第三十章 会盟

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「われら、この日のために骨折りした甲斐がありましたのう」 信虎が泣くと、 「父上・・・・いや、陸奥守殿、そのように申されては」 と晴信がとまどった。 だが、その思いは長綱も同じだった。 (これで、わが事なれり) 自分の人生に課せられた使命は終わった、という思いだった。 これで、少なくとも東国三国の和平は実現した。 享徳以来百年続いた関東の戦乱にも一区切りついたことになる。 「これにて寿桂尼様もお喜びであろう」 雪斎が感慨深げにいうと、 「そうだ。これからはいつでも寿桂尼様に会えるぞ」 と義元は文香にいった。 「思えば、われらは親類、わがご簾中と寿桂尼様とのことを思えば、駿河と小田原でこれまで誼を通じなかったことが不思議」 氏康がいうと、 「さよう、さよう」 と雪斎が応じた。 健乗が若い僧に精進料理を持たせて入ってきた。 「寺故、何もありませぬが」 和談成立の宴を、と膳を勧めた。 長綱、信虎、雪斎も割って入り、松平竹千代が退出しようとしたが、 「竹千代殿もこれに」 と文香にとどめられた。 「三年早い」 義元がいうと、 「御所が目をかけられているお子でありましょう。ここで、これなる方々と膳を供にされるはよき後学となりましょう」 と文香に諭された。 「これなる雪斎をはじめ、虎だ、蝶だ、とほめそやすことが酷いことだといっても誰もわからぬ」 義元がいうと、雪斎が笑った。 「そういう御所が、いちばんお目をかけておられる」 いわれて、義元は眼もとを緩ませて、竹千代を末座に座らせた。 文香が酌をして回り、会話がはずむ中で、竹千代は隣り合わせた長綱と話した。 「幻庵殿は、権現様と呼ばれておりますとか」 「うむ。永く生きすぎたようで」 「いえ、箱根の山中や久野の館にて、近在の百姓に施しをなされるとか。特に薬の施しが有名でありますとか」 「それは武蔵の大井より取り寄せた桔梗が、わが咳・痰に手当てした後、余った故、施したことから広まったことであろう」 ことなげにいう長綱に、竹千代は尊敬の念を持ったようだった。 「やはり薬は庶人の心に響くのでしょうな」 竹千代の問いに、 「そうだ。病がいちばんの人の苦しみだ。まずは病への不安を取り除いてやる。それがまつりごとの基本だ」 と諭してやった。 それを聴いて、竹千代は、自分も権現と呼ばれるようになりたい、と思った。 このときの竹千代はよもや五十年後、この駿河の地に表向き引退した自分が、趣味で製造した薬を近在住民に施して生きながらも権現と慕われ、死後、それを冠した華麗なる廟堂が孫の手で北関東の地に建立されようとは思っても見なかった。 酒が入るにつれ、長綱は冗舌になった。 「松平党の平攻めこそ、いくさの基本よ。世の大将どもは、やれ、孫子だの、と兵法にこだわるが、そのようなものは多少の兵差によって補えてしまう。いかなる陣立ても平攻めの重ねによって敗れてしまう」 なぜ、長綱はこのようなことをいったのか分からなかった。 ただ、かつて勝千代といった綱成に見た資質を、この松平竹千代に見出したからかもしれなかった。 このとき長綱にいわれたことを、竹千代は、終生忘れず、はるか後年、天正十年八月十二日、黒駒の合戦にて御坂峠を越えて来た北条の軍勢を、平攻めの重ねによって破ることになるのである。 夕刻、宴が終わった後、氏康と晴信が善徳寺を出た後に、富士山を望む回廊に、義元は、長綱と文香を呼びよせた。 「千萱はまだ幼く輿入れまでときを要するであろう。その間、男子を駿河に送ってほしい」 要は人質、ということなのか、と文香は顔を暗くして、 「男子といえば、側室が産んだ乙千代丸がおりますが」 と文香がいうと、 「いや、そなたが産んだ男子が良い」 と義元は即座に拒んだ。 「私の子でありますか」 文香が戸惑うと、 「寿桂尼様の血を引いた子が欲しいというのだ」 と義元は説明した。 「氏真以外にわしには男子がおらぬ。今のままでは、氏真の藩屏となるべき身内の男子がおらぬのだ。先ほど、相伴した松平竹千代はその候補だが、まだ初陣させぬとその器量は分からぬ。それゆえ、もう一人、男子が欲しいのだ。箱根の前の別当よ、心当たりの男子はおるか」 義元の問いに対して、長綱の脳裏には、現在、七歳になる小田原に在る男子のことが浮かんでいた。
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