三.

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三.

「げほ……。くそ、邪魔臭ぇ……。ちゃんとメシさえ食わしてくれてりゃ逃げたりなんかしねぇっつーのによぉ……」 「ライは逃げるだろ。体は小さいけど僕の方が先輩なんだからな。ライが子供の頃、散歩中にリードを振り切って逃げてるのを何度も見てきてるよ」 限界まで庭の外へ顔を出そうと踏ん張りながら、コーギーが横目で言う。 「ちっ、お前もうるせぇよ。チビのクセに先輩ヅラしてんじゃねぇ」 「体格は関係無いね。僕らの体は人間たちの色んな目的に合わせて出来上がったものであって、どっちが偉いとかそういうのは無いだろ。でもまぁ、僕が先輩なのは事実だし、ライが赤ん坊の頃によく癇癪(かんしゃく)起こして泣き(わめ)いて御主人様を困らせてたのも何度も見てきてるよ」 「セイタ、てめぇ!」 口元を緩めるコーギーのセイタの横顔が(しゃく)(さわ)り、再びライが走り出してセイタに飛びかかるが、どう見ても届くような距離では無く、また咳き込み舌打ちをしているライを尻目に、セイタは外へと視線を戻した。 民家もまばらな細道沿いに立つその家は、玄関から細道へと出る一直線の長い歩道が敷かれ、その歩道を挟んで左右に庭が広がる。 よく手入れされた庭木に囲まれたその庭に、正方形の頂点を描くように四つの杭が打たれ、それぞれに一頭ずつの犬が繋がれているのだが、彼らには残念なことに、どんなに鎖を目一杯に伸ばしても、どの犬も庭の外には届かず、庭の中央の歩道にも家にも届かず、家に近い二点に繋がれたニシキとヤシチにのみ、かろうじて門の外の正面に広がる広大な田んぼが垣間見えるのみであった。 「おいニシキ、なんか見えるか」 いったん諸々を諦めて立ち止まったライがニシキに振り返るが、 「いつもと同じ、ただの田んぼよ。ちょうど水抜きが始まった頃かしらね、泥臭いわ」 ニシキは何度か鼻をひくつかせた後につまらなそうに座り込んだ。 「爺さんは……って、寝てんじゃねぇよ」 「起きとるよ……。儂はもう老犬じゃからのぅ……。世界がどんなであろうと、門の外に何が見えようと、あるがままを受け入れ、身を(ゆだ)ねるだけじゃからな……。御主人様の帰りが早かろうと遅かろうと、それも同じことよ……」 「つまんねぇ話してんじゃねぇ」 全く理解不能といった顔で空を見上げて鼻をひくつかせるライだったが、確かにニシキの言う通り、感じ取れるのは田んぼの青々とした稲と、田んぼから抜かれた水が用水路を流れて放つ泥の臭いばかりで、その中に御主人様特有の土と野菜と汗が混じったしょっぱい臭いや、御主人様の乗る軽トラックのガソリンの臭いなどはまるで嗅ぎ当たらなかった。
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