五分五分

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
ゴングが鳴り響き、第2ラウンドが終了した。 選手は互いのコーナーに戻り、インターバルを取り始める。 オープンスコアリング・システムなのでポイントがアナウンスされた。 総合格闘技戦、前座からの昇級戦に位置付けられている試合。 新人にカテゴライズされている選手同士の第1試合。 しかも両選手が共に無敗であるという、話題の一戦であった。 「お互いに1ポイントづつなので、イーブンです。」 赤コーナーに戻ってきた須藤選手は、未だ無敗の打撃系。 しかも全ての試合をノックアウトで飾ってきた。 今日の試合に勝利すれば、今年の新人王も確実視されている。 「ポイントは五分五分だが、須藤選手に勢いが在りますね。」 解説者はアナウンサーに同意を求める様に話す。 それを受けて、アナウンサーも大きく頷いた。 須藤は元々はアマレスの強豪選手、鳴り物入りで総合格闘技に転向。 恵まれた身体能力を活かした打撃も習得する。 彼のトレーナーは元ボクシング東洋太平洋王者。 その右フックとマウントパンチは、対戦相手には脅威であった。 「須藤、パンチだけでイケるぞ。  相手はガードの上からでも嫌がってるのが分かるしな。」 「そうすね、手応えは在ります。」 「奴はサブミッションしか出来ないから、組ませなきゃ勝ちだ。」 「1ラウンドのカウンターはマグレだったし。」 「あれが特訓した必殺技だろ、もう何も残って無いよ。」 1ラウンド序盤、パンチ連打で距離を詰め過ぎた時にパンチを貰う。 須藤は全くダメージを負わなかったが、1ポイントを取られていた。 「お前の方がリーチは長いし圧力も在る、距離を詰めるな。」 「分かってます、大丈夫です。」 「ポイントは五分でも、お前の優勢は明らかだから。」 「このまま判定に持ち込めばカタいっすね。」 「最後のラウンドだ、格の違いを見せてやれ。」 セコンド陣営には余裕が溢れていた。 それ程、試合内容では押し続けていたからである。 レフェリーがインターバルの終了と、次がラストラウンドだと告げた。 青コーナーに戻ってきた小林選手は肩で息をしていた。 2ラウンド中ずっと、須藤の打撃に苦しめられていたからである。 ガードの上から叩き付けられたパンチによって顔が少し腫れていた。 「見えるか、コバ?」 「問題無いです。」 2ラウンドでは、開始早々ボディへのパンチを受ける。 マウスピースを吐き出してしまう程の威力であった。 そこからは防戦一方で、ポイントを取られたのも仕方が無い。 1ラウンドでは上手くカウンターを決められた。 確かに右フックが綺麗に入ったのである。 ダメージを与えられた気配は全く無かった。 だが、かろうじてポイントを取る事には成功している。 そんな小林の戦績も須藤と同様に無敗ではあった。 しかし全ての試合が僅差での判定勝利。 打撃を掻い潜って関節技を狙うスタイル、地味な実力者。 派手に勝ち続ける須藤の評価とは、全く対照的である。 セコンドは皆、小林の顔の腫れを気にしていた。 もう少し大きく腫れたら、視界を塞いでしまうからである。 「コバ、ポイントは五分五分だが判定になったら負けるぞ。」 「ですね、…分かってます。」 「ここで狙っていけるか?」 「その為に特訓してきたじゃないですか。」 「よしっ、作戦がハマれば勝てるかも知れん。」 (勝てるかも知れん…か。) 陣営には敗戦ムードが漂っていた。 それ程に相手選手の圧力が凄かったからである。 レフェリーがインターバルの終了と、次がラストラウンドだと告げた。 ラストラウンド、残りは5分だけである。 総合格闘技は殆どの大会で、1ラウンドが5分で行われていた。 ボクシングを中心とした打撃系は1ラウンドが3分。 なので転向してきた選手はスタミナ的に不利だと言われていた。 レスリングがベースの須藤、身体は筋肉の鎧。 打撃の練習もボクシングが中心、瞬発的な精度を上げてきたのだろう。 小林陣営は3分過ぎに仕掛ける作戦を立てた。 その筋肉質の体型から、ラウンド終盤のスタミナ切れを狙うのである。 3分経過のコールを狙う事にしていた。 前日の計量の時、大型ルーキーの須藤はインタビューを受けていた。 取材陣の人数も二桁でメインイベンター並み。 それは小林に対しての、余裕綽々の勝利宣言でもある。 