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卒業証書でも受け取るかのように丁寧に両手で受け取ると、早足で自分の席に戻り、座ったと同時にパソコンのキーボードを叩き始める。
自分の作った企画書を改めて見ると、一行目からすでに分かりづらさが表れていた。誤字脱字、構成、ざっくりと見ただけで、「そりゃあ怒鳴りますよね」と思ってしまった。
全てを見返すというより、目を通しながら直していく。そうでもしないと、編集長の言う五分には到底間に合いそうにない。と言うか、そもそも五分では無理な話だ。
いつもなら、ここまでひどい企画書を出すことはまずないのだけれど、言い訳をするならば、これを作っていた時に、違う部署の年下だと思われる男性に告白をされたからだ。
驚きを通り越したその先を、人生で初めて目の当たりにしたのもその日だ。
なんでも、颯爽と歩く姿に仕事のできる女性だと想像し、憧れにも似た感情が、いつの間にか恋心に変わっていた、らしいのだ。
私からすれば身に余るほどの申し出だったけれど、私にも、一応タイプはある。長い間恋人がいないからと言って誰でもいいという訳ではない。
友達には、「とりあえず付き合ってみれば」、とは言われたけれど、丁重にお断りしたあとだったし、とりあえず付き合うなら、付き合わない方がいいと思ってしまうタイプだ。今、この瞬間までは。
とにかく、そんな事があったものだから、心が落ち着かないまま仕事をしていたのが今回のこのミスにつながったと言っても過言ではない。もちろん、そんな言い訳が宮元編集長に通じるわけがないことも分かっている。
例の彼とは、そのうちまた、社内で顔を合わせることもあるだろう。それを思うと、なんだかもやもやした。そのもやもやを吹き飛ばすように、大げさなくらい首を横に何度か振った。前の席の鈴木くんに不思議そうな顔で見られながらも、笑顔でごまかしてから手元に集中する。
「どんだけ時間かかってんだよ」
怒鳴るでもなく、淡々とそう言われた。温度にすると、マイナスをはるかに越えていそうなほど冷たい言い方だった。
例の企画書を書き直し、編集長に手渡せたのは五分後、をさらに過ぎ、十分や二十分では時間が足りず、三十分を過ぎた頃、ようやく編集長のデスクの前にたどり着いた。
企画書と編集長のにらめっこを緊張しながら待っていると、持っているそれをふわっとデスクの上に置いた。
「こっちの方がいいな」
顔を上げると、それが笑顔だと分かるのに三年はかかっためちゃくちゃ分かりづらい笑顔を見せてくれた。
──マジで分かりづらいから。
心の中でそっと悪態をついてから、頭を下げて背中を向けた。
「市ノ瀬」
呼ばれて一秒もかからないうちに振り返る。
「ちょっといいか?」
「はい。今、ですか?」
「行くぞ」、と言われれば、「どこに?」などと聞くのはもはやご法度で、言われるがままに付いて行くのが一番賢いと、勝手に思っている。
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