第三十章 会盟

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「北条早雲の民の持ちたる国のことわりに従う小田原のこれが有様か?百姓の王たれという早雲の言葉を忘れたのか?同じ早雲の教えを奉ずる身として恥ずかしいぞ」 「おそれいりましてござりまする」 氏康は低頭した。 「こたびの和睦の条件として、まずは富士郡の袖乞いを引き取ること。さらには、それらに施しを致した富士郡の百姓に相応の償いをすべきこと」 義元の条件を、氏康はのんだ。 「孫九郎」 と氏康は次の間に控える大道寺孫九郎を呼んだ。 孫九郎が三宝に碁石金を山と積んで入ってきた。 それを義元の前に置くと、退出していった。 「総額で一千貫文の支度がございます。これなるはその一部であります」 氏康が言上すると、義元は、その三宝を押し頂き、背後の松平竹千代の前に置いた。 「竹千代。そなたは算盤がはじける。持ち帰って、後ほど届けさせる富士郡の人別帳で割り込め」 松平竹千代は低頭した。 それを見て、氏康と晴信は、こんな童に銀勘定をまかせるのか、と顔を見合わせた。 「ここからが本題。和睦の肝心かなめは領地のことであるが、われらは、富士川以東はそっくり返してもらいたい。また、今後もこれらの地域には興味をもたないでもらいたい。小田原の領分は黄瀬川以降と致したいがいかがか」 義元の要求に、氏康は威儀を正した。 「某に異存はござらぬが、こたびの出兵はなにかと物入りでありまして、このまま撤兵では家中の者がおさまりませぬ」 そこまでいて氏康は黙った。 気まずい沈黙を破るように、晴信がいった。 「左京太夫殿のご事情もありましょう。ここが手ぶらでの撤兵はいかがかということで」 「フーム。では、大膳太夫殿には、これなる左京太夫に見返りを与えよ、といわれるか」 義元の問いに、 「先ほど、治部大輔殿は、これからも富士川以東の地には、小田原に入ってきてほしくないといわれましたが、それはご本意か」 と晴信は再度問うた。 「さようであるが」 義元がこたえると、 「であれば恒久的平和のために、あらたなる絆、相模と駿河で結ぶ 必要ありましょう」 と我が意を得たりとばかりに晴信はいった。 「なるほど。左京太夫には、そのことについての支度はあるのか」 義元が問うと、 「氏真様にわが姫をもろうていただければ、と存じます。富士川以東の占領地は、その引き出物として末永くお返し申し上げます」 と氏康は言上した。 「文香」 と義元は尋ねた。 「そなたに姫はおるのか」 文香は茶釜の前で、 「あいにく年頃の姫は、皆、お相手が決まっておりまして。残るはまだ八歳の千萱のみになりますが」 と困惑して見せた。 「その、ちがや、とやらは、そなたが産んだ子か」 「はい。さようですが」 「ならば、そのちがやで良い。満ちるまで待つ」 この兄妹のやりとりで後の氏真と早川殿(蔵春院殿)の婚儀が決まった。 「おめでとうござりまする」 晴信が述べると、健乗が文机を持って入ってきた。 「これより起請文を作成いたすが、文香、そなたの水くきの跡が久々に見たくなった」 「私が、ですか」 戸惑ったが、いわれるがままに文机に向かい、檀紙に、 「和談の御祝ひ御盃とりかわしあり、会盟の験(しるし)として氏康の嫡男氏政は晴信の婿となり、義元の家督氏真は氏康の婿となることを約束して目出度く御帰陣、其後御祝儀の使者三宝へ往来す」 と「北条記」「北条九代記」「関八州古戦録」に記載された善徳寺の会盟の要旨が認められた。 その墨が乾く間、 「としよりどもをこれに」 との義元の声で、別室に控えていた長綱、信虎、雪斎が招き入れられた。 この三人は方丈の隅に座ると、制約の儀を見守った。 義元が起請文をいただき、 「一、小田原は富士川以東より兵を引き、以後、これなる地に野心・興味をいだかぬこと。 一、小田原の領分は黄瀬川までと心得ること。 一、三国互いに誼を通じて、第三国より侵襲受けたるときは、和談のあっせん、いくさの合力などで助け合うべし」 などの条項を読み上げた後、氏康・晴信に回覧し、 「異議なし。あとは神水にして飲み下さん」 として、健乗は起請文を火鉢にくべて灰となし、その間に文香が三雄に酒を注いで回り、その盃へ灰を落とした。 それらを富士の眺望に捧げ報じてから、一気に飲み干した。 と同時に、 「おめでとうござりまする」 方丈の隅にいた三人が声を上げた。
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