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すでに、青白い月が天高く登っていた。
昼間は、子供たちの賑やかな声で溢れているこの場所も、今はひっそりと静まりかえっている。
次郎に連れられやってきたのは、タコ公園と呼ばれる場所だった。
確かに、海にいるタコと言われればそうかもしれないが、全体の色は、ちょっと色褪せて、くすんでいるようなピンク色。
最初は鮮やかな紅色だったのに、年月の経過で、くすんでしまったのだろうと想像が付いた。
中心にはタコの頭らしきものもあるが、かなりデフォルメされたその姿は、ちょっとした小山のようにも見える。
タコの頭を中心に足が四方へ伸びていて、足の一本は幅の広い滑り台、違う足は、角度のついた坂道にタコの吸盤が滑り止めの役割をしていて、中心の頭部分まで登れるような作り。
伸びた足の下はトンネルに。
タコの頭の中は、四、五人の子供が辛うじて一緒に立てるくらいの広さと高さがあり、ちょっとした東屋風の造りになっている。
次郎は、ぴょんぴょんと器用にタコの足を伝うと、タコ頭の上へと登った。
「わしは、このタコ公園一帯を縄張りにしている次郎だ」
青白い月をバックに、次郎の言葉が続く。
「約束通り、わしが猫の本分を教えてやる」
そんな言葉に、一同は、不安と期待の入り交じった表情で頷く。
「まずは、簡単な獲物の捕り方から」
獲物の捕り方が始まって、もうどのくらい経っただろうか。
辺りは、阿鼻叫喚のるつぼだった。
次郎がどこからか持ってきたネズミを前に、ドールが逃げ回っているのだ。
「聞いてないわよ、こんな話! 何でこんなことしなきゃイケないのよ!」
周りを猫に囲まれ、隙あらば逃げだそうとネズミも必死だ。
チョロチョロと走りながら向かってくるから、普段、ネズミなど見たこともない彼女にとっては、恐怖以外の何物でもない。
それは他の猫も同じようだ。
「アルくん~、私は~、こんな大きな獲物には遭遇したことがありません~、たま~に、黒い虫は捕まえますけど、サイズがっ! サイズが、違いすぎますぅ!」
謙信は、ネズミが目の前を通る度、必死に足は伸ばすものの、空しく地面を蹴るばかり。
「僕も、こんなすばしっこい生き物、初めてです」
アルも、必死で追いかけるものの、あと一歩及ばない。
「もう、サイテー!」
ギャーギャー言いながら、逃げまくるドールに、華が声を掛ける。
「ドールさん、今度はわたくしが」
果敢にもネズミに立ち向かう華だが、今度は、彼女めがけてネズミが跳ね飛んできたのだ。
間一髪で、彼女の脇を掠めたものの、避けようとした弾みで、華はそのまま倒れ込んでしまう。
「華さん!」
アルが慌てて抱き起こした。
「華さん、大丈夫?」
華は、差し出された手にそっと掴まった。
「大丈夫です。ありがとう、アルさん」
華は立ち上がると、体についた泥を払った。
そんな様子に業を煮やしたのか、黙って事の成り行きを見ていた次郎が叫んだ。
「何をやっとるンだ、お前たちは。情けなくて見ておれん」
次郎は、やおら立ち上がると、大きく伸びをした。
「どれ、わしが仕留めてやる」
言いながら前足の爪を噛んで、プッと吐き出す。
「まて!」
すっかり臨戦態勢の次郎を遮ったのは、キングだった。
「こんなもの、貴様が出るまでもない」
キングは、アルと謙信に言い放った。
「貴様ら、ネズミを追い立てろ」
鋭い一言に、二人は思わず声を揃えて答える。
「え……あっ、はい!」
辺りをかけずり回るネズミを、二人で囲んで、彼のいる方向へと追い詰める。
逃げ場を失った先には、キングが控えていた。
バシーン!
