第9話「人波に消える過去」

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第9話「人波に消える過去」

「浅川さんは沖縄に何か悲しい思い出でも・・・あるんですか?」  唐突な質問だ。 「僕が沖縄そばを渡したとき泣いてたみたいだから・・・」 (・・・え?)  それはいつのことだろう。何故そばを彼からもらったのか・・・と考えて、引っ越しそばかと思いつく。 「あ・・・もしかして、引っ越しそばの事も覚えてないですか? そっかぁー、そこからかぁ~~~」  大袈裟に顔を覆って落胆してみせる。 「僕は存在感薄いんですかねぇ・・・」 「あ、ごめんなさい。存在感が薄いとかそんなんじゃないですよ」  記憶にはないが、きっと失恋直後だったのだろう。そのころの記憶はほとんどが曖昧で秋穂はよく覚えていない。 「沖縄そばを配ったら会話の糸口になる事が多いから、いつも引っ越しの時には沖縄そばを渡してるんですけど・・・」  秋穂の顔を星也が伺う。 「沖縄そば見て泣く人初めてだったんで気になってたんですよ」  引っ越しの挨拶をしに行ったら沖縄そばで泣き、夜な夜な星也の働くコンビニにやってきては暗い顔でビールとつまみだけを買っていく隣人・・・。インパクト大だ。 (そりゃ・・・気になるよねさすがに・・・)  秋穂が苦笑いを浮かべる。 「ちょっと・・・情緒不安定だったのかな・・・」 「・・・・・・失恋・・・したんですか?」  上司に失敗の報告をする部下のような上目遣いで星也が切り出す。秋穂は苦笑いし、鼻の奥がジンとして顔を逸らした。 「・・・そう」  短く言った秋穂の横で納得と言う代わりに星也が数度頷く。 「熊助、良い晩酌の相手になってくれました?」  見られてたのかと思う質問に一瞬ドキリとしたが笑いが先に立った。 「晩酌の相手どころか、泣いたり怒ったりする酔っぱらい相手にサンドバッグになってくれました」 「ああ、それで縫われてるんだ」  星也がクマの耳を指さして笑う。 「ち! 違います。最初から取れかかってたの、ここも拾ったときからなんだから!」  いつから破けていたのか知らないくせに秋穂は少しの嘘で対抗する。  手元にはクマと同系色の糸が無く、下手な縫い止めで脇腹と耳から黄色い糸がちらちらと見えていた。 「私、お母さんが沖縄の出身で、沖縄そば見て・・・ほっとしたのかなぁ?」  秋穂はクマに何を話したかなど詳しく話したくなくてそばの話に戻す。 「え?」  秋穂に向けた星也の目がきらきらする。 「夏休みとかお祖母ちゃん家によく泊まりに行ったりしてたんですよ」 「何処ですか?」 「浦添」 「えーーっ、近! 僕は宜野湾」 「宜野湾! 離島じゃないんだ」  彼の名字が波照間という島と同じだったので、秋穂は勝手に離島出身だと思っていた。 「よく言われる。でも、生まれも育ちも宜野湾」  そんな切り口からローカル話で盛り上がり、懐かしいお店や地名が出る度に声を上げて笑った。友達とドライブしたコースや従姉妹から聞いたデートコース、沖縄で流行ってた事等々・・・・・・。世代が近いと行動も似通っていて、友達と話すように話が尽きない。  いっきに気持ちが10代に戻った。10代特有の不安や悩みもあったけれど、楽しい日々だった。  パシャ!  唐突に向けられたカメラのシャッターが下りる。 「いい笑顔!」  カメラの向こうから悪戯な少年の顔で星也が顔を覗かせて、秋穂は目を丸くした。 「いつの間にカメラなんか・・・!」  秋穂には一眼レフか望遠レンズ付きカメラと言えばいいのか分からないかったが、けっこうゴツいカメラに見えた。 「最初からカメラ持ってたよ、さっきまでそこに置いてあったんだけど」 「嘘・・・やめてよぉー」  抗議して手を伸ばすが簡単に逃げられる。 「本当だよ。夕景を撮ろうかと思って出てきたんだから」 「嘘でしょう。ここから夕日は角度的に見えないわよ」 「空なら撮れる」  そう言ってカメラを少し上に向けて一枚撮る。見上げた空に浮かぶ雲の縁がオレンジ色に染まっていた。 「都会の空は小さいとか言うけど・・・嘘だよね」  じっと見上げる星也と同じように秋穂も空を見つめる。 「見ようとしてないだけ、みんな目の前の事で精一杯だからね。時にはゆっくりしなくちゃ」 「・・・そうね」  秋穂が星也に目を向けるのとほぼ同時に星也が笑顔を向ける。 「なんくるないさ」  不意をつかれた。  何気ない星也の言葉に涙がこぼれた。頬を伝う涙を見せまいと俯く秋穂の目から、涙がいくつか足下に落ちた。  星也が写真を撮る音がする。 「ちょっと! こんな顔撮らないでよぉ!」 「大丈夫、逆光で顔は見えないから」  涙を拭って怒り顔を星也に向ける。 