◆ 紫水晶の蝶

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◆ 紫水晶の蝶

「僕のお嫁さんになるのはカズハだけだ。皇帝になって必ず迎えに来るから待っていてくれ」  金の髪、青い瞳の優しいリョウメイは、豪華な黒塗りの馬車に乗せられ帝都へと連れ去られた。 「大丈夫だよ。この青い(かんざし)を僕だと思って待っていて」  出発直前に服で隠しながら手渡された紫水晶で出来た蝶の簪は、とても繊細で美しい物だった。  「紫」の簪を何故「青」と言ったのかはわからない。何か隠された意味があるのかと考え続けても答えは出ない。  別れてから三箇月が過ぎ去ったのに、リョウメイが皇帝に即位したという報せはなかった。この国では即位と同時に妃と結婚をするのが決まりだと聞いている。  私は京都(みやこ)和羽(かずは)。20歳の日本人だ。17歳の時に、この古代中国風の異世界へやってきた。異世界転移の理由は全くわからない。直前に新宿駅の雑踏の中を歩いていたことしか覚えていない。  空から落ちてきた私を最初に見つけてくれたのは村長の息子リョウメイ。何故か言葉は通じるけれど、元の世界との違いに戸惑う私を優しく包んでくれて、20歳の誕生日に婚約した。  リョウメイの父は先々代の皇帝の孫だった。当時の村長の娘が後宮の侍女として勤めていた際、先々代の皇帝に手を付けられ故郷に戻ってから男子を生んだ。  少し前、国全土に発生した流行り病で、皇帝も皇子も皇帝の血を継ぐ貴族たちもすべて死んだ。健康な男系の血を継ぐ者を探す中で、リョウメイに白羽の矢が立った。  村長夫妻は、異世界人である私が皇帝の妃になるのは難しいかもしれないと率直に話してくれた。養子として自分たちの娘にしたいという提案を私は断った。  このまま村長の家でお世話になることはできないと、自立する道を模索する中で王宮から迎えの馬車が訪れた。  村に現れた黒塗りの馬車は先触れも何も無かった。リョウメイを迎えにきた馬車とは違い、艶やかな黒い漆塗りのような色は、どこか不吉な雰囲気を醸し出している。  馬車の周囲には黒ずくめの兵士10人が黒い馬に乗り、まるで葬式のような隊列だ。 「支度は必要ない。こちらですべて用意している」  村長夫妻の前でも横柄な男は兵隊長レイシンだと名乗った。金茶色の短髪に緑の瞳、2m近い立派な体格は立っているだけでも威圧感がある。  荷物を一つだけ持って行きたいと言うと許可された。リョウメイがいつ迎えに来てもいいように荷物はまとめていた。もともと私自身の荷物は少なく、布鞄一つだけだ。  与えられていた部屋に入って鞄を手に取る。鏡の前を通り過ぎようとして、あの蝶の簪を付けようと思いついた。  鏡に映るのは黒髪に黒い瞳の平凡な女。この世界に来て3年半、肩までしか無かった髪は腰まで伸びた。目じりがつり上がった大きな瞳は、リョウメイが猫のようで可愛いといつも褒めてくれていたけれど美人とは言い難い。  生成色の筒袖の着物のような上着とゆったりとした茶色のズボン。簡素な衣類は平民の服だ。元々着ていた学校の制服は、リョウメイの求婚を受け入れて、この世界で生きると誓った時に売ってしまった。  毎日洗っているとはいえ、簡素な服に豪華な簪は似合わない。それでも私は後ろ髪の半分をゆるく結い上げて紫水晶の蝶の簪を挿し、兵隊長の待つ応接間へと戻った。 「お待たせしました」  5分もかかっていないのに、いらいらとした態度を隠さなかった兵隊長が蝶の簪を見た途端に一変した。 「失礼致しました。青月妃(せいげつひ)様、お迎えに上がりました」  兵隊長は姿勢を改め、片膝を着いて右手を胸にあてる。その豹変に私も村長夫妻もうろたえた。 「青月妃?」 「はい。その簪をお持ちの方の称号です。いずれ皇后になると皇帝が認めた女性に贈られる物なのです」  その言葉で私の不安が吹き飛んだ。リョウメイは私を皇后にするためにこの簪を贈ってくれていた。嬉しくて心が震える。  王宮に行けばリョウメイに会える。私の頭の中はそのことでいっぱいになった。 「カズハ、リョウメイをよろしくね」 「はい。皇后になってリョウメイを支えます」  リョウメイの母親と抱き合って別れを惜しむ。この異世界で戸惑う私を、本当の母のように支えてくれた優しい人だ。 「落ち着いたら、必ず手紙を出します」 「無理はしなくていいのよ。私たちに何かできる事があったら、遠慮なく連絡をしてね」  抱きしめられ、髪を撫でられると安心する。 「それから……もしも、もしも辛くなったら、カズハだけでも村に戻って来ていいのよ」  優しい声で告げられた内容に戸惑う。私だけが戻ってくるという選択肢は無い。 「ありがとうございます。もしも私がこの村に戻ってくることがあったら、それはリョウメイと一緒です」 「そうね。それでも忘れないでいて頂戴。カズハには帰る場所があるっていうことを」  抱きしめる腕が強くなった。私も抱きしめ返す。 「それじゃあ、行って来ます!」  笑顔の村長夫妻に見送られ、私は馬車に乗り込んだ。
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