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*この物語を語る私、山中圭(ヤマナカケイ)も、私が見聞きし、感じるすべても筆者の脳内データをダビングしたものなのだ。
勘違いせず、間に受けずに沈んでもらいたい。
下卑た油が鼻を噛む。
慣れてしまった騒々しさと、執拗に絡んでくる押し付けがましい味付けに吐き気を覚えつつ、私は有料のお冷を飲んだ。
清潔感が老衰した中華料理屋。
特に味が好みなわけでもなく、職場が近いわけでもなく、女との夢鑑賞を終えた帰りに偶然入ったのが始まりだ。その女とは一度きりだったはずが、この中華料理屋のギョーザの味が如くしつこく私に絡み、私も私でそんな女の人間的にだらしがない部分に無性に掻き立てられ、こんな関係を継続してしまっているのである。
それに伴い、この中華料理屋のギョーザとも腐れ縁になりつつある。
妙な噂に包まれた店主夫婦。
この店は変わった老夫婦によって形を成している。(きちんとこの店の名前を書きたいのだが、私はこの日以来一度たりともこの店に行ってはいないし、第一に店名を書いた看板らしきものなどそもそもあったのだろうか)
料理を運んだり、注文をとりに来たりするのは老婆の役目らしい。
この老婆には右腕がない。
その代わりに右腕だった場所に付いているのは、1000万ケリー以上する義手である。(読者たちの世界で使われている単位は知らないが、私の世界のお金の単位はケリーが一般的だ)
ギシギシと女のヒステリックな叫び声をあげて動くそいつも、私の食欲不振を増大させるのに一役かっている。
老爺はというと、客の前には一切顔を出さない。というより出せない。
なぜなら彼には下半身がないからである。
車椅子に乗せられ、厨房に設置されている。さながらSF映画に出てくる"お料理ロボット"を彷彿とさせる滑稽さと哀れさである。残された両手を器用に使い、フライパンを振り、包丁を握る様は見れば見るほど心を締め付ける。それもこれも彼ら夫婦の妙な噂によると、老婆は若い頃に交際していた男の手による暴行を受けており、そのなかでも最も酷い所業に金属バットで殴られるというものがありました。その際の打撃から顔を守るべく、右腕を盾にしたそうです。あまりの損傷に切断をやむなくされたそうですが、本当に酷いのは実はここからなのです。
土砂降りと笑いかけるスマホ。
私がぼんやり噂について思い出していたとき、右斜め後ろに座っていた客が酒を溢したところで記憶の部屋から現実の部屋へと帰りました。そうなると嫌でも周囲の情報が流入して来て、ようやく私は店外の土砂降りパラダイスに気付いたのです。それと同時にスマホに通知が来ているのにも気付きました。
「雨強くなってるね。
歩いて帰ると風邪ひくよ🤧
今日はうちに泊まっていって❤️
あの店でしょ?すぐ迎えに行くから待っててね!」
という連絡が例のしつこい女から来ているのです。あまり気乗りはしませんが、確かにこのような天候の中を徒歩で帰るのはだいぶ億劫なのでお言葉に甘えることにいたしました。
お冷の氷が溶けた水を飲む。
話を噂の件に戻します。老婆はその後にその暴行男と破局し、現在の旦那と結婚するのですが、当然ながらこのとき老婆は義手など付けていません。1000万ケリーなどという大金を払う経済力など一般人は持っていませんし、ましてや夫婦2人だけで店を始めて金銭の余裕などなかったでしょう。
今の2人を見ても、とてもじゃありませんがそのような高価な物を買えるような状況には見えません。
ではどうやって老婆は義手を手に入れたのか?
