ハレへの街のアスター香水店

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農園とオメガの館は一時期オメガによる売春を斡旋しているのではと陰口を叩かれていた時代もあった。他国やこの国でも僻地では、未だにオメガは性産業に従事していることが多いからだ。 その事実無根の噂を払拭するべく、この地に住まうオメガを申し出があれば館と農園で匿い、本人が望まなければアルファとは会わせないようにしている。 また、オメガばかりに肩入れするとベータからも反感を買いやすくなるため、どの種のものであっても無償で教育を受けられる子供のための町内毎の小さな学校と、職業訓練校を整備した。主に香水の香料に関する分野に特化した学校でこの地の、産業の明日を担う人材を育成する目的で作られた。 卒業後5年その仕事に従事すればそれまでの学費は免除となり、大抵のものは辞めずに仕事を続けている。 香水だけでなく関連する香りの商品を売る店をやりたいものには審査後出資している。 ソフィアリは中央から持参した莫大な私財を投げ売ってこの地に尽くした。 おかげでこの地はオメガの楽園であると同時に他の種の者たちも互いに差別し合うことなく豊かに暮らしている。 だからこそこの国のオメガの中では高い教育水準で育ち、容姿も端麗で、芳しく薫るこの地のオメガを目指してくるアルファも多いのだ。そしてそのままこの地を気に入り住まうものも多い。 この地はそれらの人々の力を借りてさらに繁栄していくのだ。 ソフィアリたちが店を訪れた翌日の午後。 兄にお使いを頼まれて海近くの市場まできていたランは帰り道、乾燥したこの地には珍しくまとまって降ってきた雨にあってしまった。 しょうがなく飛び込んだ食堂の店先で雨宿りをする。 市場で買い物をする前に濡れてしまったので一度家まで戻ろかと考えていたら、同じく隣に飛び込んできた男がいた。 背の高い男をしげしげとみていたら目が合ったので思わずニッコリと微笑んでしまった。職業柄愛想がいいランなのだ。 彼はしばし放心したように言葉をなくして、ランのことをとくに瞳を覗き込むようにして食入るように見つめてきた。流石に恥ずかしくなって目をそらすがまだこちらを見てくるのが気配で分かる。 (なんだろう? ずっとみてくる。このあたりでは見かけない人) 「……似ている」 呟きは強まった雨音に溶けて消え、ランの耳には入らなかった。 男は中央から来た旅人のような格好だった。この地のものは温暖な気候のため、ラフで涼しい麻や綿花の服を着るが、中央方面から来たものは上着からして厚地でぱりっとしてみえる。 もちろん彼も今は肩にくすんだ緑の上着をかけ、シャツ一枚になっている。 鞄はかっしりとした黒い革製で、ブーツも黒。それがなにか元軍人だったラグの持ち物に似て軍属のようなものを彷彿とさせた。 ダークブロンドの髪は後ろに撫でつけられていたが、湿気のためか少しみだれていた。 身体ががっしりした、強面の、格好良い人。という印象だ。 「お兄さん、中央の人?」 人懐っこい笑みを浮かべてランはおずおずと尋ねてみた。 「そうだ。この土地は雨があまり降らないって聞いていたから油断した」 (兄さんと同じくらいの年かな? 少し外国の人っぽく見えるな) ランにつられるようにして微笑んだ顔は、険がとれてとても優しそうにみえた。 「君は中央にいったことはあるか?」 そのまま意外と話しやすそうな雰囲気になったその男性と、なんとなく世間話が始まってしまった。 あまり知らない人と話してはいけないとメテオに小さい頃はよく言われたけど、もう自分は小さくないから大丈夫だろうとランはおしゃべりをはじめる。 「いいえ。生まれも育ちもここです。今は兄と二人で暮らしてます! ラベンダー畑に続く坂道に商店街があるんですが、そこで香水を売っているので、この街の記念によかったら寄っていってくださいね。アスター香水店って言います」 「ああ、あの。調香師メルト・アスターの店は有名だ。お兄さんがいるのかい?」 探るような聞き方だったが、ランはなんの疑いもなくペラペラと話してしまう。 「はい、兄ですが血は繋がってないです。僕は農園で育って、その後養子になったので」 すると男は天を仰ぐような仕草をした。そして、なぜか大きな身体を屈ませて、親しげに目線を合わせながらランに優しく話しかけてきた。 「俺は中央からここの領主のソフィアリ・モルスを訪ねてきた。君が言う農園の近くの彼の館にいきたい。このあたりには不慣れなもので、案内してくれないか?」 大好きなソフィアリのお客さんとわかり、ランの目が煌き、更に可愛いらしくなった。 そして雨に余計なアロマが拭いさられてラン本人の芳香がふわふわと薫る。 (たまらなくいい香りだ。ここまで馨しいのは久しぶりだな) 男はそれを感じて密やかに吸い込むと、胸の奥からさらにこの瑞々しいフェロモンを自らの香りをもって誘発してやりたい衝動覚えたが、強く抑制した。 日頃から心を折りたたむことに長けた軍人だからこそできる技である。 それほどに、この少年のフェロモンは誘惑に満ちていた。 多分絶対にオメガだろう。中央では番のいないオメガはチョーカーをして頸を守っているが、噂通りこの街ではオメガもチョーカーなしでごく自然に暮らしいてるようだ。 それにしても、なんと甘く芳しい。 香水となって遥か遠くにいる番を呼び寄せたという、王妃の香りの香水も嗅いだことがあるが、これほど心を動かされなかった。 「あ、あの。お兄さん、良い香りがします。香水お好きなんですか? 僕の好きなシトラスとムスクの香り……」 うっとり微笑む小さく可愛らしい口元をみて、今すぐ唇を寄せて奪い取りたくなった。 「俺の名前はクィート・モルスだ。君は?」 「僕の名前はラン・アスターです。はじめまして」 はにかむ笑顔でさらに芳香が弾けて増した。 まだ僅かに雨が落ちるので往来は少ないが、この香りを誰にも辿らせたくない気持ちに支配され、鞄を持っていない方の腕でランを引き寄せるとクィートは駆け出した。
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