しっぽのきもち

1/10
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
大きなタコの遊具が置かれていることから、タコ公園と呼ばれる公園でのことだ。  昼間は子供たちの賑やかな声で満たされているこの場所だが、夜には誰もいない。  草木も眠る丑三つ時。  そんな暗闇の中に、彼らはいた。 「昔と違って、大変住みづらい世の中になってきておる」 「家と外とを自由に行き来することもままならん」 「それどころか、家から一歩も外へ出ない、箱入り息子に箱入り娘のなんと多いことか」 「嘆かわしい」 「ネズミや小鳥の取り方も知らず、集会も知らない世間知らずもおる」  そんな言葉に、皆が深く頷く。 「我々がこうして集まることには、大いに意義がある。なわばりのパトロール、新入りの顔合わせ、転出入の確認。その報告は大変重要である」  その時、ゆるりと雲が流れた。  隠れていた月が姿を現し、辺りは柔らかい月明りに包まれた。 「ようやく晴れたな」  茶虎の猫が空を見上げると、目を細めて呟いた。  すっかり明るくなったその公園には、たくさんの猫たちが集まっていた。  彼らは、お互いに等間隔を取りながら、思い思いに丸くなり座っている。 「この前の満月は、雨降りで中止になりましたからね」  黒の縞模様が特徴的な猫の言葉に同調するように、他の猫たちのしっぽが揺れた。 「しかし、外で暮らすのは……正直しんどいです」  黒の縞模様の猫は、その長いしっぽを揺らすのを止め、ため息交じりに言った。 「新入り、またその話か。お前は、どこの箱入り息子だったのか」  茶虎の猫がため息交じりに言う。 「新入りじゃないです! 僕の名前はアルです。何度も言わせないでください、次郎さん」 「アルなどと、こじゃれた名前だこと」 「そのセリフも、聞き飽きましたっ」  またいつもの言い争いが始まったと、抗議でもするかのように、みんなのしっぽがパタパタと地面を撫でる。 「僕は、この大都会に来てから、飼い主とはぐれてしまいました」  バッグに詰められ運ばれてきたところは、今までいた場所と全然違うところだった。  今までは、家と外とを自由に行き来していたのに、ここへ来てから、家から一歩も出させてもらえなくなった。 「僕の飼い主は、外へ出てはいけない。車に轢かれるかもしれないと、僕を家に閉じ込めて」  小さくため息をついた。 「そんな生活が嫌で、逃げ出して…」  しかし、逃げだした後の生活は過酷を極めた。  元の家へ帰ろうとして、やみくもに逃げ回ったせいか、他の猫のテリトリーへと入り込み、追い立てられるうち、方向が判らなくなった。  車には何度も轢かれそうになるし、寝場所にも食事にも困った。  流れ流れて辿り着いたのが、ここ、タコ公園一帯をなわばりにしている「茶虎の次郎」のところだった。  ここタコ公園の周り一帯には四角い建物が一杯あって、そこには沢山の人間たちが住んでいるようだった。  その人間が定期的にエサをくれるせいか、アルが命からがらたどり着いたこの場所の猫たちは、みな穏やかだった。  もちろん、飼い主の家にいる時と全く同じというわけにはいかなかったが、アルは、やっと寝床と食事を手に入れることが出来たのだった。 「せめて、エサの獲り方を知っていれば、ここまで辛い逃避行にはならなかったと、悔やまれてなりません」  そう言って、彼はすっと起き上がると、ピッと背筋を伸ばして座り直した。 「それで、考えたんです。僕のように、万が一、家に帰れなくなっても、生きていかれる方法を皆さんから教えてもらいたい。そして、それを近隣に暮らす猫たちにも教えてやれたらと」  アルの言葉に、他の猫たちは、一応に顔を見合わせた。 「だめ…でしょうか?」  アルは、タコ公園に来て、近隣の四角い建物周辺をパトロールするうち、ベランダや窓越しに、沢山の仲間が住んでいることに気付いたのだ。 「新入り」  茶虎の猫が、ニヒルな笑みを浮かべた。 「面白そうじゃないか」  その言葉に、他の猫たちは、驚いた表情をみせた。 「来月の満月の晩。ここに仲間を連れてこい。そうしたら、考えてやる」  アルはその言葉に、大きく頷いた。 「約束ですよ、次郎さん」  その言葉を聞いて、アルは立ち上がった。 「こうしちゃあいられない」  あわただしく立ち上がると、彼は、暗闇の中へと消えていった。 「ねぇ君」  次の日。  