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大きなタコの遊具が置かれていることから、タコ公園と呼ばれる公園でのことだ。
昼間は子供たちの賑やかな声で満たされているこの場所だが、夜には誰もいない。
草木も眠る丑三つ時。
そんな暗闇の中に、彼らはいた。
「昔と違って、大変住みづらい世の中になってきておる」
「家と外とを自由に行き来することもままならん」
「それどころか、家から一歩も外へ出ない、箱入り息子に箱入り娘のなんと多いことか」
「嘆かわしい」
「ネズミや小鳥の取り方も知らず、集会も知らない世間知らずもおる」
そんな言葉に、皆が深く頷く。
「我々がこうして集まることには、大いに意義がある。なわばりのパトロール、新入りの顔合わせ、転出入の確認。その報告は大変重要である」
その時、ゆるりと雲が流れた。
隠れていた月が姿を現し、辺りは柔らかい月明りに包まれた。
「ようやく晴れたな」
茶虎の猫が空を見上げると、目を細めて呟いた。
すっかり明るくなったその公園には、たくさんの猫たちが集まっていた。
彼らは、お互いに等間隔を取りながら、思い思いに丸くなり座っている。
「この前の満月は、雨降りで中止になりましたからね」
黒の縞模様が特徴的な猫の言葉に同調するように、他の猫たちのしっぽが揺れた。
「しかし、外で暮らすのは……正直しんどいです」
黒の縞模様の猫は、その長いしっぽを揺らすのを止め、ため息交じりに言った。
「新入り、またその話か。お前は、どこの箱入り息子だったのか」
茶虎の猫がため息交じりに言う。
「新入りじゃないです! 僕の名前はアルです。何度も言わせないでください、次郎さん」
「アルなどと、こじゃれた名前だこと」
「そのセリフも、聞き飽きましたっ」
またいつもの言い争いが始まったと、抗議でもするかのように、みんなのしっぽがパタパタと地面を撫でる。
「僕は、この大都会に来てから、飼い主とはぐれてしまいました」
バッグに詰められ運ばれてきたところは、今までいた場所と全然違うところだった。
今までは、家と外とを自由に行き来していたのに、ここへ来てから、家から一歩も出させてもらえなくなった。
「僕の飼い主は、外へ出てはいけない。車に轢かれるかもしれないと、僕を家に閉じ込めて」
小さくため息をついた。
「そんな生活が嫌で、逃げ出して…」
しかし、逃げだした後の生活は過酷を極めた。
元の家へ帰ろうとして、やみくもに逃げ回ったせいか、他の猫のテリトリーへと入り込み、追い立てられるうち、方向が判らなくなった。
車には何度も轢かれそうになるし、寝場所にも食事にも困った。
流れ流れて辿り着いたのが、ここ、タコ公園一帯をなわばりにしている「茶虎の次郎」のところだった。
ここタコ公園の周り一帯には四角い建物が一杯あって、そこには沢山の人間たちが住んでいるようだった。
その人間が定期的にエサをくれるせいか、アルが命からがらたどり着いたこの場所の猫たちは、みな穏やかだった。
もちろん、飼い主の家にいる時と全く同じというわけにはいかなかったが、アルは、やっと寝床と食事を手に入れることが出来たのだった。
「せめて、エサの獲り方を知っていれば、ここまで辛い逃避行にはならなかったと、悔やまれてなりません」
そう言って、彼はすっと起き上がると、ピッと背筋を伸ばして座り直した。
「それで、考えたんです。僕のように、万が一、家に帰れなくなっても、生きていかれる方法を皆さんから教えてもらいたい。そして、それを近隣に暮らす猫たちにも教えてやれたらと」
アルの言葉に、他の猫たちは、一応に顔を見合わせた。
「だめ…でしょうか?」
アルは、タコ公園に来て、近隣の四角い建物周辺をパトロールするうち、ベランダや窓越しに、沢山の仲間が住んでいることに気付いたのだ。
「新入り」
茶虎の猫が、ニヒルな笑みを浮かべた。
「面白そうじゃないか」
その言葉に、他の猫たちは、驚いた表情をみせた。
「来月の満月の晩。ここに仲間を連れてこい。そうしたら、考えてやる」
アルはその言葉に、大きく頷いた。
「約束ですよ、次郎さん」
その言葉を聞いて、アルは立ち上がった。
「こうしちゃあいられない」
あわただしく立ち上がると、彼は、暗闇の中へと消えていった。
「ねぇ君」
次の日。
