第一章 大永元年

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武田軍が荒川を越えて、府中へ戻ったのを見た長綱は、富田城へと駆けた。 城内では敗戦のショックで落ち込んでいたが、正成はまだ再戦の気構えがあった。 長綱を見ると、 「伊勢殿はいくさ見物に参ったか」 と正成は皮肉をいった。 それを真正面から受けず、 「われらは数百の手勢。とてもお役には立てん」 と長綱はこたえた。 「フン!われら、もう一度、押し出してみせるわ」 長綱には、正成が、ここで撤兵できない理由が分かっていた。 今回の出兵は、半ば主戦派の福島一族が、今川家中の反対を押し切って決めたもので、このまま敗戦で帰れば、ヘタをすれば粛正の憂き目に遭う。 今川の家中は、当主氏親を戴きながらも、今は、まだ国人層を統合している途上にあり、後の義元の時代のような帝国的性格はまだ確立されていない。 今回の出兵も今川家中の対立から生じたものだった。 (今川の内部矛盾を吐き出すための出兵であるとすれば、武田の方こそ良い迷惑であろう) 長綱は敵であるはずの武田に申し訳なく思った。 「伊勢殿は、箱根の別当職として、学問を重ねたとある。もし兵法にも通じているのであれば、ご指南仕りたい」 正成の言葉に、 「まずは荒川の河原のいずこかで、正面きって対戦致しまする。両軍、がっちと組み合っている最中に、わずかな手勢で結構ですので、荒川を渡り、空になった府中へ乱入し、これを占拠。大膳太夫の北の方以下を質にとり、武田を降伏させまする」 と長綱はこたえた。 正成は笑い、 「正面きってのいくさにはのってこまい」 どうする?と尋ねてくると、 「そこは正々堂々、果たし合いでござる」 と長綱はこたえた。 「どういうことだ?」 「某が武田館へ参り、合戦の期日を打ち合わせまする」 さも当然そうに長綱がこたえると、 「ほーそんなことができるのか?」 正成はいぶかしんだ。 「武田館への訪問の口実はありまする」 まずは、それまで、この富田城でゆるりとご休息され、と長綱はいった。 その口実の機会はすぐに来た。 11月3日、武田信虎の正室である大井夫人が男子を出産した。 後の武田信玄である。 早速、長綱は、そのお祝い言上として、箱根神社別当職の資格で、つつじが崎の館に入った。 供も連れない単身で、得物も武田の家士に預ける慎重さである。 「いや、これは箱根殿には、わざわざのご来館痛み入る」 信虎自らが出迎え、 「すぐる年、ご先代の伊勢宗隋殿が、この甲斐へ入られた折は、この信虎、難儀致しました」 といった。 長綱は烏帽子をつかんで恐縮して見せ、対面の間にて、「命名 勝千代」と書かれた檀紙を戴いた三宝を拝見した。 「どうであろうか、祝い言上とあれば、箱根の大祝いとして、榊をお祝いただくことは」 今の長綱は舞えといわれれば舞ったであろう。 長綱は三宝の前で榊を振り、男子の出生を寿いだ。 箱根の別当自らに祝わせた信虎は満足そうだったので、長綱は対戦の 期日について切り出した。 「これは弓矢の日取りを決めらるるとは」 信虎にとっても意外な申し出だったが、長綱はここは正直にいった。 「われら手ぶらでは帰れませぬゆえ」 信虎も、今川の事情は知っていた。 「よろしい。23日に上条河原ではいかがか?」 「承りて候」 信虎の提案を長綱は受けた。 長綱を府中まで送った武田の家臣板垣信方は戻ってから、 「やはり神職でありますな。あの伊勢宗瑞の御子であるのが信じられませぬ」 と本日の客人についての所感を語った。 「だったらよいのであるが、今の当主・氏綱もなかなかのもの。家督を相続するなり、韮山から小田原に本拠を移し、これから伊勢は関東を目指すぞ、と宣言しおった」 信虎は、氏綱の器量について語り、さらに長綱についても、 「本日の箱根の別当は、宗瑞の四男であるため箱根に出されたというが、案外、人物かもしれんぞ」 といった。 「武将としての片鱗を感じさせないところが、また、武将らしいかと」 板垣信方も賛同した。 「本日、切らなかったことを後悔する日が来なければよいが」
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