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十五.
やがて水の流れは突然に止まった。
一瞬、時の狭間に陥ったような不可解で淀んだ空間が訪れた。
そして今度は時間が巻き戻るかのように、流れは逆転し、飲み込んだ全てを道連れにさらに激しい勢いで引き返し始めた。
さりとて時間は戻ったりなどしてはいなかった。
それはただ、同じ、いや、あるいは先よりも酷い蹂躙が、逆向きに繰り返されただけのことであった。
ただし、それが始まる前のほんの僅かな静寂の中を、首から長い鎖とその先に結ばれた杭を引きずった一頭のシェパードが、水面を漂い、丘へと上る細い坂道の入口でフェンスに引っ掛かり、やがて大きく何度も咳き込むと坂を数歩這い上がって身を横たえた。
だがそうしていたのはほんの数秒であっただろうか。
ひどく消耗し朦朧としながらも、再び大きく咳き込みふらふらと立ち上がったシェパードは、全身を震わせて水を弾き飛ばすと、鎖を引きずりながらゆっくりと丘を上り、途中で一度だけ振り返った。
御主人様は毎日一時間以上の散歩をするのが日課だった。
同じコースばかり歩くのも好きでは無かったらしい。
おかげでそのシェパードは、この街に知らぬ場所などほとんど無く、ほぼ全域にマーキングし尽くしていた。
だが、もはやそうして主張する縄張りなどただの一箇所も残されてはいない。
どんなに鼻をひくつかせても、辺り一面には汚泥と瓦礫と絶望にまみれた潮の臭いしか感じられなかった。
シェパードは眉間に皺を寄せてその光景を睨み付け、しばらく激しい唸り声を上げ続けていたが、ふいに何度か大きく吠えた後に背を向けると走り出し、アスファルトと鎖の擦れる金属音を響かせながら、丘の向こうへと駆け去って行った。
終
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