アルは、パトロール途中に見つけた、白い三角屋根が特徴的な家へとやってきた。
手入れの行き届いた庭には緑の芝生があって、あそこに寝そべったら、気持ちよさそうだなぁと、アルはここへ来るたびにそう思っていた。
そして、家の中からはいつも、素敵な音が流れてくる。
そのテラスに面して、大きな出窓があって、そこにはいつも、白くて毛の長い猫が寝そべって外を眺めているのだ。
「あなた、誰?」
外見は優しそうなのに、やけに高飛車な物言いだ。
「僕は、アル。君、なんていう名前?」
その言葉に、向こうは、きっと目を吊り上げた。
「みたところ、アメショみたいだけど?」
「…あめしょ?」
何のことかと首をかしげると、向こうは、小バカにしたように言い放った。
「アメショって、アメリカンショートヘアのこと。あなた、自分の生まれもご存じないの? 私、あなたみたいな庶民的な猫と話なんてしたくないの」
そう言って、ふんとそっぽを向いた。
「私は、ラグドールって言う高級な猫なのよ」
言って、彼女はふさふさのしっぽを大きく揺らしながら、優雅な身のこなしで、ふんわりと座り直した。
「私の名前は、ドール。パパは大学院の教授で、ママはピアノの先生をしているわ」
彼女の肩越しに中を覗き込んでみると、黒い大きな箱を前に座る人間の姿が目に入った。
この素敵な音は、あの箱の中から流れてきているのか。
どんな仕組みになっているのか、不思議に思いながら、再び彼女へと向き直る。
「君、外へ出てみたいと思わない?」
そんなアルの言葉に、ドールは怪訝そうな顔をした。
「なんで、そんなことを聞くの?」
アルは、自分がここまで来た経緯を話した。
元々人間と一緒に暮らしていたこと、逃げ出して、食べることにも寝ることにも苦労したこと。
でも今は、近くのタコ公園付近を縄張りにしている次郎と言う猫に助けられ、仲間と一緒に暮らしていること。
最近は、礼儀もわきまえず、獲物の捕り方すら知らない猫が増えていることを、次郎が嘆いていること。
そこで、近所に住む猫に声を掛け、猫としての暮らしを一緒に勉強しようと、自分が声を掛けて回っているということを語った。
そんな彼の話を、黙って聞いていたドールが、ゆっくり口を開いた。
「どうりで。ただの野良猫とは、どこか違うと思ったわ」
ドールは、アルを下から上まで、品定めでもするかのようにじっくり眺めた。
「額のM字の模様。目尻のクレオパトラライン。背中のバタフライ模様。脇腹のターゲットマーク。あなた、血統書付きの立派なアメリカンショートヘアね、きっと」
ドールは、一応の警戒心を解き、アルを見つめた。
彼も、立派だと言われれば、まぁ悪い気はしない。
「…それは、どうも」
アルは、小さく頭を下げた。
「まぁ、いいでしょ。そうそう、さっき言ってた一緒に勉強すること。少しは、考えてあげても良くってよ」
「ほんとに?」
「えぇ。考えるだけだけど」
最初の高飛車な態度を見れば、すげなく追い返されると思っていただけに、一応考えてくれると言う返答に、アルはちょっと嬉しくなった。
「ありがとう。返事は急がないよ。他の猫にも声かけてくるから。また、来てもいい?」
そんな彼の言葉に、彼女はついっと横を向いた。
その仕草を、アルは肯定だと受け取り、踵を返した。
「でも、そのしっぽだけは、頂けないわね」
「……え?」
思わぬ言葉に、アルは立ち止まった。
「だって、しっぽの先が曲がっているんですもの」
アルは、思わずしっぽをくるりと回した。
言われてみれば確かに、しっぽの先が少し、曲がっているようにも見える。
「他は完璧なのに、ホント残念だわぁ」
言いながらドールは、ヒョイっと出窓からいなくなってしまった。
そして、曲がったしっぽが残念だと言われたことに、アルは酷く困惑した。
今まで、そんなこと考えもしなかったし、気にしたこともなかったからだ。
瞬間、まだ自分が小さかった頃の光景が、ぼんやりと頭に浮かんだ。
曲がったしっぽ。
他の兄弟に言われた言葉。
あれは、確か…
「兄さん、ごめんなさい。私が悪いの」
あの言葉の意味って。
はっと気付くと、白い三角屋根が、夕陽で赤く染まっていた。
アルは、小さく息を吐くと、通りの向こうへと走り去っていった。
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