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追ってはいけない。泣きすがってはいけない。
いつか去っていく人だと、なんとなくだが分かってはいたのだ。
「足跡を消しながら生きてきた」
彼はそんな台詞を、寂しい笑顔を浮かべながら言ったことがある。
どんな過去があるのか、突っ込んでみたことはない。お互いに、相手の深い部分に足を踏み入れないようにしていた。
頭を布団の中に突っ込む。まだ残っている彼の匂いが、嗅覚を通じて胸の内側を撫でてきた。
こめかみの下あたりを、温かいものが流れる。あと五分でも眠り続けていれば、こんな思いをせずにすんだのに。
私の心の中だけに、彼の足跡はしばらく残り続けるのだろう。
まだ明け方だ。ゆっくりと深呼吸して、彼の匂いに包まれながら、もう一度眠りにつく。
夢の中にいるはずの彼の、あの寂しげな笑顔を思い浮かべながら。
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