五分五分

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ゴングが鳴り響き、第2ラウンドが終了した。 選手は互いのコーナーに戻り、インターバルを取り始める。 オープンスコアリング・システムなのでポイントがアナウンスされた。 総合格闘技戦、前座からの昇級戦に位置付けられている試合。 新人にカテゴライズされている選手同士の第1試合。 しかも両選手が共に無敗であるという、話題の一戦であった。 「お互いに1ポイントづつなので、イーブンです。」 赤コーナーに戻ってきた須藤選手は、未だ無敗の打撃系。 しかも全ての試合をノックアウトで飾ってきた。 今日の試合に勝利すれば、今年の新人王も確実視されている。 「ポイントは五分五分だが、須藤選手に勢いが在りますね。」 解説者はアナウンサーに同意を求める様に話す。 それを受けて、アナウンサーも大きく頷いた。 須藤は元々はアマレスの強豪選手、鳴り物入りで総合格闘技に転向。 恵まれた身体能力を活かした打撃も習得する。 彼のトレーナーは元ボクシング東洋太平洋王者。 その右フックとマウントパンチは、対戦相手には脅威であった。 「須藤、パンチだけでイケるぞ。  相手はガードの上からでも嫌がってるのが分かるしな。」 「そうすね、手応えは在ります。」 「奴はサブミッションしか出来ないから、組ませなきゃ勝ちだ。」 「1ラウンドのカウンターはマグレだったし。」 「あれが特訓した必殺技だろ、もう何も残って無いよ。」 1ラウンド序盤、パンチ連打で距離を詰め過ぎた時にパンチを貰う。 須藤は全くダメージを負わなかったが、1ポイントを取られていた。 「お前の方がリーチは長いし圧力も在る、距離を詰めるな。」 「分かってます、大丈夫です。」 「ポイントは五分でも、お前の優勢は明らかだから。」 「このまま判定に持ち込めばカタいっすね。」 「最後のラウンドだ、格の違いを見せてやれ。」 セコンド陣営には余裕が溢れていた。 それ程、試合内容では押し続けていたからである。 レフェリーがインターバルの終了と、次がラストラウンドだと告げた。 青コーナーに戻ってきた小林選手は肩で息をしていた。 2ラウンド中ずっと、須藤の打撃に苦しめられていたからである。 ガードの上から叩き付けられたパンチによって顔が少し腫れていた。 「見えるか、コバ?」 「問題無いです。」 2ラウンドでは、開始早々ボディへのパンチを受ける。 マウスピースを吐き出してしまう程の威力であった。 そこからは防戦一方で、ポイントを取られたのも仕方が無い。 1ラウンドでは上手くカウンターを決められた。 確かに右フックが綺麗に入ったのである。 ダメージを与えられた気配は全く無かった。 だが、かろうじてポイントを取る事には成功している。 そんな小林の戦績も須藤と同様に無敗ではあった。 しかし全ての試合が僅差での判定勝利。 打撃を掻い潜って関節技を狙うスタイル、地味な実力者。 派手に勝ち続ける須藤の評価とは、全く対照的である。 セコンドは皆、小林の顔の腫れを気にしていた。 もう少し大きく腫れたら、視界を塞いでしまうからである。 「コバ、ポイントは五分五分だが判定になったら負けるぞ。」 「ですね、…分かってます。」 「ここで狙っていけるか?」 「その為に特訓してきたじゃないですか。」 「よしっ、作戦がハマれば勝てるかも知れん。」 (勝てるかも知れん…か。) 陣営には敗戦ムードが漂っていた。 それ程に相手選手の圧力が凄かったからである。 レフェリーがインターバルの終了と、次がラストラウンドだと告げた。 ラストラウンド、残りは5分だけである。 総合格闘技は殆どの大会で、1ラウンドが5分で行われていた。 ボクシングを中心とした打撃系は1ラウンドが3分。 なので転向してきた選手はスタミナ的に不利だと言われていた。 レスリングがベースの須藤、身体は筋肉の鎧。 打撃の練習もボクシングが中心、瞬発的な精度を上げてきたのだろう。 小林陣営は3分過ぎに仕掛ける作戦を立てた。 その筋肉質の体型から、ラウンド終盤のスタミナ切れを狙うのである。 3分経過のコールを狙う事にしていた。 前日の計量の時、大型ルーキーの須藤はインタビューを受けていた。 取材陣の人数も二桁でメインイベンター並み。 それは小林に対しての、余裕綽々の勝利宣言でもある。 