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旅立つ君に
小さな村は喜びと誇らしさで溢れかえっていた。この村から救世の勇者が選ばれたのだ。
(自分が選ばれたわけでもないのに。)
小さな村だから、他人の喜びも自分のことのように思うのだろうか。誇らしいと思えるのだろうか。
救世の勇者は今日、村を出て城に行く。そして旅立ちの儀式を行うのだ。
(あと、ほんの5分。)
救世の勇者に選ばれた彼は、私の幼馴染だ。
家が隣同士で一緒に遊んで学んで育った少年。大きくなるにつれ、彼が何を考えているのかは読み取れなくなってしまったけど。
そんな彼は、今私の隣にいる。旅立つのだから準備が必要だから、手伝いに来ていたのだ。
彼は勇者に選ばれた。私は、何の変哲もないただの村人。だから彼と一緒に行けはしない。
(あと少ししか、一緒にいられない。)
5分後には彼は家を出なければいけない。
(戻ってくるの?)
荷物の最終チェックをしながらそんなことを考える。
救世の勇者なんてそんなに誇らしいの?
きっと苦しいことがたくさんある。
痛いことがたくさんある。
辛いことがたくさんある。
彼が成し遂げることがこの世界に光をもたらすとしても、どうして彼がもたらさなければいけないのか。どうしてただ享受するだけの村人でいられないのか。
世界に光がもたらされたとして彼が辿り着くその場所は、本当に照らされているのだろうか。
(どうして、彼なんだろう。)
ずっと隣で笑っていられると思ったのに。変わらない毎日が続くと思っていたのに。
ただの村人の私には出来ることなんてない。彼にしてあげられることなんてない。
「俺、頑張るよ。」
背中合わせに座っていた彼が唐突にそんなことを言う。
その言葉は決意に満ちている。私を振り返りもせず、前を向いて世界を救うんだと。
(ねえ、本当に良いの?きっとすっごく辛いんだよ。)
「っ……。」
頬を熱いしずくが伝う。
旅の先に世界に光がもたらされるとしても、それが彼の願いでも、どうして彼が苦しむだろう未来に笑って送り出せるのだろう。
泣いているのが気配で分かったのだろう。
彼は私の手にそっと手を合わせた。
あったかくて柔らかい手のひら。何を考えてるかは分からないのに、優しい。優しいその背中にどんなに重いものを背負わされているのか。
「きっと世界を救ってみせるから。」
ああ、これが運命か。彼が勇者になることが必然か。
「っ……。」
頬を伝う涙を拭いもせずに彼に向き直る。
たとえそれが運命でも、
たとえ他の全ての人がこれを良いことだと言っても、
私は――――――
「あ……。」
彼を引き留めたかった。
行かないで欲しいと言いたかった。
苦しい運命に身を投じなくたって良いよと縋りつきたかった。
なのに
「君が生きる世界を、救うから。」
彼があんまりにも決意に満ちた瞳をしているから、それができなかった。
私の想いなんて、感情なんて、彼の決意の前では我儘でしかないのだろう。
彼にしてあげれることはない。
彼を救うなんてできるわけもない。
さらにそれを強く実感してしまって私の目からはまた涙が零れた。
「君がいるから、世界を救える。」
彼はそう言って微笑んだ。
彼はあと5分もいないうちに旅立つ。いなくなってしまう。
「君がいたから、幸せだったよ。」
その言葉があんまりにも優しくて私はさらに泣いてしまった。
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