊力を吸収する。霊弾では効果的ではないが、しかしそこに紛れて降ってくる遊維の姿に気付くのには数瞬遅れていた。 「フレアインパクト!」  霊力ではなく本物の焔を纏った拳を突き出し、呪影を殴りつける。  焔を受けてくらやみを削られたそれは、大きく後退してその体躯を霧散させる。 「あ! 逃げるなお前!」  返答はなかった。 「くそ、駄目か」 「相手の方が上手だったね……」  敷石は左眼から流れた血を拭う。今までも強力な敵や呪影を相手にした時は痛むことがあったけれど、今回はあまりに強い痛みで集中が途切れそうになってしまっていた。 「で、呪影が喋ったって本当?」 「ああ。たどたどしかったけど、確実に言葉だった。呪影が人と同レベルの意志を持つのは珍しいが、有り得ないことじゃないってことだ」 「…………そういうことなのかも」 「あん?」  遊維は思考を辿るように口にした。 「フィリスさんが呪影を探すように言った理由。おかしいと思ってたんだけどね。だって、あの人は魔術師を追いかけているんでしょ? それなのにって」 「魔術と呪影には確かに本質的な関連性はないな。じゃあ」 「その『意志を持つくらやみ』が魔術師としての能力を持っているんじゃないかな」  否定する材料はない。魔術がそもそも宇宙の混沌から発生しているなら、それに近い属性を持つ呪影にその機能が備わっていても不思議はないのだ。そうなれば、フィリスの追う魔術師の正体もそんなものだろうし、何よりそうでなければ『敷石に助力を願う理由が無い』のだ。  通常の魔術師であればこの街の守護者に頼ればいいし、精霊やあやかしの類ならば瑠璃高の呪術師が出張るべきだし。  わざわざ敷石をあの場所で待ち受ける理由が、見当たらない。 「それを言わなかった理由って何なんだろうな」 「言う必要があったかな? 魔術師であっても本質は呪影だから、斬り捨てれば消滅するだけだよ?」  そうなればその時に全て話してお終い、それだけだ。 「そうでなくとも気付くのは時間の問題だし、わたしたちがそこまで愚鈍だと思っていたとしたら」 「そんなことないよ、どこまでボクを怪しんでるのさ」  遊維の後方からフィリスの声が飛んできた。 「君たちなら解ってくれると思ってた。ボクはあの『くらやみ』、いや、リーファイ・ジョンドゥがこの街に来た時点で君たちに接触することを決めていたんだから」  敷石くんの方が遭い易かっただけのことだよ―――、そう言いながら、立ち上がった敷石の手にある刀を見ていた。 「ところで、あの呪影は何か変なことを言っていなかったかな」 「ああ、俺に向けて別人の名前を―――」  言いかけた時、刀がぎいいいいいいい、と震えた。 「な、おい、落ち着け、修羅焔!」  びきびきと右手の皮膚が裂ける。それでも抑えきれない鬼の感情が、敷石の意識にまで侵入してくる。 「しーちゃん!」  叫ぶ遊維の声もどこか遠くに聞こえる。敷石の意識が掠れているが、失いきれないのは彼自身の資質だった。 「待って……、待てって!」  誰かが、いや、自分が? 目の前を歩く少女を引き留める。 「メグ!」 「……止めないでよ、めぐ。きみは、来ちゃ駄目だ」  振り返った少女の目には深い絶望が沈着している。 「ねえ、逃げて。きみが死んだら、誰があれを――――」 「メグがやればいいだろ! 僕は、あんなのを相手に出来ないこと、わかってるんだ」  少女は哀しそうだった。  その小さな手が頬に触れる。 「私にそれができないから、きみに頼んでいるんだよ、めぐ。ずっと、きみのことを見ていたんだから、それくらい判るよ」  震えた声で俯いた少女に、それでも反論しようとする。 「僕は、」 「早く行ってよ。もう、この町には誰も居ないんだよ? 管理する人も、力を統べる土地神も、全ての住人も、今はもう―――」  皆、居ない。町にただ二人、取り残され。  死に損なっているだけの、取りこぼし。  メグと、めぐ。たった二人で生きていくことは、出来なかった。 「ごめんね……わたし、この場所が好きだったから」 「……………………」  少年は、何も出来ない。  誰も居ない街で、ただ生きていくことさえ難しい。  だったら、いっそのこと。  でも、それは出来なかった。  彼がもっとも大切にしていた存在が、最後まで生き残ったから。  彼女がいたから。  死ねなかった。  その少女が、自ら死を選ぼうとしている。 「…………さよなら、めぐ」  とん、と少女は少年を突き放した。  暗転。 「……………………………………っ!」  景色が戻ってきた。目の前には遊維の心配そうな表情が見える。  口を押さえている左手を見ると黒い血液に濡れていた。言うまでもなく吐血している。ここまでの強いイメージを修羅焔が見せるのは初めてだった。 「心に負荷を与えていたのか。それともそれを望んでいたのは。  そういうことなのか?  だとしたら、なんて残酷な二択だ。  こんなことがあったっていうのかよ、修羅焔」 「しーちゃん? 何を言ってるの?」  敷石はなんでもないと返す。この記憶を見たところで、敷石の意志に変わりはないし、躊躇なんか既に捨てている。 「遊維」 「うん?」 「なんか拭くものないか? 流石に血まみれじゃ移動できないんだ」  上着が黒いからいいものの、飛沫は誤魔化せるが左手に付着した血液はどうにもならない。既に空気に触れて酸化し始めている。 「ハンドタオルならあるけど。ほら、手を貸して」  敷石の腕を引っ張って血を拭い、汚れたタオルはポケットに突っ込んでいた。姉の影響を受けている、となんとなく思っていた敷石が刀を鞘に戻すと、フィリスが何かを考えている様子なのが目に入った。
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