「小林選手は関節技の名手、チョークが得意と聞いている。  だけど自分の首は鍛え上げてある、効かないと思う。  それ以前に、自分に触れる事が出来ないんじゃないかなぁ。」 須藤は終始半笑いで喋っていた。 命のやり取りをするのには、軽い受け答えである。 その発言を受けて、小林もインタビューを受けていた。 テレビ放送に合わせた煽りのVTRの為である。 「ボクも特訓しています、一撃必殺の技です。  須藤選手をノックアウト出来ると思います。」 大真面目な小林の発言に対して、記者からは失笑が漏れていた。 誰もが試合を盛り上げる為の発言だと思ったからである。 それは須藤の陣営も同様であった。 …試合の一週間前。 小林はジムで苦手な打撃の特訓をしていた、須藤への対策である。 ジムオーナー兼トレーナーの藤原と一緒であった。 どずん!どずん! 小林はサンドバッグに打撃を加え続けていた。 それは後ろ廻し蹴りである。 打撃、特に蹴りが苦手の小林が蹴り続けていた。 現在では選手の情報は、全て対戦相手は知る事が出来る。 過去の試合も動画サイトで見れる事が多い。 つまり事前に対策が立てられ易いという事である。 予想も出来ない攻撃が有効なのだ。 特に見えない打撃はポイントが取り易いのである。 どずん!どずん! 「うん、音が重くなってきている。  当たればかなりの威力が在ると思うぞ。」 「脳を揺らすんなら、首から上ですね。」 「そうだな。」 小林もトレーナーも、同時に一緒の事を思っていた。 (当たればだけど…。) レスリングがベースの須藤はクラウチングスタイル。 前傾姿勢のまま長いリーチでパンチを狙ってくるのが基本。 距離が遠いのでローキックを当てるのは至難の業である。 ボクサー並みのパンチにカウンターも取りにくい。 遠い距離からの打撃で、選択したのが廻し蹴りであった。 小林はタックルの経験が薄いので打撃系の構え。 アップライトスタイルであった。 ローキックを狙えば、カウンターのパンチを狙われる。 ミドルキックだと残った足を掴まれるか、タックルの餌食。 なのでフック系のパンチのカウンターを返す。 それが一番可能性の在る攻撃であった。 最終ラウンド迄でポイントで勝っていた場合は、逃げ切る。 負けていた場合、逆転を狙う時の為の隠し技でもあった。 「コバ、蹴り終わった後のバランスがイマイチだなぁ。」 「軸足が揺れるんですよね。」 蹴りを空振りした後の体幹がブレるのであった。 つまり、当たらなければ態勢を崩してしまう。 相手に取っては攻撃が狙い放題という事になるのだ。 だが、とうとう改善する事は出来なかった。 当たらなければ、無抵抗の棒立ちになってしまう。 当たらなければ…。 「後5分。」 レフェリーから告げられた須藤は、セコンドにも告げる。 「5分だけ捌いていれば勝てるって訳だ。  チャンスが在れば一発で仕留めるよ。」 「1ラウンドの事が在るから距離は詰めるなよ。」 「大丈夫、アレが最初で最後の抵抗だから。」 立ち上がりながらオープンフィンガーグローブを合わせる。 汗一つかいておらず、呼吸も乱れていなかった。 まるで残業をするかの様に、リング中央へと向かう。 「後5分。」 レフェリーから告げられた小林はセコンドに向き直る。 インターバルに入る前より、その視線は鋭くなっていた。 ほんの微かな声で囁く。 「もう5分しか残っていない。  凌いで凌いで、3分超えたら仕掛けます。」 「慌てず、絶対にヒットさせろよ。」 「分かってます。」 グラップリングの名手が仕掛ける、ロングレンジの打撃。 想定外の攻撃である。 表情は硬く、まるで十三階段を登っているかの様。 人生を賭けた博打を打つのだから、無理もない。 まるで底なし沼から這い出る様に、重い腰を上げる。 それは覚悟の重さ故の動作であった。 レフェリーに促されて、両者はリング中央に向かう。 向かい合ったにも関わらず、両者の視線が交錯する事は無かった。 須藤は小林の顔の腫れ具合を確認していた。 何処に攻撃が効いているのかを、見極めていたのである。 小林の視線は須藤の踏み出されている足を見ていた。 その爪先が、自分との最短距離である。 つまり射程距離を測っていたのだ。 レフェリーによって両者は分けられた。 お互いのコーナーを背中に受ける。 その時に二人は互いの陣営を背負ったのだ。 ゴングが鳴り響いた。 互いにユックリと近付き始める。 