「小林選手は関節技の名手、チョークが得意と聞いている。  だけど自分の首は鍛え上げてある、効かないと思う。  それ以前に、自分に触れる事が出来ないんじゃないかなぁ。」 須藤は終始半笑いで喋っていた。 命のやり取りをするのには、軽い受け答えである。 その発言を受けて、小林もインタビューを受けていた。 テレビ放送に合わせた煽りのVTRの為である。 「ボクも特訓しています、一撃必殺の技です。  須藤選手をノックアウト出来ると思います。」 大真面目な小林の発言に対して、記者からは失笑が漏れていた。 誰もが試合を盛り上げる為の発言だと思ったからである。 それは須藤の陣営も同様であった。 …試合の一週間前。 小林はジムで苦手な打撃の特訓をしていた、須藤への対策である。 ジムオーナー兼トレーナーの藤原と一緒であった。 どずん!どずん! 小林はサンドバッグに打撃を加え続けていた。 それは後ろ廻し蹴りである。 打撃、特に蹴りが苦手の小林が蹴り続けていた。 現在では選手の情報は、全て対戦相手は知る事が出来る。 過去の試合も動画サイトで見れる事が多い。 つまり事前に対策が立てられ易いという事である。 予想も出来ない攻撃が有効なのだ。 特に見えない打撃はポイントが取り易いのである。 どずん!どずん! 「うん、音が重くなってきている。  当たればかなりの威力が在ると思うぞ。」 「脳を揺らすんなら、首から上ですね。」 「そうだな。」 小林もトレーナーも、同時に一緒の事を思っていた。 (当たればだけど…。) レスリングがベースの須藤はクラウチングスタイル。 前傾姿勢のまま長いリーチでパンチを狙ってくるのが基本。 距離が遠いのでローキックを当てるのは至難の業である。 ボクサー並みのパンチにカウンターも取りにくい。 遠い距離からの打撃で、選択したのが廻し蹴りであった。 小林はタックルの経験が薄いので打撃系の構え。 アップライトスタイルであった。 ローキックを狙えば、カウンターのパンチを狙われる。 ミドルキックだと残った足を掴まれるか、タックルの餌食。 なのでフック系のパンチのカウンターを返す。 それが一番可能性の在る攻撃であった。 最終ラウンド迄でポイントで勝っていた場合は、逃げ切る。 負けていた場合、逆転を狙う時の為の隠し技でもあった。 「コバ、蹴り終わった後のバランスがイマイチだなぁ。」 「軸足が揺れるんですよね。」 蹴りを空振りした後の体幹がブレるのであった。 つまり、当たらなければ態勢を崩してしまう。 相手に取っては攻撃が狙い放題という事になるのだ。 だが、とうとう改善する事は出来なかった。 当たらなければ、無抵抗の棒立ちになってしまう。 当たらなければ…。 「後5分。」 レフェリーから告げられた須藤は、セコンドにも告げる。 「5分だけ捌いていれば勝てるって訳だ。  チャンスが在れば一発で仕留めるよ。」 「1ラウンドの事が在るから距離は詰めるなよ。」 「大丈夫、アレが最初で最後の抵抗だから。」 立ち上がりながらオープンフィンガーグローブを合わせる。 汗一つかいておらず、呼吸も乱れていなかった。 まるで残業をするかの様に、リング中央へと向かう。 「後5分。」 レフェリーから告げられた小林はセコンドに向き直る。 インターバルに入る前より、その視線は鋭くなっていた。 ほんの微かな声で囁く。 「もう5分しか残っていない。  凌いで凌いで、3分超えたら仕掛けます。」 「慌てず、絶対にヒットさせろよ。」 「分かってます。」 グラップリングの名手が仕掛ける、ロングレンジの打撃。 想定外の攻撃である。 表情は硬く、まるで十三階段を登っているかの様。 人生を賭けた博打を打つのだから、無理もない。 まるで底なし沼から這い出る様に、重い腰を上げる。 それは覚悟の重さ故の動作であった。 レフェリーに促されて、両者はリング中央に向かう。 向かい合ったにも関わらず、両者の視線が交錯する事は無かった。 須藤は小林の顔の腫れ具合を確認していた。 何処に攻撃が効いているのかを、見極めていたのである。 小林の視線は須藤の踏み出されている足を見ていた。 その爪先が、自分との最短距離である。 つまり射程距離を測っていたのだ。 レフェリーによって両者は分けられた。 お互いのコーナーを背中に受ける。 その時に二人は互いの陣営を背負ったのだ。 ゴングが鳴り響いた。 互いにユックリと近付き始める。 