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「ここで、働かせてください」
夜に近い夕方ごろ、私は目当てのキャバクラ店で土下座を披露していた。プライドとかそんなものはあったところでお金にならないし、食事にもならないのだから早々に捨てた。
「うーん、君ねぇ」
「お願いします。どうしてもお金が必要なんです」
必死で頼み込んでも、やっぱり相手になんてされなくて。これはダメかも、と思った。ここへ来る直前に自販機の横で出会った子猫。あの子のためにも私はお金が欲しかった。一人と一匹で生きていけるだけのお金が。
「お前は、なぜそこまでしてここで働きたい」
唐突に、同じ部屋にいた高級そうなスーツに身を包んだ人に話しかけられた。さっきまでこの人は全くこちらに見向きもしなかった人だ。それどころか手元の資料を見ていたはず。それなのに、なんで私を見ているの?
「生きるためです。お金は、裏切らないから」
お金は、裏切らない。人の愛は裏切るけれど、お金はあってもなくても現実だけを見せてくれるから。
「オ、オーナー様!!この者は外へ出しておきますので!!」
何を焦ったのかは知らないけど、一言、言葉を交わしただけで私はそこを追い出されてしまった。結局、その人が誰かもわからないまま、私は何の成果もなく自販機の横に戻ってきてしまった。コートに包んでおいた子猫は弱っていた。
「わたし、のせいで…」
お金は裏切らない、だけどお金がなくちゃ何もできない。お金も何もかも奪われた私にある物なんて何もない。空腹に耐えることは、大人の私だからできること。でもこの子猫はできない。かといって、盗みなんてすることもできない。その覚悟が私にはない。
「ごめんね、ごめんね、助けてあげられなくて…。生かしてあげられなくて、ごめんね…」
ぐったりと目を閉じている子猫をコートごと抱き寄せて、謝る。悲しいのに、涙は出てこない。
「それ、助けてほしいか」
「えっ?」
少しでも子猫を暖めようと、苦しまないようにとぎゅっと抱きしめていると、目の前にピカピカの靴が止まり、声が降ってきた。さっと顔を上げると逆光でよくわからないが、声で分かった。この人はさっきのキャバクラで会った人だと。
「たすけて、くれるん、ですか…」
「ああ。だが、その代わりお前は俺にお前のすべてを差し出せ」
「っ」
「そうだ、いい子だ」
声に誘われるまま、私は無意識に手を差し出した。それはすなわち、この男に私の生殺与奪さえも与えるということだ。私はこの悪魔のような契約を交わさなくてはいけない。
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