ダブルバインド

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> あなたは誰なの?  返信はすぐに届いた。 > 本当のお前を愛してる男  間髪入れず花梨は問い返した。 > 本当の私って?  数秒の間を置いて、再びメッセージがきた。 > カンパニュラより薔薇が好きなお前 「……ッ!?」  目を見開いて硬直したまま、花梨は絶句した。 > クラシックなんか少しも興味ないお前 > 大胆なミニスカートをはきたいお前 > 優しいセックスに満足できないお前 > メチャクチャに犯して欲しいお前  花梨は震え上がった。  こいつ、狂ってる。  もう反論すらできなかった。誰にも話した事のない密やかな欲望を、なぜ男は知っているのか。  恐怖と混乱で体がすくみ、指が動かない。 > お前が求めてるのは恋愛じゃない  激しい動揺で視界が揺れる。  花梨は息もできずに呆然と男の声を聞いた。 > 認めろ > お前は愛されたいんじゃない > 愛したいんだ  既に返す言葉さえ失っている。  花梨は放心しながら画面を眺めた。 > 俺に会いたいか?  凍結した意識を、柔らかい吐息が掠める。  ぼんやりと画面を見つめたまま、花梨は呟いた。 「……会いたい……?」  問われた直後、男の存在感が間近に迫ってきた。それまで実体のない影のようだった男が急に生々しさを帯びて、現実の世界で形を成してゆく。あたかもすぐ後ろにいるみたいに、男の存在感が背後で揺らめいた。 > 俺ならお前を愛してやれる  それはまるで、告白のようだった。 > どんなに淫らな願望も全て叶えてやれる > 本当のお前を愛してやれる  なぜか、体が熱くなった。  恥辱と怒りとそれ以外の何かが、体を熱く火照らせている。 > 俺を求めろ  どうして拒否できないんだろう。  相手はストーカーなのに。  異常者なのに。  花梨は愕然とした。男に惹きつけられている自分がいる。怖いのに、目を逸せない。その事実が何より辛く、呪わしかった。 > お前を満足させられるのは俺だけだ  メッセージは、そこで途切れた。  その後、いくら待ってもスマホは眠ったままだった。  再び闇に沈んだ寝室で、花梨はしばらくの間スマホを眺めていた。頭の中では、男の言葉が浮き沈みを繰り返している。  この気持ち悪い安らぎは何だろう。  得体の知れない妙な安堵感が、不思議なほど気分を落ち着かせている。  言葉に表せられない奇妙な感覚だった。  胸の奥に封じ込めてきた本音を見破られたことに、心地悪くも爽やかな安心を感じていた。  もう偽らなくていい。  誤魔化さなくていい。  思うがまま、自分の気持ちをさらけ出していいのだという安堵感が、心の殻を溶かしていた。この異常者の前では、どんな美しい仮面を被ってもムダ。いや、必要がない。清楚で可憐な女を演じなくていいのだ。  この男には、ずっと隠してきた本当の自分を知られているのだから…… 「……先生……」  自ずと漏れた自分の声に、花梨はハっと我に返った。  それまで濃い霧に覆われていた視界に、慎の優しい笑顔の残像が浮かぶ。悪い夢から覚めたみたいに冷静さを取り戻すと、花梨は脳内にこびりついた男の邪見を振り払うように頭を振った。  どうかしていた。  花梨は深く息を吐いた。  あたかもそこに、男を見出しているようにして闇を睨むと、布団を握り締めながら声を絞り出した。 「違うっ……私はそんな女じゃない……!」  重苦しい花梨の叫びが、静かに闇に溶け込んだ。
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