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七.
「ちょっと!?
いつまで待たせるのよ!!
約束の時間はとっくに過ぎてるわよ!?」
いかにも金持ちそうな身なりの中年女が、突然にVIPルームの扉を開け放ち店長を睨み付けた。
「おいおい、大事なお客様との商談の最中なんだ、いきなり失礼だぞ。
あと五分待てないのか」
店長が大きなため息をつくが、
「ふん、あんたいっつもそうやって言うけど、五分で済んだことなんて一度も無いじゃない。
時計屋が時間守れないなんて本末転倒、間抜けな話じゃなくて?
お先に行かせてもらうわ」
店長の妻と思われるその女性は、強めに鼻で笑うと扉も開け放したままハイヒールの靴音を響かせて去って行った。
「すみませんね、いつもあの調子なもので……どうかお気を悪くなさらずに……」
そう言って苦笑いを浮かべ深々と頭を下げた店長は、しかしながらすぐに気を取り直すと、さらに講釈を連ねながら次々に多種多様の時計を取り出しては試着させた。
が、若者は結局何も買うことも無く店を出て行った。
店長の妻の無礼が気に入らなかったわけでは無い。
その店の商品を買う程のお金を持っていないなどというわけでも無い。
ただ、店長と妻の喧嘩に、あまりに正確な時計に支配されて生きることなど窮屈でしか無いのでは無いか、と感じてしまったからだ。
たったの五分のことで争いになるなど、馬鹿げている。
だったらいっそ時計など持たない方が幸せなのでは無いか。
そう思ったのだ。
大切なのは時間に縛られて生きることではなく、多少の時間のズレなど気にしない心のゆとりではないか。
彼は頷き、ゆっくりと歩み去って行った。
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