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硝子の恋人②
「貴方の名前はルカ。私の名前はユナだよ」
硝子人形は頷く事も返事をする事も無かった。存在するはずの無い幽霊と同じように暗く、冷たくて固い心の無い虚無の器だ。話し相手にもならなければ、私の体を温めてくれるような機能もない。
死んだ彼の生きた死体のようなもの。
ただ、写真とは違って触れる事ができる。この小さなマンションが彼の箱庭だ。
それから毎日、食事を取らない彼の為に食事を作り返事のない彼に話し掛けた。仕事が終われば同僚の誘いも断り、家へと帰るので恋人でも出来たのか、と何度も質問された。
友達も家族も皆ルカを忘れろとは言わないが、未来に目を向けた方が良いと忠告をしていたので、私が彼氏がいるような素振りをすると安心したようだ。
この生活を誰にも壊されたくない。私はルカを誰よりも愛しているのだから。
ルカは一度も話さない。不意に現実に戻る夜は一人で虚しく泣いた。ただ、悲しみが押し寄せる日も、冷たい硝子人形の背中に抱きつく事ができる。
冷たい背中から聞こえるのは、魔法で出来た硝子の心臓の鼓動だけだ。会話のないルカの鼓動だけが、私達の会話だった。
彼がこの家に来て一年が過ぎようとしていた。蒼い椿の花にポツポツと降り注いでいた。
何時もの休日の夜、サイレンが街に鳴り響いた。ベッドに座っていたルカが、不意に立ち上がるとベランダに向かって歩いた。
「どうしたの、ルカ」
普段自分から歩く事の無いルカが、珍しく自分から歩いてベランダへと向かっている。私は慌てて同じように、ベランダに出た。
街に響くサイレンの音の後で、放送が流れた。腕の良いあの硝子職人の魔法使いが、この世界を去る事になった。この一年で随分と世間では彼の作った硝子人形を批判する声が大きくなっていた。この世界で生きる事がきっと辛くなったのだろう。
魔法の硝子人形を作った人が、元の世界に戻ったら、ルカはどうなるんだろう。
「ユナ……お別れだ」
振り返ったルカはそう言った。初めて聞くその声は、彼のものでは無かった。白い硝子の表面が、キラキラと七色の粒子に輝いてまるで星のように美しかった。雨の降る仄暗い夜でも星の輝きが線を描くように煌めいている。
「い、いや……! どこにも行かないで」
「ユナ、魔法はいつか解けるものだよ」
ルカは、ふと寂しげに微笑むと私に口付けた。冷たい唇は彼の間食とは違ったけれど私の胸は張り裂けそうな位に愛しく感じた。指先も髪もキラキラと輝いて、夜の雨の中にきえていく。
微笑む彼の最後の言葉は『ありがとう、好きだよ』
跡形もなく空の星になった硝子の恋人を私は何時間も見ていた。
✤✤✤
「お前も変わった奴だねぇ、硝子人形が、お前に反応したり心には答えないなんて、お前が誰よりもよく知っているだろう」
父の言葉に、僕は無視をすると僕と同じ硝子の指先を取った。椅子に座った彼女は美しく無表情だ。硝子の白い睫毛、美しいストレートの長い髪。色のない瞳が僕を見ていた。
僕が初めて恋した人。そして僕と同じ硝子の永遠の恋人。
「さぁ、散歩に行こうか、ユナ」
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