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「ほんじゃあなんぞ?子供さ、危険な目に遭わせぇと?」
「んなこと言ってせん!んだども祭りの決まりじゃけなぁ!」
ばあちゃんとじいちゃんが揉めるのはいつものことだが、それにしても様子がおかしかった。本気でお互い困っている時の空気。こういう時は、孫の出番かな……。
時計を見ると、まだ六時。年を取ると朝が早いってのは、本当みたいだな。重たい体に鞭を打って、俺は一階に降りた。
「ばあちゃんたち、何喧嘩してんの?」
「お、おお茂治。なんでもなか。まだ朝も早いに。寝とれ」
「そういうわけにもいかないだろ。あんな大きな声を出されちゃ」
「……すまんかったのう。あぁいや。ばあさんも」
「いやいや……。私も悪かったねぇ」
二人は落ち着いたようで、椅子に座った。
食べね。と言って、ばあちゃんがミカンを手渡してくれた。ミカンは俺のイメージでは、冬とこたつのトリオだったが、この家は一年中置いてある。
皮を剥き、口に放り込んだ。甘味が強いタイプか……。好みじゃないけど、剥いたからには仕方ない。
「何があったんだよ。朝から喧嘩なんて」
「……今年の、夏祭りやけど」
「あぁうん」
「中止になるかもしれん」
「……マジ?」
夏休み、俺は毎年、この家で一週間くらい過ごす。というのも、今話題にあがった、夏祭りを楽しむためだ。
けど……。中止?
「どうして?」
「三日後、でけぇ雲さやってきて、大雨大嵐だどよ。船出せるわけもねぇべや」
「……」
ばあちゃんが答えると、逆にじいちゃんは黙ってしまった。
「……じいちゃん?」
「……船を出さねぇと、海の神が怒んだ。今年のお供え物はどうしたぁって。ばあさんも覚えとろう?三十年前のこと。祭りサボったら、村に記録的な大雨さ降って……」
「んだども、船に乗るのは子供じゃ。それは……」
ばあちゃんが俺に目を向けた。
夏祭りの一番のイベントは、子供が何人か船に乗って、お供え物……。果物なんかを海に放り込み、海の神様の怒りを鎮める。通称神冷ましだ。
「さすがに嵐はなぁ」
俺、金づちだし。
中学二年生にもなって、プールには浮き輪がないと入れないくらい、ダメダメなんだよな。
「案山子を立てればええ。古い船に供え物さ乗っけて、それでそのままドボンでええじゃけ」
「……嫌な予感がするだ」
「じいちゃんの勘って……。よく当たるもんな」
「当てたぐねぇけどな」
じいちゃんは笑ったが、その笑顔が悲しそうだった。
「俺、せっかく早起きしたし、ちょっと外を歩いてくるよ」
「おお、気を付けてな」
「茂治。ケガすんでねぇぞ?」
二人とも、心配症だ。
家を出て、海岸沿いを歩く。明日大嵐が来るとは思えないほど穏やかだった。
しばらく歩いていると、前方に人が……。
「お~い!秀華~!」
声をかけると、秀華がいつも通りの仏頂面で、こちらに駆け寄ってきた。
秀華は俺と同じ中学二年生で、この村の子だ。毎年帰省した時は、何度か遊ぶくらいの関係。なんだけど……。なかなか心を開いてくれないっていうか、ムスっとしてんだよなぁ。
「秀華、おはよう」
「……ん」
挨拶もそっけない。でも、呼んだら来てくれるし、嫌われてはないのかなぁって。
「茂治。どうせまた帰るでしょ?」
「え?」
唐突な質問だ。
「そりゃあ、帰るだろ」
「……」
「……なんだよ」
「去年、帰りの挨拶がなかった」
「あ~……」
確かに、ちょっとバタバタしてて、何も言わずに帰っちゃったっけ……。
「ごめんな。今年はちゃんと、挨拶するから」
「絶対」
「うん。約束するよ」
「なら、許す」
許してもらえたみたいだ。あんまり納得した表情には見えないけど……。
「あ、そうだ。夏祭りの話、聞いたか?」
「聞いた。ないんでしょ」
「えっ、いや、無いかもっていう」
「無いよ。もう決まった」
「そうなのか……」
確か、秀華の親は、夏祭りの実行委員を務めていたはずだ。確かな情報だと思う。
ばあちゃんたち、また喧嘩しないといいけどな……。俺から言うの、なんか嫌だなぁ。
「東京って、楽しい?」
「またいきなりだな……」
「楽しい?」
秀華が距離を詰めてきた。すぐに答えないと、叩かれそうだ。
「た、楽しいよ……。普通に」
「こっちと、どっちが?」
「それは……。比べるもんじゃないだろ」
「ふぅん」
長く過ごすことを考えたら、東京の方が楽しいし。
……けど、夏祭りがないってなると、だいぶ、分が悪いかもなぁ。
「だから、帰るんだ。東京に」
「だからっていうか……。うん」
「ウチより、可愛い子、たくさんおるの?」
「……」
「答えて」
