第10話「クマと戦友と」

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第10話「クマと戦友と」

「で、どうしたの?」  七海がスマホから問いかける。 「どうしたって?」 「追いかけたの? ちゃんと理由聞けた?」  久しぶりにかけた七海への電話で、秋穂は開口一番に「浮上したよ」と告げ「街で速人を見かけた」と話した。 「ううん、もう・・・いいかなって思って」 「ふ~~ん」  少し不満げな七海に秋穂は声を立てずに笑った。 「女の人連れてたし」 「その女の前で速人をビンタしてやったらよかったのに」 「人が周りにいっぱいいるんだよ、出来ないよぉ」  笑う秋穂に七海がつっかかる。 「笑い事じゃないでしょ、きっと今までの彼女とも似たような別れ方してるんじゃないかな。ちゃんとした理由も言わないで逃げ回る男、ビシッ! ってやったらいいのよ」  別れを言うだけ言ってこちらの話も聞かずに電話にも出ない相手だ。七海の言うように一発見舞っても良かったかもしれない。 「七海ならやりそう」 「やるやる、ビシビシやってやる」  ふたりして笑った。  そんな事を言う七海は、きっと叩く真似をして相手を許すだろうと秋穂は思う。 「・・・私に気付いたんだよ。 ーーー悲しそうな顔してた」 「・・・・・・」  七海はしばらく黙っていた。 「そういえばさ」 「ん?」 「秋穂、雰囲気変わったよね」 「電話で分かるの?」 「は?」  秋穂は買い換えたばかりのルームウェアをさっさと着ていた。それを引っ張りながら不思議に思う。 「速人と付き合ってた頃の服全部捨てて、自分好みの服を今日買ってきたの。口紅も」 「違う違う今の事じゃなくて、速人と付き合い始めてから服装が替わったって話」 「ああ、そっか」  秋穂が付き合ってた頃は速人にさん付けだった七海だが、今では呼び捨てだ。 「服買う時も速人は付き合ってくれるとか言っててさ、惚気(のろけ)だと思って流してたんだけど・・・・・・」  七海の言葉がしばし途切れる。 「遊びに来る度に秋穂の感じが変わってて・・・ちょっと淋しく思ったんだよね」 「淋しい?」 「だんだん私の知ってる秋穂じゃなくなるみたいでさ」  遠い時間を思うような七海の声に秋穂も速人との3年間を思い出す。 「速人は秋穂のそういう所、どう思ってたんだろうね」  七海の質問に秋穂の回想が止まる。 「自分好みの服を着てくれたりするのは単純に嬉しいと思うだろうけど・・・。最初に好きになった秋穂らしさは無くなっていくわけでしょ?」  七海の言葉に、ドキリ・・・と心臓が跳ねた。  好きになった女性が少しずつ自分好みになっていく、それを素直に嬉しいと受け止める人もいるだろう。しかし、速人はどうだったのか・・・と秋穂も思う。 「誠実に気持ちを伝えたことが、もしも意図せず相手を変えてしまってたら・・・」  七海の口にした考えが、喫茶店での速人の言葉にリンクする。 「このままじゃ駄目だと思うんだ」  あれは秋穂が彼女らしさを失っていく事を指していたのだろうか。そうだとしたら・・・。 「上手く言えない、ごめん」  自分の何気ない言葉が発端なら速人自身その事に気付かないだろう。気付かない事から生まれた結果について説明するのは難しい。  彼が気付いたとして、秋穂を変えたくて好みを伝えたわけではない君のままで良い・・・と言われたところで、盲目になっていた秋穂には伝わらなかったかもしれない。  速人と別れた秋穂が出会った頃の姿に戻っているのを見て速人は何を思ったのか。  彼の悲しそうな顔が浮かんだ。  互いに相手に寄り添おうとし過ぎて、いつの間にかすれ違っていたのだ。  秋穂が自分らしくありながら、時折、彼の好きな服装をして喜んでもらう・・・それくらいで良かったのかもしれないと秋穂は思った。  喫茶店で背を向けて遠ざかる速人の姿が浮かぶ。  何度も繰り返し思い出しては泣いていたあの光景が、何故か柔らかい光に包まれてすっと心の内から消えた。  (手放せた・・・・・・)  そう思えた。 「秋穂、ごめん変なこと言っちゃったね。またグルグル考えないでよ、今のは忘れて」  押し黙った秋穂に慌てて七海が声をかける。 「ううん、大丈夫。なるほどって思ってただけ、案外図星かも・・・」 「秋穂・・・」 「自分を見失ってちゃ駄目だよね」  そう言って秋穂は笑った。  最悪なパターンとして、自分好みに変えては捨てる男・・・と言うのも頭の隅に浮かんだ。しかし、秋穂には七海の考えがしっくりいく気がした。彼のあの表情にそんな男ではないと思えたから。 「よく復活したよね、秋穂頑張ったじゃん」 「クマのお陰」 「熊?」 「よく話を聞いてくれるクマを拾ったの」 「何? どう言うこと?」 