1 Over the White Hole

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1 Over the White Hole

『事象の地平線を超えて飛び込む物質を、再び外部へ逃がさずにブラックホールはすべてを呑み込む。これがブラックホール説と呼ばれるものだ。 それと同時に、一般相対性理論で議論されるもの、つまりはブラックホールの対になるものとしてホワイトホールというものが存在し、語られている。 それは、あらゆる物質を放出してしまうと言われている宇宙上の謎の存在だ』 『さて、このホワイトホールは本当に存在するのだろうか? 存在するとしたら、どんな物だと思う?』 *** 俺は夢を見た。真夏の夜のことだった。 全身汗まみれで起床したのは二度寝した後の午前6時半。 夢を見たのはずいぶんと久しぶりな気がする。 なぜこのような夢を見たのだろうか。 ああ、睡眠剤だ。そいつを切らしてたんだった。 今日の仕事帰りにドクターの元に寄らないと。 仕事が終わった後の予定を脳内で立てながら、制服に着替える。 「おはようございます。マスター」 「ああ、おはよう。ハル」 銀髪のショートヘア、黒のワンピースに白のエプロン、人形を思わせる関節を鳴らしながら彼女は深くお辞儀をした。 研究の補佐役兼世話役として、支給されたロボットである。 家事などを担当するほか、資料作成に必要な書類なんかも揃えてくれる便利な奴だ。 俺にとってはそれ以上でもそれ以下でもない存在だ。 いつものように天気予報を確認する。 「本日の天気はおおむね晴れる予報ですが、一時雨が降る地域もございます」 時代が変われば、その言葉の意味も変わる。 彼女の言う雨は、氷の塊が溶けたもののことではない。 この世界では、鉄製の弾丸のことをさす。 人を殺すために生まれたシステムだ。 気象管理を越えて、人間を大量殺戮する兵器と化していた。 「マスター」 「何?」 「あれだけドクターの下に行けと言ったのに……あなたという人は」 渋い表情で俺を見ていた。 薬が切れる頃だから、病院へ行けと口を酸っぱくして言っていた。 行かなければと考えているうちに、頭からこってり抜け落ちていた。 別の作業に集中していると、今まで考えていたことを忘れてしまうのだ。 改善すべき欠点ではあるのだろうけど、もはや気にすることもなくなってしまった。 「ねえ、ハル」 「何でしょう?」 「今日、ひさしぶりに夢を見たんだ」 「そうですか」 椅子に座った俺の前にカップを置いて、淡々とコーヒーをつぐ。 「本を片手に講義してる夢だ。それも、たった一人の生徒のためのな」 夢の中で、俺は本を片手に教壇に立っていた。 目の前には、女子生徒がひとりしかいなかった。 彼女の周りを空席が囲んでいた。 「あんな生産性のない講義に意味があるとは思えない。 けど、そこにいる俺はすごく楽しそうだった」 何かを夢中になって語る俺の姿は、ひどく眩しかった。 夢の中の俺はブラックホールについて語っていたが、あの話の後に続きがあったのだろうか。 「……何であんな幸せそうに見えたんだろう」 俺のつぶやきに、ハルは不思議そうに首をかしげた。 「同じ俺のはずなのに、何が違ったんだろうな?」 大学院を卒業した後は、念願の気象科学研究所に就職することができた。 そこで、俺たちは気象管理システムを生み出した。 研究所全体で行った大規模なプロジェクトだ。 最初は世界中の気象を把握する程度のものだったが、ロボット自身が天候を自由自在に操作できる。自律思考型ロボットへ進化を遂げた。 天候を調整できるおかげで、様々な環境問題を解決してきた。今や、世界はロボットの手中にあると言っても過言ではない。 人工知能は人類よりもはるか先を進んでいたのだ。 俺たち研究員はその最前線で働き、名誉も与えられた。 将来を不安に思うことなく、生活もできている。 誰もが夢見る成功の道をたどっているはずだ。 人々はそのシステムを「ウィズダム」と呼んでいた。 しかし、環境汚染を進めている原因にとうとう気づいてしまったらしい。 皮肉なことに、自分を生み出した人間である。 その末に訪れたのが、ロボットが人間を滅ぼさんとする世界だ。 その気象ロボットは「ディザスター」と呼ばれ、人々から恐れられている。 研究員もカルト宗教の信者か何かのように扱われるハメになった。 「何が楽しくて、あんなことやってんだか……」 なぜだろう。夢の中にいる自分を忘れられない。 あの姿に嫉妬すら覚えてしまうのだ。 「あくまで、夢の中の話ですから。 あまり気にしていても仕方がないと思います」 「そりゃ、そうなんだがな……」 選んだ道に後悔はしていない。充実した日々を送れている。 なぜだろう。うらやましくて仕方がない。 「ブラックホールの対として、ホワイトホールが理論上存在する。 吸い込み口に対する吐き出し口ってことなんだろうが、その先に夢の世界の俺がいるのかね」 「貴方の場合、雑談ばかりしていそうですね」 「実際、そんな感じの夢だった」 何をどうしたら、ブラックホールの話題に行きつくんだろう。 まさか天文学の講義というわけでもあるまい。 この訳の分からない感じも夢だからだろうか。 生徒と議論している俺の姿とともに、コーヒーを飲み込んだのだった。
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