2「無くなった光」

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「呪影であり魔術師。その生い立ちから協会の台帳には明確に記載のない存在。本質が人間の敵であれば、それを制御するのは不可能だからね」  エネミーナンバー1792「エンプティ」。  通称「リーファイ・ジョンドゥ」。  現象名「孤独陣(ロンリーキング)」 「孤独陣ってのは呪術にある蠱毒の陣のもじりだな。つまりはそういうものか」  家に帰ってきて、八重子を交えて話を始めた。八重子は最初から全部話すべきと言っていたらしく、呆れたような視線をフィリスに送っていたけれど。 「ボクはそれを直接見てきたから、どれだけ壮絶なのかは知っているんだ。それこそ共食いを始める人間なんて見ていられなかったから」 「いきなり全てを遮断するわけでなく、徐々に数を絞って命の濃度を高めていく。それを最後の一人まで繰り返してそれを喰らうって訳か。えげつねえな」  敷石には呪術の経験は無いけれど、それを打ち破る術を見つけたことはあった。ただ、都市一つ分を標的にする術式は、規模が大きすぎて。 「一人じゃあ対処できないだろうな。いくら呪影に鬼の力が有効でも、リーファイは既に数十の都市を食い荒らしてる。被害規模が一千万人だろ? いくらなんでも一人でその数は殺せない」  無双系のゲームじゃないんだからさ、と肩を竦める敷石。呪術師の遊維と八重子も同じ意見だった。 「それに、この街の鬼源装保持者は十人居るか居ないかだ。そんな頼りない戦力でどう相手取るんだよ」  鬼力の大きさは代償として喰わせた命の量に比例する。ただ斬れば殺せるような、甘い武器ではない。十人が寿命をすべて使い切って終わりなだけだ。 「時間があれば、魔術キャンセルの用意も出来たと思うけど」 「時間、か。……んー。今までに襲われた町で何か共通点があれば対策できるかも知れないけど」  共通点? とフィリスは首を傾げた。 「魔術だったら発動キーがあるはずだろ。呪術の印切りとか異能の発動トリガーとか、そういうもの」 「それも魔術によって様々だからね。特に孤独陣については良く判ってないよ。ひょっとしたら、協会の方は特定しているかも知れないけど」  フィリスは異能者だ。魔術に関しては無知であるより少しマシな程度であり、それは敷石たちも同じことだった。 「魔術は月が関係してるって聞いたことあるけど、どうなんだろうね?」 「月? ああ、確かにイメージはしやすいな」 「そういえば、今年は皆既月食が見られるって聞いたよ。もうすぐだったかな」  皆既月食。月が地球の影に隠れて赤く見える状態のことだ。  赤。月。 「赤い月?」 「なにそれ」  いや、と敷石は言いよどむ。どこかで聞いた気のする単語だが、しかしそれが何なのかまでは思い出せない。 「ブラッディムーンのこと? 確かにあれは凶兆だけど」 「それかな。多分、地球でその月が見える範囲にある場所で『孤独陣』は発生しているんじゃないのか」  仮説を立てる。この程度の仮説なら、既に協会の研究室でも検証はされているだろうが、自分で確かめることもまた修行の一部だった。  呪術師には判らない法則でもあるのだろうかと考えたが、そういえば霊能者は月の満ち欠けでコンディションが変化するとは習っていた。  だったら、一概に間違いとは言えないのでは。 「確か、皆既月食は月末だけど―――」 「あと二週間か。それも含めて、手を打つ必要がありそうだな」  黒い空間だった。  敷石はこの場所が、いつも見ている心底の仮想空間だと気付くには、そこで立ち尽くす修羅焔の後ろ姿を見つける必要があった。  近づいているのに、彼はこちらを見ない。  気付いているのに、敢えて無視を決め込んでいる。  リーファイが言っていたことを思い出した。  おそらく、あれは敷石にではなくこの鬼に向かっていったものなのだろう。  ホノガイ、という名前。珍しい苗字だし、調べればすぐに判ることだ。 「その名で僕を呼ぶな。何があってもだ」  唐突に声が掛けられた。内心は共有しているし、考えていることなどすぐに読めるのだった。 「僕は鬼だ。それ以外の何物でもない」 「それを言うってことが、未練を残している証拠なんだがな」 「どうだろうね。どうあれ、ここにきてこんな好機が来るとは思わなかったけれど。ずっと待っていたんだ、八百年間、この姿になってからね」 「八百年か。それは永いな」  永いさ、と言いながら修羅焔は振り返る。嗤っていた。つまらなさそうに、しかしどこかで昂揚しているように。何も望まないのに何かを期待する、不自然なありよう。 「……今日は何をする?」 「いつもの通り。百本組手だ」  鬼と素手で喧嘩をする、そんな単純な修行だった。深層世界では時間の流れは関係なく、どこまでも圧縮できる。だから、本当は千本でも万本でも出来るのだが、流石に敷石の心が折れてしまう。彼も人間なのだ。  普段通りに接することを彼が望んでいるなら、無理に傷をえぐる真似はしない。敷石にとっても呪影は親を奪った何かなのだが。  ただ、彼は呪影そのものを恨んではいない。その時のソレは駆けつけた瑠璃高の鬼源装保持者に滅されたし、今更どうということもない。  ドライなのではなく、そういうものだと割り切っているだけだ。  だからこそ、怨恨で鬼と化した修羅焔の心情はわからない。  解る気もないのが、敷石の信条でもあるけれど。 