アルは、パトロール途中に見つけた、白い三角屋根が特徴的な家へとやってきた。  手入れの行き届いた庭には緑の芝生があって、あそこに寝そべったら、気持ちよさそうだなぁと、アルはここへ来るたびにそう思っていた。  そして、家の中からはいつも、素敵な音が流れてくる。  そのテラスに面して、大きな出窓があって、そこにはいつも、白くて毛の長い猫が寝そべって外を眺めているのだ。 「あなた、誰?」  外見は優しそうなのに、やけに高飛車な物言いだ。 「僕は、アル。君、なんていう名前?」  その言葉に、向こうは、きっと目を吊り上げた。 「みたところ、アメショみたいだけど?」 「…あめしょ?」  何のことかと首をかしげると、向こうは、小バカにしたように言い放った。 「アメショって、アメリカンショートヘアのこと。あなた、自分の生まれもご存じないの? 私、あなたみたいな庶民的な猫と話なんてしたくないの」  そう言って、ふんとそっぽを向いた。 「私は、ラグドールって言う高級な猫なのよ」  言って、彼女はふさふさのしっぽを大きく揺らしながら、優雅な身のこなしで、ふんわりと座り直した。 「私の名前は、ドール。パパは大学院の教授で、ママはピアノの先生をしているわ」  彼女の肩越しに中を覗き込んでみると、黒い大きな箱を前に座る人間の姿が目に入った。  この素敵な音は、あの箱の中から流れてきているのか。  どんな仕組みになっているのか、不思議に思いながら、再び彼女へと向き直る。 「君、外へ出てみたいと思わない?」  そんなアルの言葉に、ドールは怪訝そうな顔をした。 「なんで、そんなことを聞くの?」  アルは、自分がここまで来た経緯を話した。  元々人間と一緒に暮らしていたこと、逃げ出して、食べることにも寝ることにも苦労したこと。  でも今は、近くのタコ公園付近を縄張りにしている次郎と言う猫に助けられ、仲間と一緒に暮らしていること。  最近は、礼儀もわきまえず、獲物の捕り方すら知らない猫が増えていることを、次郎が嘆いていること。  そこで、近所に住む猫に声を掛け、猫としての暮らしを一緒に勉強しようと、自分が声を掛けて回っているということを語った。  そんな彼の話を、黙って聞いていたドールが、ゆっくり口を開いた。 「どうりで。ただの野良猫とは、どこか違うと思ったわ」  ドールは、アルを下から上まで、品定めでもするかのようにじっくり眺めた。 「額のM字の模様。目尻のクレオパトラライン。背中のバタフライ模様。脇腹のターゲットマーク。あなた、血統書付きの立派なアメリカンショートヘアね、きっと」  ドールは、一応の警戒心を解き、アルを見つめた。  彼も、立派だと言われれば、まぁ悪い気はしない。 「…それは、どうも」  アルは、小さく頭を下げた。 「まぁ、いいでしょ。そうそう、さっき言ってた一緒に勉強すること。少しは、考えてあげても良くってよ」 「ほんとに?」 「えぇ。考えるだけだけど」  最初の高飛車な態度を見れば、すげなく追い返されると思っていただけに、一応考えてくれると言う返答に、アルはちょっと嬉しくなった。 「ありがとう。返事は急がないよ。他の猫にも声かけてくるから。また、来てもいい?」  そんな彼の言葉に、彼女はついっと横を向いた。  その仕草を、アルは肯定だと受け取り、踵を返した。 「でも、そのしっぽだけは、頂けないわね」 「……え?」  思わぬ言葉に、アルは立ち止まった。 「だって、しっぽの先が曲がっているんですもの」  アルは、思わずしっぽをくるりと回した。  言われてみれば確かに、しっぽの先が少し、曲がっているようにも見える。 「他は完璧なのに、ホント残念だわぁ」  言いながらドールは、ヒョイっと出窓からいなくなってしまった。  そして、曲がったしっぽが残念だと言われたことに、アルは酷く困惑した。   今まで、そんなこと考えもしなかったし、気にしたこともなかったからだ。  瞬間、まだ自分が小さかった頃の光景が、ぼんやりと頭に浮かんだ。  曲がったしっぽ。  他の兄弟に言われた言葉。  あれは、確か… 「兄さん、ごめんなさい。私が悪いの」  あの言葉の意味って。  はっと気付くと、白い三角屋根が、夕陽で赤く染まっていた。  アルは、小さく息を吐くと、通りの向こうへと走り去っていった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!