第一章 大永元年

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11月23日、上条河原で両軍は激突した。 狭い河原で両軍混戦となったとき、すかさず、 「われら伊勢勢は、これより上流へ駆ける。駆けて荒川越えて府中を取る」 と長綱は馬に乗ろうとしたが、大道寺八郎兵衛が諫めた。 「勝ちすぎてはなりませぬ」 「われらが動けば勝てるぞ」 と長綱はいったが、 「今川に甲斐を取らせれば、わが伊勢は小田原の北に、今川の勢力をかかえることになりまする」 となれば、今後の関東における両上杉との戦いにはよろしくない影響がありまする、と八郎兵衛はいった。 (バカな) 今川とは同盟関係にある。 当主・氏親は、先代宗瑞の甥であるし、その生母・北川殿は今も健在である。 その氏親の正室は、先代宗瑞が紹介した京の公家中御門の姫君であり、なにより大名としての伊勢家の成立は、先代宗瑞の北川殿と氏親への親族としても情から始まっている。 その今川に甲斐を取らせれば、来るべき関東進出のとき、小仏峠を越えて多摩へ入る道が開けるではないか。 それが分からないのか、と思っていたところ、戦場にて、板垣信方の軍勢が、正成の本陣へ突入するのが見えた。 わずかな間隙を縫っての見事な突入であり、割って入った本陣に正成の姿が見えると、板垣信方は、従ってきた徒士たちのすべてに携えた手槍を投げるように命じた。 福島の本陣の上を無数の手槍が飛び、その一本が正成を貫いた。 正成が手槍に刺されて倒れたとき、 (終わった) と長綱は思った。 「板垣駿河守、福島左衛門太夫を討ち取ったり」 板垣信方が叫ぶと、一斉に武田軍が、福島軍の本営に躍り込み、またたくまに六百ほどを討ち取った。 福島勢は浮足立ち、潰走を始めた。 「まずい。このままでは討ち取られるままぞ」 長綱は馬に乗った。 「いかが致しまする」 八郎兵衛が手綱を握ると、 「武田大膳太夫の背後を討つ」 討てば、味方の退却の余裕ができるだろう、と長綱はいった。 福島勢が潰走し、河原から消えようとしたとき、武田軍との間が開いた。 すかさず長綱は、浅瀬に馬を乗り入れ、そこから信虎の本陣を目指した。 手薄になっていた信虎の本陣は動揺した。 本陣へ川から上がって来た武者が何者であるか分かった信虎は、 「やはり殺しておくべきだった」 といったが、その顔は笑っていた。 馬上、太刀を振るう長綱に、武田の徒士は手槍で応戦したが、そのうち、本陣危うしと見て、福島軍を追撃してきた武田の兵たちが戻ってきた。 長綱は、頃は良し、とその武田の兵たちが駆けてくる方向へ駆け、その兵たちに紛れるように抜けていった。 その退き様を見て 「見事なり、北条長綱」 と信虎は感嘆の声をあげた。 わずか一騎で、敵の本陣へ斬り込み、味方の退却を援けたその働きに目を見張った信虎は追撃中止を命じた。 見事な本陣突入を見せた長綱への馳走というよりも、追撃に備えて、長綱が仕掛けているかもしれない智謀の罠をおそれたのである。
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