五分の一の追想

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 小学生の頃、僕は漫画家になりたいと思っていた。絵を描くのが好きだったわけでも、物語を作るのが得意だったわけでもない。夢中になって読んでいた漫画があって、その作者みたいになりたいと思っていた。子どもじみた理由だけど、その時は本当に子どもだったんだから仕方ない。  中学生になると、自分とは何なのか常に考えるようになった。自分の長所は何だろう。人と違うところはあるのだろうか。きっとあると信じていたけど、心の底では不安で仕方がなかった。何故だか無性に苛々して、親と激しく喧嘩したときもあった。正直な話、思い出しただけで耐えきれないほど恥ずかしい気持ちになる思い出もあるけど、長くなりそうだから省略しておく。  高校生の頃は、幸運にも多くの友人に恵まれた。頭のいい奴もいたし、成績は今ひとつだけど一緒にいて飽きない奴とか、とにかく個性的な仲間に囲まれて楽しく過ごしていた。  進路について考える時期になると、みんながそれぞれ真剣に自身の未来について語った。病気を患った家族を治療してくれた医者を見てから、自分も医療の道に進むことを決めた奴。地元の企業に就職して、幸せな家庭を築くのが夢だと語った奴。時折ふざけたりもしたけど、未来について語る時の目はみんな例外なく真剣そのものだった。  僕は散々迷った末、県内の大学に進学した。バイトをしたり、たまに友達と遊んだりもしているけど、勉強は真面目にやっている。いずれ就職したら、両親に育ててくれた恩返し……と言ったら大袈裟だけど、まずは二人の好物をご馳走してあげようと思っている。二人とも旅が好きだから、どこか有名な温泉地に連れて行ってあげるのも悪くないかもしれない。  ふう、と深く息を吐いて、僕は頭まで被っていた布団を下ろした。仰向けになっていた体を左へと倒して、壁に掛かった時計をじっと見つめる。  僕の誕生日まで、あと五分。時計の針が重なった瞬間、僕の十代は終わりを告げる。名実ともに、大人になるのだ。  大人とは、どういう人を指すのだろう。その答えを見つけるのが、十代の若者に課された宿題のようなものだと思っていた。だけど結局答えを見つけられないまま、僕は大人という肩書きを受け取ろうとしている。あらゆるしがらみから解き放たれる代わりに、社会的責任という重荷を背負わされようとしている。いつかはその重みも、僕の一部となってくれるのだろうか。  結局、大人とは何かなんて誰も知らないのだろう。知らないからこそ、長きに渡って答えを探している。そしてその答えは、きっと人それぞれ違うのだ。  大人になった僕には、どんな人生が待っているのだろう。社会に出て、世のため人のためにちゃんと働けるだろうか。自分の人生を預けたいと思えるパートナーは、いつか見つかるだろうか。誰に対しても幸せだと言い切れるような人生を、送ることができるだろうか。  期待と不安が入り混じり、なかなか寝付くことができない。早めに眠って朝と共に成人を迎えたかったけど、流石にそれは無理そうだ。だけどこうして、子どもと大人の境目を跨ぐ瞬間を見届けるというのも悪くない。  時計の針が僅かに動く。誕生日まで、あと二分。お酒にはあまり興味がないけど、両親に少しだけ付き合ってあげるのもいいかもしれない。  いつかその気になったら、父さんの好きなお酒を買ってあげよう。それぞれの場所で頑張っている高校時代の友人たちとも、いずれまた会ってたくさん語り合いたい。未来のこと、思い出話……直接話したいことは、たくさんあるのだ。  懐かしい顔を思い出して、つい笑みがこぼれ出る。僕の視線の先では、時計の針が静かに重なろうとしていた。
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