「やるか」  右手をかたく握って、普段のように構えを取るのだ。  …………  ………………  …………………… 「…………くっ」  右腕を肩口から断ち斬られ。左脚を複雑にへし折られ。立っていることが出来ない状態で、真紅の飛沫に染まっているまま、黒い地面に倒れ込んでいた。  ずるりずるりと音を立てながら再生していく体躯を感じながら、目前で余裕を持って立っている修羅焔の赤い眼に、感心する他なかった。 「さて、これで九十本だね。今日は僕を殺せるのかな」 「やるしかないんだろう?」  立ち上がる。砕けた骨や内臓は全て元通りになっている。ただ、心が重いというだけで、それ以外は何も傷つきはしない。  鬼の力を遣うわけでなく、寧ろ鬼と対することで、今まで喰わせた寿命の一部を取り戻すことが出来る。それがどれだけのものなのかは解らないが、ほんの僅かなものでしかないことは解るし、そのためには目の前の鬼を確実に殺す必要がある。 「さあ!」  右手を突き出した。鬼のように鋭い爪を持たない敷石には、引っ掻くのは効果的でなく。  とにかく殴るか蹴るかしないとならない。  修羅焔は敷石の突きを左手でいなし、身体を回転させて右肘を打ってくる。それを脇腹に受けるのは危険なので一歩下がって躱し、再びステップインして掃脚を仕掛ける。  足払いではダメージは少ない。かといって鬼に絞め技も投げ技も通じない。およそ柔術には効果がなかった。そもそもが力比べなのだから、そんなものを使う気は彼にもない。 「くあっ!」  左脚で踏みつけを試みる。何度繰り返しても直前で躱されるのだから、何かを考えなくてはならないと知っていたのに、愚直に技を繰り出す辺り、敷石は単純なのかも知れない。  足の軌道から脱け出した修羅焔が跳び上がるのを敷石はいい加減見逃さない。素のままで戦うしかない敷石に対して、修羅焔は焔を自在に使えるのでは不公平な気もしたけれど。  格上との戦闘というなら、充分すぎるほどに良い経験を得られていた。  ミサイルのように落下してくる鬼の突撃を受けるわけにはいかず、反射神経に任せて大きく前方に踏み出した。 「っつ、」  背中を衝撃だけで斬られ、血液が散った。傷は軽いが、痛みは軽くはない。  振り返り、右脚に力を籠めて踏み切る。  低姿勢でダッシュするのは苦手だが、出来ないことはないし、スピードを出すには丁度良い。  近寄って、左脚を突き出す。  丁度立ち上がっていた修羅焔の鳩尾にヒットしかけるが、彼の反射的な防御で受けられる。動きの止まった一瞬に、敷石は地面に腕をついて独楽のように回転する。  カポエイラの技術の応用だったらしいが、蹴り技の苦手な敷石には大して威力は出せないし、もともと無理のある動きでは自身にもダメージが入る。 「ははは、いいな! やはり君は時間を掛けないと強くはならないな」 「なんだよそれ。スロースターターなのは自覚してるさ」  テンションを上げるほど鋭くなっていく攻撃を、実戦で使った記憶は無いけれど。  大体は鬼の力でケリがついてしまうから、そこまでの相手とは見えたことはないのだ。 「はああっ!」  ごおん、と二人の拳が正面からぶつかり合い、双方の骨が砕ける。衝撃に少しだけ後退するが、先に動いたのは修羅焔。数瞬後に敷石が動き出す。 「ふっ!」  修羅焔の突き出した爪に敷石は左の肘を合わせる。  肩が砕けた上に腕は弾け飛び、地面に肉と骨が撒き散らされていく。 「くそ、が」  脳をえぐる痛みにびりびりと痺れながら、それでも足を動かして、折れている右腕の回復を待たずにその腕で殴りつける。  当然威力などあるわけもないが、意識を逸らすには充分だった。  意識の逸れた一瞬に、全力で頭突きを見舞った。 「ぬあっ」  修羅焔が衝撃に反応する。さらに生まれた意識の空白に、敷石は鬼の角の片方に噛みついた。そして右脚で体躯を固定し、思いきり首を螺旋斬る。  ごきり、と修羅焔の首が直角に曲がる。神経が断ち切られで身体を制御できず、互いに地面に倒れ込む。 「ふっ、ふっ、ふっ」  息を整えて回復を待つ。自動的に戻っていく身体を感じながら、心臓の奥に、失った時間の欠片が繋がったことも感じ取った。  起き上がると、修羅焔も同じように目の前に座っていた。 「大分、良くなったね。十年も経てば変わるものだ」 「人間に十年は長いからな。知っているくせに」  修羅焔は面白そうにくすりと笑う。どこか哀しげで、それでいて怒りを内包した、複雑な表情。純粋な鬼ではないからこそ、見せられるその姿には人間らしさしかなかった。 「俺は」 「まあ、大丈夫でしょ。君はもう弱くないんだから」  先回りで回答された。訊きたいことは、そのまま修羅焔の目的そのものなのだから、どうあってもこの問題は解決しなくてはならない。 「ただ、今回は外部の助力を得られないからね。人間を狙う存在は、人間が対処しなくてはならない。間違っても、ここの土地神を喚びだしてはいけないよ」  高確率で喰われるだけだし、そうなれば今の人間には対応できない。  彼はそう言い切る。  敷石もそんなことは解っていた。  それでなくとも、リーファイは既に多数の人間を喰っている。敷石一人の命なんかで斃せるとも思ってはいない。 「策は必要だよな」 「まあ、僕には口出しは出来ないけどね」
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