リング上に、円を描きながら。 須藤の両拳が先程よりも、前方の上に位置していた。 ガードが上げられ、防御が固くなったという事である。 このままでは負けてしまうだろう。 小林は逆転の一撃を加える為に、ほんの少しだけ距離を詰めた。 つまり須藤の打撃も当たり易くなったという事でもある。 先ずは3分間、彼の攻撃を捌かなければならない。 ジャブで様子を見ていた須藤のラッシュが始まった。 小林は防戦一方になってしまった様に見える。 実際、カウンターを狙える隙が無かった。 「1分経過、ワンミニット・パースト。」 小林は後退するのを止めて、円を描いて攻撃を回避した。 須藤との距離を維持したままにする為である。 (キツイな…。) ガードなどお構いなしに強烈なパンチを打ち込んでくる。 同じ様なパンチを小林も打ち込み始めた。 「2分経過。」 場内アナウンスが告げる。 両者は我慢比べの打ち合いを続けていた。 ガードをしているにも関わらず、小林の顔の腫れは増している。 パンチ力の差は、誰の目にも明らかであった。 このままでは判定で負けてしまうのだろう…。 小林は覚悟を決めた。 またも、ほんの微かに距離を詰めたのである。 「3分経過。」 須藤は、もうジャブを打ってはこなかった。 当たれば倒れるレベルのフックとストレートだけである。 小林の心を砕こうとしているのであった。 須藤のパンチの連打を貰い続けながら、そのリズムを読んでいた。 試合では練習した事が出るもの、攻撃のリズムも又然り。 須藤が次の攻撃のリズムを刻み始めた。 その刹那、小林は大きく足を踏み込んだ。 今迄で一番距離が詰められた。 その脚を軸にして、身体を高速回転させる。 秘密裏に特訓してきた、後ろ廻し蹴りを放ったのだ。 それは、これ以上ない程の抜群のタイミングであった。 渾身の蹴りが須藤の頭部に襲い掛かる。 彼はコンマ何秒かで、その態勢を引いた。 小林の全体重を乗せた蹴りは、須藤の鼻先を掠めていったのである。 空振り。 「…!」 「…!」 須藤も焦っていたが、それ以上に小林も焦っていた。 両陣営のセコンドが同時に立ち上がる。 特に須藤陣営は、皆が勝利を確信していた。 全体重を乗せた蹴りを空振ってしまった小林は、態勢を崩した。 練習で起きた事は、試合でも起きる。 万事休す。 よろめいた小林を須藤が見逃す筈も無かった。 余裕で試合を支配していた須藤の闘争本能が目覚めたのだ。 咄嗟の時にはベースの格闘技が表出してくるもの。 須藤は元々がインターハイ級のレスラーだったのである。 「高速タックル~!」 アナウンサーが絶叫する。 それ以上に両陣営からも絶叫が飛び交っていた。 須藤は小林の両脇に腕を差し、テイクダウンを取ろうとした。 小林は両足で踏み止まってタックルを防いだ。 グラップラーだけあって、腰の重さには定評が在った。 胸の下の須藤の頭部から、唸り声が聞こえてくる。 眼下には、ガラ空きになっている須藤の首が。 千歳一隅。 小林は体重を預けてタックルを潰していった。 そして、須藤の空いている首に腕を捻じり込んでいく。 須藤が逃げようと腕で首を引いた為に、余計にめり込んでいった。 「アームトライアングルチョークだ~!」 形勢は小林に傾いていた。 アナウンサーが叫んでいたが実際は違う技である。 ニンジャチョーク。 須藤の身体能力と圧力だとギロチンチョークでは外される。 敢えてフィギュア4で固定して絞めたのだ。 これを外されたら、もう小林に体力は残っていない。 渾身の力で絞め上げた。 「須藤~!」 セコンドが絶叫しているのが耳に入って来る。 もう余裕もヘッタクレも無くなっていた。 釣られて会場も絶叫で声援を送っている。 「コバ!コバ!」 小林の陣営も興奮していた。 この態勢に入った時の小林が強いのを知っていたからだ。 もの凄い力で抵抗していた須藤の動きが弱まる。 小林を引き剥がそうとしていた腕から力が抜けていった。 やがて、その腕がダラリと垂れ下がる。 軽く痙攣してから、須藤は失神してしまった。 「大逆転だ~!」 アナウンサーは絶叫を続け、会場は興奮の坩堝に落ちる。 小林は自分の陣営が飛び上がっているのが見えた。 かんかんかんかん! 意識の底の方で、ゴングが鳴るのが聴こえた。
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