答えは単純です。老爺の下半身を売ったのです。老爺がその話を老婆から持ち出されたとき、どう思ったのか、どんな思いで承諾したのか、はたまた老婆が闇商人に頼んで老爺に無断で手術を受けさせたのか。真実は分かりませんがこれだけは言えます。今老爺はその真実を明るみにするなど出来ないということ。老婆とこの店のために料理を振る舞い続けるしかないということ。彼が自分で自由に動く術を持てない以上、すべては老婆の思いのままなのです。
相席スタート。
「すみません・・・ここ、こちらのお客様と相席よろしいですか?」
老婆の嗄れた声で話しかけられた。
そこに立っていた客は20代前半、私よりだいぶ若い男だった。無地のTシャツに足のすね毛が露出するハーフパンツ、足には革靴という服装。
本来なら相席など断固拒否だが、先ほど「あと5分で着くね❤️」という連絡が来ていたため、どうせすぐ店を出る、と考えて相席を承諾した。
男は座るや否やお冷を注文した。
「ここのお水って、美味しいですよね」
突然男は私に話しかけてきた。中華料理屋に来ておいて褒める場所がそことはなんとも老爺が報われない気がするが、実際この店の料理はうまくない。しかも彼にそう言われれば水がとても美味しいように感じられるし、案外的を得た評価かもしれない。それはそれでおかしいんだが。
「ですがねぇ、ここの水も、料理ももうすぐ味わえなくなる。そういう日が来ていたんですよ、つい先日まで」
「・・・先日まで、ですか。この店、閉める予定でもあったんですか?」
無視を貫くつもりが、うっかり口を開いてしまった。だがそれも仕方ない。この男の何か含みのある物言いが、実に気になってしまったのだ。
「その通りです。この店はもう長い間赤字続きでねぇ。でももうなんとかなります。いやー良かった、良かった」
その男は快活に笑っているが、目だけはしっかりと座っており、こちらの心を読んでいるようだった。声色と目つきのアンバランスさが生み出す気味の悪さに相席を承諾したことを後悔した。
「僕もねぇ、おじさん。最後の晩餐はここで飯を食おうと決めてたんで、それが叶ってひと安心です。なんせお恥ずかしい話、僕は明日死ぬ身ですから」
このとき私は何か、拍子抜けしたような、少し落胆した気になりました。私はこの男の含みある話題に乗っかり、何か私が知り得ないような興味深い話が聞けるのではないかと、少なからず期待していたのです。しかしとんだ思い違いでした。
この男は狂人なのです。
狂人の語る話とはどれだけそれが派手で面白くとも、所詮は狂人の吐く妄言、虚言の可能性が高く、おとぎ話なのです。真に興味深く恐ろしい話とは狂人が垂れ流す狂気ではなく、正常な人間がポロッとこぼす狂気なのです。私は聞く気が失せ、店の時計に目をやると先ほどの連絡から5分が経過しようとしているところでした。
「圭くーん!迎えに来たよー!」
店の入り口の扉を開けてこちらに声をかける女の姿を見つけ、私は安堵して席を立ち、会計を済まして店を出ました。席を立つ私に男が何か言っていたような気がしますが、耳を傾けずにそそくさと立ち去りました。
ここからの話はまた私が又聞きした噂話になります。
私があの日出会った男はその次の日に手術を受け、心臓を含めた身体の金になるあらゆる部品を摘出され、売却されてしまったそうです。そしてこのとき男の命と引き換えに得られた大金はどこに行ったと思います?そう、あの中華料理屋の不気味な老夫婦。彼らの手に渡ったのです。
なぜかって?
彼はあの夫婦の息子だったからですよ。
あの店の経営資金を自らが産んだ子供の命と引き換えに捻出したのです。
というような噂を後日耳にしました。しかしこの噂には穴が多すぎます。
第一に、本当に息子なのだとしたらなぜ普通の客としてあんなに他人行儀に扱っていたのか。
第二に、なぜ彼が私などという見ず知らずの人間にそのようなことを話したのか。
この2つの不可解な点から、私は噂を毛頭信じていないのです。
ただこのような気味の悪い噂が度重なる店にはもう2度と行きたくありません。火のないところに煙は立たないといいますが、皆さんはどう思います?
ちなみに例の女とはその後色々とあり、縁を切りました。当分の間はしつこく連絡が来ていましたが、もう今となっては音沙汰なしです。しかし、私の中には未だにあの日の彼の目つき、やけに浮かれた声色、口調、すべてがたった5分間という短い時間でしたが鮮明にこびりついています。
あの中華料理屋のしつこいギョーザの味と共に。
*この物語を語る私、山中圭(ヤマナカケイ)も、私が見聞きし、感じるすべても筆者の脳内データをダビングしたものなのだ。
勘違いせず、間に受けずに沈んでもらえたのなら幸いです。
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