しっぽのきもち

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 今日は、久しぶりの快晴だった。  月を見ながらの宴会のあと、雨が降ったり、台風が来たりと、天候に恵まれない日々が続いた。  出歩ける天候でなかったとはいえ、ずいぶん遅くなってしまったから、キングさんも待っているだろう。  アルは、そんなことを思いながら、タコ公園の脇をトコトコ歩いていた。  いつもと同じ光景だけど、ふと立ち止まり、見上げた空は高く、抜けるように青かった。  吹き抜ける風も爽やかで、その中に金木犀の甘い香りを感じて、アルは大きく息を吸い込んだ。 「そうか。もう、秋なんだなぁ…」  そう一人ごちると、彼は再び歩き出した。  キラキラ動物病院は、町で一番大きな動物病院だ。  通りに面して、ガラス張りの大きな待合室があり、白で統一された室内は明るく開放感がある。  待合室の真ん中にはS字型の大きな白いソファー。  向かい合うように、半円形に配置された受付があって、その左側が診察室。  その反対側に大きな掲示板。  そこは、入り口を入ってすぐの右側の壁に作り付けられていて、上下二つに分かれた形で設置されている。  掲示板の上半分には、健康診断のお知らせや、予防接種の案内、休診日のお知らせなどが貼られている。  その下のスペースは、飼い主同士の情報交換の場になっていて、受付に申し出れば、誰でも自由にチラシを貼ることが出来るのだ。  たとえば、近所の公園でのドッグラン開放日や、わんわんパトロールのお誘い、里親探しに迷い猫探しと、チラシの内容は様々だ。  待合室に人影はなく閑散としていた。  すでに午前の診察が終わり、今は昼休みの時間帯だからだ。  アルが窓越しに中を覗くと、受付の上に座っていたキングがその気配に気づき、目を開けた。  やおら立ち上がると、前足を押し出し背中を反らすと、大きく伸びをする。  それから、ひとしきり顔の周りを手で洗うと、次の瞬間、ふわりと受付から飛び降りた。  その大きな体格をまるで感じさせない、華麗で優雅な身のこなしを目の当たりにして、アルは、改めて圧倒されていた。  その金色の瞳がアルを捉えると、導くように掲示板へと視線を動かした。 「迷い猫、探しています」 「七月上旬頃、いなくなりました」  その迷い猫探しのチラシには、細かい特徴が書かれている。 「名前・アレックス。種類・アメリカンショートヘア、シルバータビー。性別・オス。赤い首輪に、銀の鈴。特徴・しっぽの先が少し、曲がっている」  そして、添えられた写真は、まぎれもなく自分の姿だった。  目の前に突き付けられた事実を前に、アルは、複雑な気持ちでチラシを見つめた。 「お前に、間違いないだろう?」  キングの言葉に、アルは黙って頷いた。 「やはりな…」  小さなため息とともに、キングが呟いた。  逃げ出して、街中を放浪していたころは、もう家に帰ることは出来ないかもしれないと思っていた。  でも、命からがら行き着いた先で次郎に拾われ、命拾いしたこと。  猫集会に来てくれる猫を探し歩いたこと。  楽しかった、満月の夜の大宴会。  いろんな出来事が、まるで走馬灯のようにアルの脳裏に浮かんでは消えてゆく。 「僕を探しているんですね、ご主人様は」  アルの言葉に、キングが深く頷いた。 「お前は運がいい。少なくとも、ここに出入りしていれば、飼い主に逢えるかもしれないのだからな。しかし、こうして張り紙を出していても、飼い主のもとへ帰れるヤツは、ほんの少しだ」  言われて、アルは、もう一度張り紙を見つめた。  自分は本当に、家へ帰りたいと思っているのだろうか。  遠い記憶の先に、飼い主や家族の顔が思い浮かんだ。  そんな様子をキングは黙って見ていたが、壁に掛けられたからくり時計が、定時を知らせるため華やかな音楽を奏で始めた。 「午後の診察が始まるぞ」  瞬間、彼の脳裏を過ぎったのは、診察が始まれば、ひょっとしたら自分の家族に会えるかもしれないという思いだった。  しかし、このまま会えなくてもいいという思いも心の片隅にあって、アルは酷く困惑していた。  そんな複雑な心境の中にいるアルを察してか、キングが声を掛けた。 「アル、今日の所は帰れ。何か判ったら、また知らせてやる」  少々ぶっきらぼうな物言いだが、その言葉の裏に優しさを感じて、アルはこくんと頷いた。  窓越しにアルを見送って、キングは再び、受付の上へと飛び乗った。  ゆっくりしっぽを揺らすキングに、アルは小さく頭を下げると、歩道の端を歩き出した。  その時だった。 「兄さん?」  その声に振り返ると、今まさに、動物病院の扉を開け中へ入ろうとする人間が下げたキャリーバッグの中から、声がしたのだ。 「兄さん?」  アルがおうむ返しに呟くと、また声がした。 「兄さんでしょう?」  アルは、慌てて近くの植え込みへ飛び込み様子を窺ったが、なおもその声はアルを呼び続けている。 「麗ちゃん、なぁに? 急にどうしたの。大丈夫よ。今日は予防接種だけだからね~」  猫同士のやり取りなど人間に解るはずもなく、執拗に鳴き続ける彼女に、飼い主が優しい言葉を掛けた。  それでもまだ呼び続ける声に、今度はキングの耳がピクリと動いた。  飼い主は、そのまま動物病院の扉を開けると、中へと吸い込まれていく。 「兄さんって…」  アルは混乱しながら、植え込みの陰からそっと顔を出した。 「兄さん!」  その声も虚しく、飼い主は、そのまま動物病院の扉を開け中へ入っていくと、白いソファーの上にキャリーバッグを置いた。  受付にはキングの姿があり、「俺に任せろ」という彼の視線を受け、アルはするりと植え込みから飛び出ると、そのまま走り出したのだった。
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