もうひとつの家族

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もうひとつの家族

 二人で雨の中を駆けていたら、いつの間にか雨はやんで空には虹がかかった。どちらともなく歩調を緩めて二人は一緒に大空を見上げる。  まだ雨の気配が残り、日の光に細かな飛沫のようなものが視界に舞う中、虹は大きなものとその下に小さなものと二重にかかっていた。 「すごい! 綺麗な虹!」  初めて見る虹にランは空を指差しながら大興奮して、その場でぴょんぴょん飛び上がる。兄のメテオに見せたくてたまらなくなった。  しかし隣に立つ土地に不慣れなクィートを置いていくわけにはいかなかった。  クィートは虹を見て大騒ぎをしているランの肩を自然に親しげに抱きよせ、鞄を引き上げると虹を指差した。 「俺の育った中央地域では虹の下に共に立つ男女は一緒に幸せを掴むと言われている」  そんな風に言ってにやりと微笑む、男の魅力的な蒼い瞳はランの良く知っている男を彷彿とさせた。まじまじと見つめると、逆にクィートの方が雨上がりのきらきらとした日の光に輝くランの瞳に魅入られ頬を緩めて覗き込んできた。 「でも僕は男ですよ」 「でもオメガだろう? 俺はアルファだ」  びっくりして飛のくランを逃してやりながら、クィートはいたずらっぽい笑みを浮かべて片眉をあげた。  そのやや大仰にも見える仕種は、なぜか領主のソフィアリに似ていた。そういえばこの海のように深く蒼い瞳といい、姓がソフィアリと同じだったからもしかしたら彼は中央に住むと言われるソフィアリの親類なのかもしれない。  とはいえ初対面でオメガであることを言い当てられるのは驚くべきことだ。この街のオメガは中央のオメガのようにチョーカーをしているわけではないし、ランは番がいるわけではないので項に噛み痕がついているわけではない。 「ぼ、僕がオメガかなんてどうしてわかるんですか?」  漸く初対面の旅の男に警戒し始め、愛層の良いランにしてはちょっとつんつんして聞いてしまう。そもそもこの街に住むものはみな誰がオメガであるか、大体はわかっているからわざわざ口に出して言われることなどないのだ。  なにかそれと分かるような変な癖でも出ていたのかとランは毛づくろいをする子猫のように自分自身を小首をかしげて見回しているから、クィートはそんなランの幼げな仕草をたまらなく可愛く思えた。  そうしている間にもランから零れ香る、目の前に桃色の花吹雪が散っているかのような錯覚すら浮かぶそそられる香り。 「君のそのフェロモン。たまらなく良い香りだからな。色々な花の香りに果実も混じったような、春の花園みたいな香りだ。……少しキザか?」  そういって厳つくも端正な顔に似合わずクィートがふざけ、おどけて見せたから、ランも大きく口を開けてあははと笑った。警戒心などものの数分も持たないランは無邪気に愛らしく笑う。  顔中口になったかのような前回の笑顔は、口の大きな兄のメテオに似た仕草なのだ。 「そんなこと言われたの、初めてだよ。僕ほとんどフェロモンはでてなくて、匂いなんて他人にすらわからないって思ってた。自分じゃ自分の香りは全然わからないし、兄さんも僕の香りのこと何も言わないし……」 「君の兄さんはベータなのか?」  目元を細めて口元に手を当て、クィートはそれこそランのことを探るような聞き方をしてきているのに、ランは全く意に介せずに以前からの知己にでも話すように続ける。 「うーうん。アルファ。アルファの調香師。オメガの香りのする香水を作ってるよ。すごい人気なんでしょう? 中央でも」  やや誇らしげに話してしまうのは、先代の父、そして今は兄が作り上げてきたオメガの香水。それはこの地域はおろか国を代表する逸品であるとの想いと、共に店を守っているという自負がランの笑顔をさらに眩しく輝かせた。 「ああ。まあな。俺でも紫の小瓶ぐらいは知ってる」  にっこり頷く笑顔のランに、クィートも日頃は職業柄やたらとはニヤつくことのない自分が、自然に笑顔になっていると、ランの持つ相手を明るく穏やかにさせてくれる力を不思議に感じていた。 「紫の小瓶は、この地で敬愛されている、領主ソフィアリ様の香りですものね!  ……あーあ。僕も早く香水になりたいなあ」  そういったランの顔は途端に寂しげだった。 「兄さんには番はいるのか?」 「兄さんはね、アルファ性を持つ調香師だから、オメガのフェロモンをより厳密に嗅ぎ分けるために番は作れないんだ」 「お前は? 番になりたい相手はいるのか?」  クィートは再びやや強引にランの華奢な薄い肩を抱きつつ、問いかけに応えて顔を上げたランの愛らしい顔を覗き込む。自分でその魅力を知り得ている男らしく強い視線を甘い目元に真っすぐにあわせる。そしてゆったりとした仕草で、ランの真っ白な頸を隠すように長さのある髪ごと、その項を指でなぞった。  項に触れるのはアルファが意中のオメガにするしぐさなのだがランは、初めてメテオ以外のアルファに触れられて底知れぬ畏怖が浮かぶのと同時に、胸が痛いほどに高鳴るのを抑えることができなかった。 「僕……。番になりたい人はいるけど……。その人とはなれないから」  朱赤の果実のような瞳を彩る、長い睫毛にはうっすっらと涙の被膜からはがれた雫がたまっているように見えた。それでクィートは大体の事情を察したのだった。 「俺なら番にしたいオメガにそんな顔はさせないけどな」 「?」  無垢で鈍感で経験値の低いランは言っている意味がよくわからなそうな顔で小首をかしげて曖昧に微笑んだ。  雨上がりに鳥たちが餌を探して飛び立ち、木々からしずくが垂れる。  キラキラと日の光を浴びてまるで光の珠のように飛び散り美しかった。 「さあ、先を案内してくれ」
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