ヒールとヒロイン

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ヒールとヒロイン

「いつだって、誰もが人生の主人公」と、旗くんはよく言っていた。どうせセリフか歌かなんかの受け売りなんだろうが、どうにも腹が立つ。彼は自分が主人公になるためなら、周りをわき役にしているくせに。特に、わたしのことは。「劇団のスターで、でもこころは孤独で、色んな女を取っかえ引っ変えするヤツ」、その女Cあたりがわたしだろう。本当に、なんでこんなヤツと今もわたしは寝てるんだろう。自分の馬鹿馬鹿しさに涙が出てくる。 「どうした? あ、分かった分かった。気持ちよすぎて泣いちゃった?」 「まあ……」 すると、彼は急にニヤニヤした表情をひっこめた。そしてシリアスにこう言った。 「俺たち似てるよな」 「え? そうかな。わたしはそんなに」 「そんなに?」 「……自信ないから」 「それはデカい役もらえないからか?」 「そうかもね」 「たしかに、そこは似てないかもな。俺は自信家だから。でもさ、ずっと寂しいじゃん、俺たち」 「寂しい、かあ」 「うん。お前は寂しい。俺といても寂しいし、一人でいても寂しい」 「……」 「俺もそうだよ。たしかに、クズだよ。だけどやっぱり寂しいモンは寂しいじゃんか」 「まあね」 「だけどもう仕舞いにするつもりなんだよ」 「それは……わたしと付き合ってくれるの?」 彼はわらった。さみしそうに、くるしそうに。 「いや。死ぬんだ」 かち、と時計の長針がうごいた。死ぬ? 展開が早すぎてわたしは言葉を探すので精一杯だ。それでもやはり何も言えない。死ぬんだ? また、長針がかち、と鳴る。 「とにかく、そういうことだから」 そして、黒いシャツに袖を通し始める。待って。やめて。死なないで。その、ありきたりな言葉が喉でからまっている。だめだ。この人は、そんな言葉では止められない。もっとドラマが、必要だ、どうすればいい、考えろ、考えろ! 「わ、わたしと、死んでよ」 もうボタンを全部とめた指で、そっとわたしの頬を撫でる。いとしそうに。かなしそうに。 「だから似てるって言っただろ」 川は、黒いおおきな化け物のようにひかっていた。ごうごう、どうどう、そんな唸り声をあげながら獲物をまっている。 「手繋ぐの、初めてだな」 「た、しかにね」 さあ、どうする。どうやって助ければいい? 今から止めるには、相当な「物語」が必要だ。彼が自殺を辞める、「文脈」が。わたしと生きよう? それは悪手だ。とりあえず、話さなきゃ。なんでもいい、時間をかせぐんだ。 「旗くんはさ、生まれ変わりって信じる……?」 「輪廻転生か。まあ、信じてるかな、ぼんやり」 「来世はさ、何がいい?」 「なんでもいいよ。虫でも魚でも。でも人間は勘弁かな」 「人間は、嫌? また、旗くんなら、役者になれるかも」 「役者なんか一番まっぴらだよ。もう演技なんかしたくない。たまたま適職だっただけだ。ずっとこうやって生きてきたから」 「こうやって……?」 「そう。周りの顔色みて、笑いとったり。子供時代には従順で純粋な子供を。青年時代には、快活で親切な青年を。今は、ずるい大人を、ずっとやってる」 わたしはまた、言葉をさがしている。震える口は、何も言えない。本当の彼が、そこにいた。彼は、泣いていた。変な嗚咽だった。 「ずっと、愛されなかっ、た。だから、俺は、愛とかよくわかんないっ、し。いつも、即席ラーメンしか食ってなかったか、ら。だから、そんな恋愛しかできねえ」 「それでも、それでもわたしは本気で」 「愛してるって? そう言うのか?」 その目は、もう何も映していなかった。ただ川だけが、反射していた。 「お前が愛してるかどうかは、あんまり関係ない。問題は俺なんだ。俺は本気で愛せない。誰のことも――自分のことも」 「でも、でも、愛してるよ。本当に、本当に、好きだよ、わかってる、寂しいって、だからずっと何も知らないフリして。それくらい」 「だとしたら」 また、にっこり笑う。涙のあとなんて、ないみたいに。全てを、諦めたように。 「もう、ヒールは嫌だ」 恋人つなぎの手が離れる。しゅ、と柵をこえ、黒い影が落ちていく。落ち、落ちて、落ちていく。ドボン、と大きな音。柵はつめたい。でも川はもっとつめたいだろう。どうでもいい。抱きしめたい。ひとつになりたい。好きだ、好きだ、好きだ! わたしは、ぐっと上半身をのりだした。ふ、と橋から離れる。落ち、て、その瞬間。あ、生きてる。そんな実感が、いかずちのように走った。気持ちいい。川面が近づく。ああ、彼の声が、する。 「だから似てるって言っただろ」
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