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第一話:努力にトドメ
「ねえ。あたしって、可愛くないのかな」
無意識なのか、それともわざとなのか。彼女は少しだけ首を傾げ、目の前の店員に話しかけているようだった。そのちょっとした仕草に似合わず、表情は曇りがかっている。
話しやすいのか、それとも存在感がないだけで独り言の壁打ちにされているか。店員に話し掛ける客は何故か多い。客なので無視するわけにもいかず、店員はいつも適当に対応する。
今の気分はまるで白雪姫に出てくる鏡のような。可愛いの基準は人それぞれだ。店員はそれが分かっているので「個人の意見ですが」と前置きをする。
「普通ですね〜」
「普通かあ〜」
絵の具のようにのっぺりとしたピンク色のツインテールが微かに揺れた。曇りがかった表情が少しだけ和らぐ。
「やっぱり、普通かあ」
自分に言い聞かせるようにもう一度。
彼女はアイドルだ。だが、彼女"の"世界では吸血鬼やサキュバスなどのモンスターたちもアイドルとして活動している。どんなにメイクをしようが整形をしようが、容姿で勝つのは不可能に等しい、という。それは店員も分かっていたので「外見だけ磨いてもダメですよ〜」とフォローした。
「そうだけど……そうだ、ここで歌っちゃだめ?」
彼女はぐるりと店内を見渡して問う。店員は笑いもしないし、怒りもしない。店員の前髪は目が隠れるほど伸びきっており、表情が全く読めないのだ。
「だめでーす」
「じゃあ、踊ってもいい?」
「だめでーす」
スカートの裾を指先でちらりとあげても、店員はダメの一点張りだ。彼女は口を尖らせる。
「ここはただのレンタルショップなので」
「でも、踊るスペースはあるわ!」
「だめったらだめです。CDの宣伝は受け付けませんよ」
「ちぇっ。あ、今日はこれを借ります!」
諦めた彼女が借りたのは、風の小魔法「そよかぜよりもちょっと軽く」。彼女はシンプルなフォントが表記されたパッケージを指先でなぞると、ふふっと笑みを浮かべる。
「面白いタイトル! 誰が考えるの?」
「うちの親会社の社員が、夜な夜な家に帰りもせずに考えてるらしいです……よ?」
彼女は自分を磨くために魔法を借りる。自分の練習環境を少しでも良くしようと魔法を借りる。この魔法もレッスン室のクーラー代を節約するために借りるのだろう。
彼女はあくまで、自分が努力をするために魔法を借りていた。
今日は水と火魔法。今度のロケの特訓に使うの。彼女は嬉しそうに呟いた。
ヒビが入ったスマートフォンの画面には、炎の海をバンジージャンプするという、身体を張りすぎたロケの映像が映し出されていた。彼女の世界ではお笑いの部類に入る番組の企画らしい。さすが人外と人類が入り乱れる世界、スケールが斜め上だ。
「お手紙にね、頑張る姿がいい、って書かれていたの。だからもっと頑張らなきゃ!」
動画内では、下にも横にもファンのコメントは流れておらず、記載もされていない。この世界のアイドルは本物の偶像として扱われ、下手な接触などは禁止だそうな。SNSは宣伝のためにしか使われない。なので、ファンがアイドルに想いを告げ、応援のメッセージを送るには手紙しかない。切手を貼り、自らの手で想いを綴る。よほど好きでない限り、アイドルには想いが届かない。そしてその想いが届けないと、アイドルは頑張れない。
「お客さん、もう充分頑張ってるのにね」
今日借りた魔法は火の中魔法「それでも地獄へランデブー」。きっと強い火魔法をまとって軽減しようというのだろう。
「いやいや。もっと頑張ってる人、いるもん」
と言いつつも口角はちょっぴり上がっている。もっとすごい人間は魔法を使わなくても、と付け加える。
「魔法を使ってくれないと、こっちは商売になりませんよ〜」
「えへへ。そうだった」
もっと頑張ろう! 彼女は白い歯を覗かせて笑った。
久々にやってきた彼女は、雨に打たれたように真っ青な顔をしている。次のCDが、とか、枕が、などの不安と不穏な言葉がシャボン玉のように口から出てきて、すぐ割れていった。
「もう、頑張れないよ……」
今日借りる魔法のケースの色は混沌のように真っ黒。黒いケースは二階の仕切りの奥、禁忌魔法のコーナーだ。タイトルは「努力にトドメ」。今の彼女の心境にはマッチしているが、内容がシャレにならないものだ。だが、彼女のダリア柄のがま口のMP……魔法通貨では全く足りない。レジ作業をしながら、店員が問う。
「そうえば、お客さんはなんでアイドルに?」
「……好きなアイドルがいたの。あたしの世界の神様みたいなアイドルで、みんなの希望のような」
「その人みたいになりたいんですか?」
「うん。あたし、その人みたいに歌いたくて、歌をいっぱい頑張ったの。でも、どんなに歌を頑張ってもセイレーンには勝てないし、どんなにメイクを頑張っても、サキュバスには勝てないし……」
「でもね、お客さん。この魔法、借りれませんよ」
店員が告げると、彼女は泣きながら店を出ていってしまった。
その数日後。七三分けにメガネ、スーツといった真面目な雰囲気の青年がやってきた。何故か店員は彼に名刺を渡される。見ると、あのアイドルの彼女のマネージャーだそうな。彼女の代わりに、未返却の魔法を返しに来たのだという。
「あの〜。あの方は……」
「ここにいますが」
マネージャーはダリア柄のスマートフォンを取り出した。その画面にはヒビが入っている。彼女のものだ。電源をつけると、それと同時にホログラム映像が出てきた。映像は、先日見た彼女の姿をしていた。
『店員さん! あたし、AI化してもらったの! 体型も髪型も服装も自由に変えられるのよ!』
ひらりと回ると、質素な衣装から、フリルいっぱいの派手な衣装に変化した。キラキラのエフェクトが付き、シャランと明るくも無機質なサウンドが流れる。
『たくさんの人に歌声が届いて、たくさんの人が賞賛してくれるの!』
それは物珍しさから付いた火であろう。のっぺりとしたピンク色のツインテールは、データ化されてパールのようにつるりと綺麗に光っていた。
『でも、その代わり魔法が使えなくなっちゃった』
「あらまあ。それは残念です」
『店員さん、今までありがとう! あたし、もう頑張らなくていいの!』
それが彼女の本音だろう。マネージャーは画面をオフにし、返却ケースを店員に手渡す。マネージャーの手が店員のカサついた手に触れると、店員は小さく笑った。
「マネージャーさん。人にしては、手が冷たすぎますね〜」
最初は物珍しさだけ。それを持続できれば、彼女はアイドルとして伝説になるだろう。だが、飽きられた先……帰るところは電子の世界だけ。ボタン一つで消える世界だ。
と、店員は分かっていたのだが、自分には関係ないので。スマートフォン越しに手を振る彼女に、手を振り返すだけだった。
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