リング上に、円を描きながら。 須藤の両拳が先程よりも、前方の上に位置していた。 ガードが上げられ、防御が固くなったという事である。 このままでは負けてしまうだろう。 小林は逆転の一撃を加える為に、ほんの少しだけ距離を詰めた。 つまり須藤の打撃も当たり易くなったという事でもある。 先ずは3分間、彼の攻撃を捌かなければならない。 ジャブで様子を見ていた須藤のラッシュが始まった。 小林は防戦一方になってしまった様に見える。 実際、カウンターを狙える隙が無かった。 「1分経過、ワンミニット・パースト。」 小林は後退するのを止めて、円を描いて攻撃を回避した。 須藤との距離を維持したままにする為である。 (キツイな…。) ガードなどお構いなしに強烈なパンチを打ち込んでくる。 同じ様なパンチを小林も打ち込み始めた。 「2分経過。」 場内アナウンスが告げる。 両者は我慢比べの打ち合いを続けていた。 ガードをしているにも関わらず、小林の顔の腫れは増している。 パンチ力の差は、誰の目にも明らかであった。 このままでは判定で負けてしまうのだろう…。 小林は覚悟を決めた。 またも、ほんの微かに距離を詰めたのである。 「3分経過。」 須藤は、もうジャブを打ってはこなかった。 当たれば倒れるレベルのフックとストレートだけである。 小林の心を砕こうとしているのであった。 須藤のパンチの連打を貰い続けながら、そのリズムを読んでいた。 試合では練習した事が出るもの、攻撃のリズムも又然り。 須藤が次の攻撃のリズムを刻み始めた。 その刹那、小林は大きく足を踏み込んだ。 今迄で一番距離が詰められた。 その脚を軸にして、身体を高速回転させる。 秘密裏に特訓してきた、後ろ廻し蹴りを放ったのだ。 それは、これ以上ない程の抜群のタイミングであった。 渾身の蹴りが須藤の頭部に襲い掛かる。 彼はコンマ何秒かで、その態勢を引いた。 小林の全体重を乗せた蹴りは、須藤の鼻先を掠めていったのである。 空振り。 「…!」 「…!」 須藤も焦っていたが、それ以上に小林も焦っていた。 両陣営のセコンドが同時に立ち上がる。 特に須藤陣営は、皆が勝利を確信していた。 全体重を乗せた蹴りを空振ってしまった小林は、態勢を崩した。 練習で起きた事は、試合でも起きる。 万事休す。 よろめいた小林を須藤が見逃す筈も無かった。 余裕で試合を支配していた須藤の闘争本能が目覚めたのだ。 咄嗟の時にはベースの格闘技が表出してくるもの。 須藤は元々がインターハイ級のレスラーだったのである。 「高速タックル~!」 アナウンサーが絶叫する。 それ以上に両陣営からも絶叫が飛び交っていた。 須藤は小林の両脇に腕を差し、テイクダウンを取ろうとした。 小林は両足で踏み止まってタックルを防いだ。 グラップラーだけあって、腰の重さには定評が在った。 胸の下の須藤の頭部から、唸り声が聞こえてくる。 眼下には、ガラ空きになっている須藤の首が。 千歳一隅。 小林は体重を預けてタックルを潰していった。 そして、須藤の空いている首に腕を捻じり込んでいく。 須藤が逃げようと腕で首を引いた為に、余計にめり込んでいった。 「アームトライアングルチョークだ~!」 形勢は小林に傾いていた。 アナウンサーが叫んでいたが実際は違う技である。 ニンジャチョーク。 須藤の身体能力と圧力だとギロチンチョークでは外される。 敢えてフィギュア4で固定して絞めたのだ。 これを外されたら、もう小林に体力は残っていない。 渾身の力で絞め上げた。 「須藤~!」 セコンドが絶叫しているのが耳に入って来る。 もう余裕もヘッタクレも無くなっていた。 釣られて会場も絶叫で声援を送っている。 「コバ!コバ!」 小林の陣営も興奮していた。 この態勢に入った時の小林が強いのを知っていたからだ。 もの凄い力で抵抗していた須藤の動きが弱まる。 小林を引き剥がそうとしていた腕から力が抜けていった。 やがて、その腕がダラリと垂れ下がる。 軽く痙攣してから、須藤は失神してしまった。 「大逆転だ~!」 アナウンサーは絶叫を続け、会場は興奮の坩堝に落ちる。 小林は自分の陣営が飛び上がっているのが見えた。 かんかんかんかん! 意識の底の方で、ゴングが鳴るのが聴こえた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!