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「あら、私はあなたがつけている香水がいいわ。すごく良い匂いね。なんの香りかしら。まるで春を連想させるような果物とお花の……。甘酸っぱい素敵な香り……」
青いワンピースドレスの若い女性が頬を紅潮させ、年若い少年の域を出ないほっそりと華奢な店員にすり寄るようにして尋ねる。戸惑った少年が一歩引くと、彼女は逆に興味津々な様子でこの甘い香りの正体を突き止めようと迫ってきた。
「あ、あの、それは……」
少年は細い眉を下げ、困り顔でサンストーンのように煌く瞳を泳がせて言い淀む。すると低いが滑らかで聞き取りやすい若い男性の声が後ろから響いた。
「その香りは非売品なのです。申し訳ございません」
後ろから現れた背の高い人物。途端に客の女性たちの視線はそちらに集中する。
「もしかして、あなたが調香師の、メテオ・アスター?」
「はい。いつもうちの店のシリーズをご贔屓にして下さり、ありがとうございます」
調香師という職人気質な職業柄、とっつきにくいと思われがちだが、メテオはどちらかといえば、人当たりもよくにこやかで明るい。そのため店を訪れる多くの女性たちから好意を持たれやすい。メテオ目当てでくる女性客も多くて店に弟のランの方しかいないのを見ると、あからさまにがっかりされることも多い。
たしかに兄のメテオはいつも一緒にいる義理の弟のランからみても、とても格好良いと思う。
背は高くすらりと長い手足、灰色がかった茶色の髪に、年月を経た薬酒を思わせる深い琥珀色の大きな瞳。整った鼻筋、少しだけ大きな口も愛嬌があって良いと思う。それに彼はこの街でも国中でもごく僅かしかいないアルファの性をもつのだ。
今まで兄と父とが中心となって切り盛りしてきたこの香水店。弟のランが一人で店頭に立つようになってからまだ一年足らずだ。
兄はランの接客がまだ不安なのか後ろにある工房からこうして度々店舗にやってくる。ランと女性の間に割り込むと、そのまま商品の説明を続けてしまった。
(もう、兄さん。接客は僕に任せてくれたっていいのに……)
ランは桜色の唇を僅かに結んで愛らしい顔に僅かに悔しそうな表情を浮かべて兄の背中を見つめていた。
ランといえばまだ成長途中のやせっぽっち。目ばかり大きくて額は丸く、あとのパーツはつまんだように小さめの顔はどう見ても子どもに見られやすい。
だから店に出ていても店員と気が付かれないことも多かったので、メテオと二人で揃いの制服を作ってきている。
ランが僅かに歪んでいた香水の位置を治している間に、結局3人いた客はみなメテオのお薦めを買って帰り、ちょっとしょぼっと気落ちしてしまうランだ。
メテオはそんなランに後ろから近づくと、悟られぬようにさり気なく首筋の香りをかぎ、ポケットから取り出したアトマイザーからアロマウォーターをシュシュッと振りかけた。
「ひゃっ」
急に冷たいそれを振りかけられたランが身を縮めながら兄を上目遣いに見上げて驚いた顔をした。
「なあに? 急に」
ランの自身の香りが香水と混じりごちゃごちゃとした感じになってしまっている。あまり良い状態とは言い難いか、ランのフェロモンを隠すことが目的のメテオはメテオは立ち昇る香りを確認して満足げだ。フェロモンは不思議なことに本人には香らないためランは困っていない。多くのオメガが香水になって初めて自分のフェロモンの香りに気がつくという。
(ベータの女性にも気が付かれるとは……。ランのフェロモンも大分強くなってきているな)
内心の焦りを隠したまま、メテオは弟に向かい蕩けるような眼差しを向け愛し気に微笑み、今振りかけた藍色のアトマイザーを差し出した。
「新作のリフレッシュウォーターだ」
新作? と小首をかしげる愛らしい弟にメテオは猶更目を細める。
「あ、女性の身体に良さそうなハーブ水だね。ラベンダー、イランイラン、ゼラニュウム…… 男性のオメガも周期によっては必要なものだよね。良い香り。人気でそうだね」
ランが兄に寄り添い自分を取り巻いた薫りにうっとりしていると、店のドアについたベルが明るくシャランと鳴った。
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