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四日目、朝
「アップルパイをお作りしましょうか?」
「昨日全部食べちゃったから、お願いしていいかな」
「かしこまりました」
その声が少し嬉しそうに聞こえて僕は苦笑した。
ニコは心なしか軽い足取りでキッチンへと向かう。
「それにしても、なんでアップルパイなんだろうね」
「このレシピは初期設定ではありません。起動後に登録されたものです」
手際よくパイ生地の上に切ったリンゴを並べながらニコは言った。
「なに? じゃあ君には前の持ち主がいて、その人が登録したということ?」
「不明です。その記録データは削除されています」
「そうか……」
まあ普通マスターが変わった時点で登録した個人情報は初期化するだろうな。むしろ美味しいアップルパイのレシピを残しておいてくれて感謝するべきだ。
「そういえば、君のキャラ設定を聞いてなかったな。教えてくれない?」
「ニコ。24歳。牡羊座のO型。人生はドラマチックの連続だと信じている。忘れっぽい性格。クイズと取り留めのない雑談が好き。天気予報は毎日チェックするタイプ」
「どうりで」
そういうことか、と僕はあまりの納得に笑ってしまった。
「君のプログラマーはピュアでユニークなロマンチストみたいだね」
「面会をご希望ですか? プログラム責任者でしたら連絡を取ることが可能ですが」
「いや、やめとくよ。まともに顔が見られそうにない」
あなたのプログラムしたロボットに恋をしました、なんて言えるわけがないし。
疑問はまだ色々と残っている。けれど僕はもうそんなことどうでもいいかもしれないとも思っていた。気にならないと言えば嘘になるが、すべてを解明する必要はない。
今、目の前に見えているものを正解だと信じられさえすれば。
「ここに君がいてくれればそれでいい」
キッチンでパイ生地を幾重にも交差させるニコに言う。ふと甘い香りが鼻腔に触れた。それから少しの間があって言葉が返ってくる。
「そうですか」
彼女は短くそれだけ答えて、いつも通りに淡々とパイ作りを続行した。流れるような動作でアップルパイを仕上げていく。
僕はそんな彼女を見て、目を細めた。
「……笑ってるよ?」
(了)
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