「……お前は多分、結構可愛い方だと思うぞ」
「方ってなに?ちゃんと言って」
「わかったわかった……」
秀華の詰め寄り方が強かったので、俺は慌てて距離を取った。今日はやけに、攻撃的だな……。
正直、俺の見方が悪いのかもしれないが、別にこれといって、可愛い子がいる学校でもない。という点はあるとしても……。
「そうだな。秀華が一番かわいいかも」
「……あほっ」
「痛っ!?」
肩を思いっきり叩かれた……。照れ隠しだと思うけど、重たいパンチだったなぁ。
「帰るっ」
「あっ、おい……」
早起きは三文の徳。なんて言ったのは、どこのどいつだろうな。
家に戻り、夏祭りの件を告げると、二人は意外と落ち着いて聞いてくれた。
「さっき、寛治から電話があったでぇ」
「父さんから?」
「おお。三日後のは、結構な嵐で。もう避難せんとらしい。茂治も、今日の昼には迎えがあるでな」
「そうか……。まだ二日目なのに」
「でぇじょうぶ。わしら、そう簡単に死なんでなぁ。また来年も来てくんよ」
「うん……。ありがとう。じいちゃん。ばあちゃん」
それにしても、今日の昼か……。
……って、そうだ。秀華に話に行かないと。また怒られる。
さっき解散したばかりだったので、秀華は意外とすぐに見つかった。
「何?そんな走って」
「はぁ……。ふぅ……。えっと、さ。俺、今日の昼で帰るから」
「……え?」
「ごめんな。あんまり遊べなくて。でもまた来年来るからさ!」
「……」
「秀華?」
「東京、そんな好きか?」
「え?いや、嵐が……」
「別に、うちに泊まってけばいいんに。なんで?なんですぐ帰ろうとするん?」
秀華は明らかに怒っていた。確かに、いつもは一週間くらいいて、他にやることもないから、一緒に遊ぶことも多いけど……。
「そんな、急に迷惑だろ?泊まるなんて言い出したら」
「ウチが言うから。来て」
秀華に腕を引っ張られる。俺はその手を逆に引いて、引き留めた。
「もうさ、中学二年生だし……。あんまその、わがまま言う歳でも無いと思うんだよ。な?」
「……なんね」
「別に、これでお別れってわけじゃないし」
「……知らん」
「困ったな……」
「ウチ、東京行くつもりなの」
「えっ、そうなのか」
初めて聞いた。
「高校から?」
「そう」
「なるほどなぁ~。これまたどうして?」
「……わからない?」
「もしかして……。俺に会いたいから?なんつって」
冗談のつもりでそう言った。
――なのに、秀華は泣いてしまった。
「えっ、えぇ。な、なんで?」
「ウチ、待てんよ。高校生まで待てん。行くって決まってんに、なんで三年生もここでやらんといけん?」
「落ち着けよ……」
俺は秀華の背中を擦った。
「ウチがここにいる間に、茂治、東京の女に取られしまうかもしれん。そしたら行っても意味無い。一年も待てん。今行きたい」
「そんな文句言うなよ……。だいたい秀華、あんなに仏頂面でさ。俺のこと……。そんなに慕ってくれてたか?」
「……知らん」
そこ、一番重要なところなんだけどなぁ……。
「東京、行くって決まったら、急に茂治が近くなった。ここにおれんと思うようになった。寝ても冷めても、あんたのこと考える。不安になる。それで……。今年はもう帰るって、なに?わからん。どうして?なんでこうなってしまう?」
「それは海の神様に聞いてくれよ……」
「……来年、絶対来れる?」
「来るって。ちゃんと」
「東京の女と、イチャイチャせん?」
「それは……」
「イチャイチャせん!?」
「わ、分かった。しないから」
「……ん」
秀華が、薬指を、俺に突き出してきた。
「約束」
「これって……。普通、小指じゃないのか?」
「いいから」
「動かしづらいな……」
なんとか薬指同士を絡ませ、俺たちは約束を交わした。
「じゃあ、絶対だよ」
「おう。また来年な」
「うん」
☆ ☆ ☆
薬指にはめた指輪を見るたび、俺は秀華との関係が一歩進んだ、あの日のことを思い出す。
「茂治、どうしたの?」
「いや、いい思い出だったなって」
「なにが?」
「なんでも?」
「こらっ、ちゃんと言ってよ」
「内緒~」
「もう……」
きっと秀華には、そういう思惑があったんだろうなって。
あの時、わがままで、まだまだ子供だなぁなんて思ってたけど、秀華の方がずっと、恋愛という意味では、進んでいたんだと思う。
大人になって、そろそろ追いつけたかなぁ。
「秀華」
「ん~?」
「やっぱり、秀華は世界一可愛いよな」
「……当たり前じゃん。茂治の妻なんだから」
「……」
全然、追いついてなかったみたいだ。
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