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まるで水中を泳ぐような気持ちで、意味もないのに霧を掻き分けながら車へ向かう。助手席に乗り込み事務所の入り口を振り返っても、当然のようにそこに田中さんは見えなかった。
すぅ、と事務所の入り口が見えたり消えたりする。
それなりに年季の入った工場は、距離を置いて見るとそれなりに迫力がある。
最後の田中さんの言葉と表情を思い出す。
『箱根ターンパイク。別名、霧のターンパイクと呼ばれていて、よく霧が出るんです。でも夜で、しかもこんなにひどいのは久しぶりだ……。帰り道、どうか、お気をつけて……。』
「あ、あのさ。」
運転席で座席の高さを調整している龍晶に声をかける。「これ、フラグ立ち過ぎじゃない??」
左手で軟骨ピアスのあるあたりを掻きつつ、龍晶が無表情でこちらを見る。
別に不良っぽいわけじゃないのに、やけにこのピアス似合うんだよね、なんてぼんやり思う。
「何のフラグ?」
「これだって、ジャンルがホラーじゃない?濃霧、山奥の工場、消える田中さん。二人の男女。このあと起こるのって絶対……」
「……。田中さん、消えてないよ。」
この淡白っぷり。この人ほんとに、私に告白して来た人だっけ??あれ、罰ゲームだったりした?やっぱり?
いよいよ不安になる。
トントン。
助手席の窓ガラスから音がして、振り向くと男性の顔があり、「ひっ」と声をあげる。
と、それは田中さんだった。
「そっちで開けて。」
言われた通り、自分の手元のスイッチを押して、恐る恐る窓ガラスを下げる。
「忘れ物だったよ!」
肩にかけていた赤いカーディガン。その布の赤さすら怖くなって、茉央はぎこちなく笑いながらお礼を言った。
田中さんの背中は、また霧の中にすぅ、と消えた。
「んじゃ出発。」
龍晶がセレナのサイドブレーキを外し、ゆっくりとタイヤが転がり始めたのを感じた時。茉央は頭の中にはっきりと言葉が浮かび、その言葉に苦笑した。
五里霧中。
この道中も、オツキアイも。
何がなんだか、まるで見えないじゃないか。
何故か横にいる龍晶だけが、まっすぐ前を向いている。
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