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◇ 悪意の始まり
リョウメイが連れ去られる半年前、流行り病が国全土に広がった。
「隣村が全滅した! 誰も生き残っていない!」
周囲の様子がおかしいと見に行った男たちに指示をして、服を脱いで全身を酒で洗ってもらう。服と靴は焼却処分だ。
体や手を洗うのに、村の特産のお酒を使うことが贅沢だと批難されたのは最初だけだ。私の指示に従ったこの村だけが誰一人として死人を出していない。
「目に見えない小さな病の種が舞っているの。外から帰ったら必ず手と足を洗って」
文化水準は低いし、学校どころか識字率も低すぎる村人には大人であっても病原菌なんていう概念は理解してもらえない。見えない病の種と呼んで、無理矢理に理解させた。
「井戸水は必ず一度沸騰させて。食事は十分火を通した物だけよ」
高校で学んだことや漫画や小説から得た知識なんてあやふやだけど、とにかく清潔にすることを徹底させた。
「ネズミがいたら捕まえて、焼却処分よ」
私の指示で穀物庫や屋根裏、あちこちに潜むネズミはすべて駆除されて焼かれた。可哀想だという声は上がらなかった。この世界では穀物を食い荒らす害獣だ。
たしか黒死病はネズミが運んだと世界史の授業で習った。この流行り病がどんな症状なのかは断片的にしか情報が入ってこない。もちろんネットも電話もないので完全に口コミ、噂レベルの情報しか掴めない。
誰かが町から聞いてきた、誰かが言っていた。そんなあやふやな情報に毎日振り回される。私はリョウメイと一緒に、その情報を聞き取って一覧にし、信憑性のあるものだけを村長から村人へ伝えてもらう。
他の町や村、特に隣村が全滅したことが、村人の衛生観念を高めた。外から帰った後、必ず手や足を洗い、頻繁にお風呂に入るようになった。家や周囲は掃除され、服は毎日洗濯されて、村人全員が見違えるような変貌を遂げた。
三箇月が過ぎた頃、国の役人がやってきて流行り病が収束したことを知った。
見回りにきた国の役人は、この村だけが死者を出していないことに驚き、防いだ方法を村長から詳細に聞き出して帰って行った。その時、雑談の中で村長が、自分が先々代の皇帝の孫であることを笑い話にした。
……国の役人が来なければ、リョウメイの父の村長が笑い話をしなければ、リョウメイが皇帝になることはなかったかもしれない。
あの時の私は、村人を誰も死なせなかったことに慢心し、将来の村長の妻として、十分実績が出来たと自惚れていた。リョウメイと村長夫妻になる未来を夢見て信じていた。
今日も私は窓枠に腰かけて、窓の外を眺め続けている。
何故、私はこんな鳥かごのような場所でリョウメイを待っていることになったのだろう。
これも私の選択だった。〝華蝶の簪〟をリョウメイが私にくれたのだから、王宮に入れば皇后として迎えてもらえると安易に考えていた。異世界人は特別な存在だと、どこかこの世界の人々を見下していた。
実際の私には何の力もない。異世界でも地位と権力を持つ者が優位だ。
皇帝になったばかりのリョウメイは貴族たちに逆らえない。リョウメイが皇帝としての務めを果たして、発言力が高まれば、私に会いに来てくれるのだろうか。
それはいつになるのだろう。半年後なのか、一年後なのか、見当がつかない。
落ち込んでいく思考を頭を振って、振り払う。
リョウメイは私だけだと言ってくれた。その言葉を信じるしかない。繋いだ手の力強さを私は信じる。離れていても、会えば一瞬で辛さは消える。
きっとリョウメイも私に会えなくて、同じ想いをしているだろう。
箱をたくさん乗せた小舟が島へと到着した。季節の装束を届けに来たと箱の半分を置いて、黒月宮へと向かって行く。他の妃とは顔を合わせていない。どんな女性たちなのか、想像しては心が痛い。
皇帝の贈物は必ず最初に女主人の前で開かれる。侍女が隠したり盗んだりしない為だと聞いて驚いた。小さな物や換金しやすい物は盗まれやすく、侍女たちが休暇で後宮から出る際には徹底的に身体検査をされるという。
箱を開けたユーエンが無言で閉じた。
「どうしたの?」
「いえ。間違いのようですから、返却してきます」
「間違い?」
様子がおかしい。直感した私は無理矢理、箱を開けた。
「!」
箱の中には白い装束が入っていて、その中央には手のひらほどもある大きな蜘蛛が貼り付いている。
「……何、これ……」
元の世界で見慣れているから蜘蛛は怖くない。毒々しい色合いが気持ち悪いだけだ。
「もしかして、嫌がらせ? ……なんていうか、地味よね……」
途中から笑いがこみ上げてきた。涙が出る程笑ってしまう。
「あ、あの? カズハ様?」
「だって、蜘蛛を入れる人間の方が絶対ダメージあるんだもの。想像したらおかしくって」
後宮関係の物品は侍女がすべてを扱う。こんなに大きな蜘蛛を怖がりながら入れたのかと思うと笑うしかない。
「普通、絶対手で触りたくないって思うでしょ? そしたら、どうやって入れたのかなって思ったの」
祖父の家の古い蔵には、この程度のサイズの蜘蛛がうじゃうじゃいたので慣れている。幼い頃には蜘蛛を玩具にして祖父母を慌てさせたものだ。久々に思い出して懐かしい。
「これ、毒蜘蛛?」
「いいえ。奇抜な色なだけで無害です」
「ってことは、害虫を食べてくれる益虫よね。庭にいてくれたらいいんじゃない?」
蜘蛛をひょいとつまんで窓の外に放り投げると、ユーエンが怯んだ。蜘蛛が苦手なのではなく、私が顔色も変えずに触ったことに驚いたらしい。
『貴女に相応しい装飾品を贈ります』
布地の上に置かれた白い上質な紙片に、たどたどしい文字でメッセージが書かれている。一文字一文字バラバラなのは、きっと複数の人間が代わる代わる書いたのだろう。
「まぁ、昔は頭に乗せてたりしてたし。結構可愛いのよ?」
「あ、頭に?」
「そう。髪飾りみたいに」
私の返答に、ユーエンが何とも言えない表情をしている。笑っていいのか迷っているような顔だ。
「……装束は処分させます」
「洗ってもらえばいいわ。もったいないでしょ」
特に汚れている訳ではないし気にする程でもないと、私は笑って済ませた。
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