「大きなクマのぬいぐるみが捨ててあってね・・・・・・」  クマを拾ってから今までに至る話を七海に聞いてもらった。夕食を作る間も食べながらも、あれこれと話し続ける。 「年下彼氏も良いんじゃない? お隣さんチャレンジしてみたら?」 「何言ってるのよ」 「フリーになった上司もいいよねぇ! 女子人気高いんでしょ」 「七海ったら、まだそんな気分じゃないんだからね」 「秋穂のこと気にしてくれてるんでしょ?」 「ないない」 「深海から上がってきたんだから、大海から大物釣り上げる覚悟で挑んでみたらいいと思うな~」  ふざけながら会話をする秋穂をテーブルの向かいでクマが笑ってみている。明るい部屋の中に笑い声が行き交い時間が流れていく。  話を終えてクマを抱き締めながらベッドに横たわると、楽しい余韻でふわふわと心地良かった。  明日はきっといい日になる、きっと・・・きっと。  穏やかに過ぎる月曜日。  自然と笑顔が出て同僚と明るく会話し仕事がスムーズに進んでいく。後輩の胡桃と持ち弁を食べながら向かい合って何気ない話をした。  これまでの溜込んだ仕事をどんどんこなし、ふと我に返ると日が落ちていた。 「浅川、金曜に引き続き頑張ってるな」 「あっ・・・、もう退社します」  香坂課長の声に慌てて帰り支度を始めた。 「あんまり・・・」 「分かってます。よぉーんなぁ、よぉーんなぁ」  秋穂が笑顔を向けると香坂が「分かっているなら良し」という顔で頷いてみせる。 「なんか・・・感じ変わったな」 「そうですか?」  香坂が苦笑いする。 「人を心配させておいて、いつの間にか元気になってる」 「ご心配おかけしました」  芝居がかったお辞儀の後で秋穂が見せた笑顔に香坂も笑顔になった。 「らしくなったな」 「何ですか? らしくなったって」  数人残った部下に声をかけて香坂が部屋を出ていき秋穂が後に続く。 「ちょっと派手だったのが元に戻った」 「・・・派手、変でしたか?」 「変じゃなかったけど・・・・・・、らしくなかった」  秋穂は口を小さく尖らせて「ふ~ん」と言いながら香坂に続いてエレベーターに乗り込んだ。誰も乗っておらずふたりきりだった。 「新しい恋人でも出来たか?」 「はい」 「え!?」  香坂の露骨な驚きように秋穂は吹き出した。 「凄いな、失恋で空いた穴は恋愛でってやつか」 「ふふふ、そうですね」 「ふーーーん」 「どんな彼か聞かないんですか?」  香坂は別に・・・と言いたげな顔で前を向いている。 「大きくて、毛むくじゃらなんです」 「へーー、九州男児か?」 「寡黙なんですよ」 「ほぉう」 「私の話を黙って聞いてくれる素敵な、クマです」 「・・・素敵な・・・何だって?」  香坂が怪訝な顔をするのを見てくすくすと秋穂は笑う。 「大きなクマのぬいぐるみを拾ったんですよ。夜な夜なクマ相手に管巻いてます」 「あ・・・お前、それ危ない奴じゃないか」 「はい、酔っぱらってクマをサンドバックにしたり涙でぐっちょぐちょにしいたりしてました」  ファイティングポーズを取ってみせる秋穂を苦笑いしながら見ていた香坂が気の毒そうな顔をしてみせる。 「クマもたまったもんじゃないな」 「ぬいぐるみですからね、手加減せずに何でもぶつけて・・・全部受け取ってもらいました」 「吹っ切れたか」 「はい」  明るい秋穂の声と共にドアが開いた。 「今度、飲みにでも行くか」 「いいですね」 「銀屋に行くか・・・覚えてる?」 「覚えてますよ、香坂先輩が連れて行ってくれた汚い居酒屋ですね」 「味があるって言って欲しいなぁ」  笑う二人の声が重なる。  相談に乗ってもらったり励ましてもらったり、懐かしい記憶が思い浮かぶ。振り出しに戻った・・・そんな気がした。  街頭やビルの窓、車のライトがキラキラしている。暗く感じた夜の街も深海から浮上してみると結構明るいと思えた。  自分らしくしっかり水を蹴って泳いでいこう。  今度はもっと上手に泳いでみせる。  深海魚を返上しても人魚姫みたいにはならない。海の藻屑になってなるものか。  顔を上げて、ゆっくりしっかり進んでいこう。時にクマの手を取って・・・、 「浅川、どうした?」  横断歩道の向こうから香坂が声をかける。  戦友の力も借りて・・・泳ぎ続けよう。 ーーーー 終わり ーーーー 最後まで読んで下さった皆さん、有り難うございます。 重たく暗いスタートから、やっと秋穂も明るい海面へと浮上しました。 皆さんのクマ君は誰でしょう。 あなたにとっての香坂先輩はいますか? 誰でもその人にとって辛いときはあります。 どうか諦めず、ゆっくりと進んで下さい。
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