フラッシュバック

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フラッシュバック

 午前の診療を終えた昼休み、診察室の外では電話が鳴っている。だがそれすら慎には聞こえていなかった。 「とりあえず昨夜も異常はないか……」  慎は3倍速で流れる動画を見ながら、ほっと息をついた。夢遊病の再発が疑われてから2週間。毎日就寝中の様子をカメラに収め、こうしてチェックしている。夜中に起きて動き回る等の症状を確認する為に記録したものだが、今のところ奇行は見られなかった。  暗視機能付きの監視カメラに映っているのは、就寝してから起床するまでの間、途中でむくりと上半身を起こす程度の軽い症状のみ。昨夜も同様で、花梨を家まで送り届けてからいつも通りの時間に寝たが、今見ている映像には寝返りを打つ自分が映っているだけで、深刻な状態は見受けられない。  となれば、時々起こる記憶の欠落は夢遊病ではなく、一時的に記憶を失う"一過性全健忘"かもしれない。TGAと略されるこの疾患には2つのタイプがある。花梨と夜景を見てから朝までの記憶がない事を考えると、過去を忘れてしまう逆向性健忘の傾向が強い。これは脳神経の分野で専門外だ。 「……どうするかな……」  ベットの中で眠る自分の映像を冷静に分析しながら、慎はひとり呟いた。不意に、花梨の寂しそうな笑顔が頭を過る。3倍の速さで流れる画像をぼんやりと眺めつつ、慎は溜息をついた。  昨夜は花梨にウソをついてしまった。  監視カメラを防犯用だと思い込んだ花梨の勘違いを利用して、個人情報を守る為の対策だと誤魔化してしまった。ウソは嫌いだ。後味が悪い。素直に信じた花梨の笑顔を思い出すと胸が痛む。  昨日は花梨にとって、辛い一日だったはずだ。元彼の威圧感や支配欲は相当なもので、対面するだけでも息苦しさを感じる程の苦痛だったろうに、その恐怖を自ら克服する為に病院へ行き、直接話をした勇気には本当に驚かされた。花梨のひたむきさが眩しくて、ひとりで頑張る姿が健気で、愛しくて、思わず手を出してしまった。中途半端な行為は彼女を傷つけるだけだと知っていたのに。 「花梨さん……」  呼び声に反応したかのように、録画映像が途切れた。画面には今朝起床した自分がベットから降りる姿が映っている。慎はハっと我に返った。今回も特に疑わしい症状は見られず、再発を疑う材料はない。もう少し観察は続けるにしても、健忘症ならば人に危害を加える心配はないので、花梨を遠ざける必要もなくなる。  何より慎は早くこの問題にケリをつけたかった。悩んでいる時間はない。こうしている間も、不審な男が花梨を狙っているのだ。真夜中に妙なメールを送っていたのは、元彼の松浦ではなかった。花梨だけでなくこっちにまで妙なメールを送りつけてくる異常性を考えると、本腰を入れて対処すべきだろう。その為には、記憶欠損による生活障害を早く改善しなければ。 「検査だけしておくか……」  持病の再発ではなさそうなことに安堵したが、新しい疾患を発症したかもしれない不安は拭いきれなかった。知り合いの脳神経内科医に相談しようかと、データを保存しながら考えていたところで、 「――先生、ちょっといいですか?」  ノックと同時に、閉め切ったドアの奥から事務員の声が聞こえた。 「入っても構いません?」 「ええ、どうぞ」  急いで動画ファイルを閉じると、ドアを開けた事務員が遠慮がちに顔だけ出した。 「休憩中にごめんなさい、先生にお電話なんですけど……」  慎は訝しげに見返した。いつもなら受付で持参した弁当を食べながら「電話ですよ~!」と叫ぶ事務員が、わざわざ診察室へ言いに来るとは珍しい。また厄介な患者から予約でも入ったのか、ドアから覗かせる事務員の表情は渋かった。 「前に先生から言われた事を思い出したものですから、一応確認しておこうと思いまして」 「僕が言ったこと……?」  何だろう。遠い過去の記憶を辿りながら、慎はふくよかな丸顔を見返した。   「全然覚えてないんですが、電話対応の事で紀美子さんに何か言いましたっけ?」  途端、丸い顔が微かに強張った。 「もし電話があっても、先生に繋がず切っていいと言われた所がいくつかありましたよね? ウェブ予約サービス会社の営業、製薬会社からの新薬セールス、雑誌社からのインタビューの申し込み……これらは全て私が話を聞いてお断りしてきたんですけど、もう一つあった事を思い出したものですから」  そこまで聞いて、慎はピンときた。強烈な不快感が胸を突き上げ、吐き気が込み上げてくる。
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