まさに百発百中の技だった。
キングの、あの大きな前足に掛かっては、小さなネズミなどひとたまりもない。
「きゃー‼︎ キングさま~、すてき~、お強いんですね~」
黄色い声と、周りにたくさんのハートマークを飛ばしながら、ドールが駆け寄ってくる。
「さすが、キングさんです。ね、謙信さん。って…? あれ」
アルは感心しながら隣の謙信を見ると、彼の瞳が、うるうるに潤んでいる。
「凄い、凄いです! 神業です! 男の中の男です! キングさんは、最高です‼︎」
感動に打ちひしがれている謙信を見て、アルは、目が点になってしまった。
「私は一生、キングさんに付いていきます~! キング様、いや、テレビで言ってましたね! キング様こそ、わが殿です~。忠義を尽くします~」
殿~とか言いながらキングに駆け寄る謙信を、アルは、ちょっと呆れ気味に見送った。
「そう言えば、謙信さんのご主人様は、時代劇とか大河ドラマが好きで、いつも一緒に見てるって言ってたなぁ。お殿様とか、将軍様とか?」
首を傾げながら、アルは呟いた。
「全く、情けない」
気がつくと、隣には次郎の姿。
「しょっぱなからこれでは、先が思いやられるわ」
二人の争いは、ますますヒートアップしているようで、キングを間に挟み、言葉の応酬を繰り広げている。
「ちょっと、キング様から離れなさいよ」
「はぁ? 君こそ、殿に変な色目を使うのは止めていただきたいですねぇ」
「何が殿よ! たま無しが偉っそうに!」
きっつい一言に、謙信の顔つきが険しくなる。
「君。言ってはいけない一言を言いましたねぇ」
「あら、事実を言ったまででしょ」
今度はドールが言い返す。
「猫権の侵害です! 殿~、何か言ってやってくださいよ~」
「誰が殿だ、誰が! お前ら、いい加減にしろ!」
キングの怒声すら、かき消す二人の勢いを前に、アルは、もうどうして良いか解らない。
ただ、今ここで仲裁に入ったところで、事態が収拾できるとは到底思えなかった。
「今夜は止めだ、止め。わしはもう、帰って寝る」
次郎は吐き捨てるように言うと、暗闇の中へと歩き出す。
「すみません。もう、こんなことになるとは思わなくて」
アルが声を掛けると、次郎のしっぽがピンと立ち上がり、ゆったりと左右に揺れた。
「今度の集会は、来月の満月の晩だ。あいつらに言っとけ」
「わかりました。おやすみなさい、次郎さん」
次第に小さくなる彼を見送って、アルは独りごちた。
「いつまでやってんのかなぁ」
すると、優しげな答えが返ってきた。
「さぁ、いつ終わるのでしょうね」
ふと気づくと、傍らに華の姿があった。
サファイヤブルーの瞳に、月の姿が映り込み、とても美しく見える。
「ちょっぴり怖い思いもしましたが、今日は楽しかったです」
華が、はにかむような笑顔を浮かべた。
「ネズミには、気の毒なことをしましたが」
そんな笑顔につられ、アルも微笑んだ。
「でも、次郎さんがいたら、ネズミを捕まえるのは、猫の本分だって言われそうです」
アルは、次郎が消えた暗闇の方へと視線を送った。
「ええ、その通りですね」
華は、大きく頷いた。
「わたくしは、今まで一度も、家から出たことがありませんでした。あの時、キングさんのいる動物病院で、アルさんからのお誘いがなかったら、こんな風に他の皆さんとお会いする機会も無かったでしょう」
向こうで、ドールと謙信がギャーギャー騒いでいる様子をひとしきり眺めると、華はゆったりとした動きでアルの方へ向き直る。
「アルさん。今日は誘ってくださって、本当にありがとうございました」
言って、華は深々と頭を下げた。
「い、いや。こちらこそ、ありがとうございます」
今度は、アルが慌てて頭を下げた。
お互い頭を下げながらも、途中で、なんだか可笑しくなってきて、思わず二人で笑い合ってしまった。
「華さん、また来月も、来てくれますか?」
「えぇ、もちろん」
そんな華の言葉に、アルも思いっきりの笑顔で答える。
「ありがとうございます」
ふと見上げると、月の光が、柔らかく暖かな光で辺りを包み込んでいる。
相変わらず、向こうの三人は騒がしいかったが、アルの心は、ほんわかと幸せな気持ちに包まれているのだった。
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