「騙されないわよ、日が落ちてきてるけど逆光なわけないじゃない」 「おっ、するどい」  星也が声を立てて笑う。 「でも、俯いてるし暗くなってきてて顔はほとんど映ってないよ。ほら」  見せてくれた写真に映る秋穂は、オレンジ色の空と暗い建物をバックにシルエットに近い感じだった。 「涙にいい感じに光が入ってて・・・・・・これ、コンクールがあったら出してもいい?」  落ちる涙の雫が綺麗に光っていた。  オレンジと暗い景色の中、秋穂の顎を離れる小さな粒とその先の少し大きな雫が光を取り込んで存在感があった。強すぎず弱すぎない光。狙って撮ってはいない自然な光りが中央より少し下に映り込んで、目が自然と雫に惹かれる。 「・・・うん」 「オッケー頂きました」  喜んで跳ねるように部屋に戻ろうとした星也がひょっこり顔を出す。 「もしかして、同棲してるとか思ってる? 隣人入れ替わってますから、そこん所アップデートしてね。じゃ!」  子供みたいな笑顔でそう言って部屋へ消えていった。  星也の消えたベランダは急に静かになってどことなく肌寒い感じがした。 (引っ越してくるどころか、引っ越していくのにも気付かなかったのか・・・)  小さく苦笑いしながら頭を掻く。 「クマ君、暗くなってきたけど・・・」  触ってみたが乾いてるはずはない。 「今夜は一緒に寝れないね」  もうしばらく風に当てておこうとベランダにクマを残して部屋に戻る。  改めて部屋を見回して部屋の雰囲気が変わっている気がした。ただ整理整頓して掃除をしただけなのだが、すっきりとして心地よく感じる。 「さぁ、夕食でも作りますか」  夕食の支度をしゆっくり食べる。ビールは無かったが気にならなかった。  テレビを点けてあれこれとチャンネルを変えてみて、なんだかうるさく感じて見るのをやめた。テレビを消すと手持ちぶさたになる。 「明日は買い物にいこう・・・。洋服もいくつか買い足さなきゃ」  部屋の隅のビニール袋に目をやって、 「ごめんね」  捨てられる物達に謝る。  天気予報は晴れ、クマはベランダに置いたまま寝ることにした。  翌朝、日曜の7時には目を覚まして朝食を取る。 「日曜の朝のこの時間に起きるなんて、小学生みたいだな」  失恋でグダグダだった頃はもとより、彼氏がいなかった時でさえ秋穂は日曜にこんなに早く起きなかった。休日の前の日は友達と飲みに行ったり部屋で食事会したり、1人でもテレビや映画を見たりと夜更かしをしていた。 「よし、さあいこう。留守番よろしくね」  支度を済ませクマに声をかける。ドアを開けると眩しく明るい外が秋穂を迎えた。  休日はどこも人でごった返している。移動も試着にも時間がかかり予定より長めのショッピングになったが、秋穂の気に入った服がいくつか買えて気分は上がった。  そうそうに着替えて鏡の前に立ってみると、鏡の中の自分はとてもしっくり馴染んで心地よかった。 (ああこれ! そう、こういうさり気ないくらいのが好きなんだよぉ)  ブラウスはパステルほど薄い色合いではないけれど柔らかいサーモンピンクで、胸元近くが花模様の単色レースになっている。パンツは落ち着いた緑。暗すぎず明るすぎない色を選んだ。  試着室から出てきたままの格好で支払いを済ませる。もうこの服ともさようなら、と着て来た服を袋の奥へ押し込んだ。その後もいくつかの店を回って服を選んでいく、両手に袋を下げた秋穂は意気揚々と駅を目指して歩いていた。  明るいうちに一旦家に帰り食材を買いに出かけよう。今日は何を食べようか、明日の昼は久しぶりに手製の弁当を持って行くのもいいなと思う。  楽しい気持ちで地に足が着かない少女の様な気分の秋穂が歩く。楽しげな人々の中秋穂も自然と笑顔になって駅に向かう。  ピタリ、と足が止まった。  大勢の人の中に速人を見つけた。その横で彼の腕に手を通す秋穂が見える・・・。  いや、違う。  髪型や服装がそれまでの秋穂とよく似た別の女の人だ。  ついさっき脱ぎ捨てた過去の自分がそこにいる。秋穂は目が離せず彼らが遠くを行き過ぎるのをじっと見ていた。  速人が秋穂に気付き目と目が合う。  不思議と悲しくなかった。写し鏡を覗くように速人と彼女を見つめる。  驚いたような速人の目がすがるような視線に変わり、悲しげに秋穂を見つめ返していた。 (私は今どんな顔をしているんだろう・・・・・・)  冷静な秋穂がそう思う。  目の前を人が横切り秋穂は彼らの姿を見失った。でも、もう良いと思った。駅の方に顔を戻し背筋を伸ばして一歩踏み出す。  振り返らず、真っ直ぐ秋穂は歩いて行く。 (もう過去には戻らない、過去は追わない)  秋穂は鮮やかな青空を背に改札をくぐった。
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