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きんぴらごぼう
久しぶりに日本の地を踏んだ。あの日から20年が経とうとしていた。一生帰る気なんてなかったはずなのに、来てしまった。
「寒いな…」
手は悴み、息を吐けば白い煙が出てくる。使い捨てカイロで手を温めるが、気休めにしかならない。マフラーに顔を埋め、足をばたつかせてみた。少しだけあったかくなってきたが、カップルに変な目で見られたので、やめた。
(早く来ないかな…)
溜息を1つ吐くと、ようやくバスがやって来た。時計を見ると時間通り…。日本って真面目だな。
スーツケースを詰め込み、窓側の席に座った。外を見ていたはずなのに、気づけば2週間前の俺が、そこにはいた。
2週間前、ルームメイトのライアンと朝食を食べていた時のことだ。俺の携帯に電話が掛かってきた。
「HELLO?―――あっ…高橋は僕です。高橋雄太です。何かご用ですか?」
海外暮らしもそこそこな俺は、いつものように英語で出た。しかし、相手は日本の病院に勤務する看護師で、かなり動揺させてしまった。
「―――はい。万が一のことになったら、連絡ください」
そう言うと、何かを訴える看護師の言葉も聞かずに通話を終わらせた。
「How are you doing?」
ライアンがシリアルをスプーンで掬いながら聞いた。
「Not bad,exept that it freezing」
寒そうな顔でそう言えば、ライアンは笑った。
「Thanks.How about you?」
笑い返し、そう聞けば、ライアンは幸せそうな顔でこちらを見た。
「SuperDuper!I found a girl frend!」
立ち上がり、体全体で喜びを表現している。その1週間前に前の彼女と別れて落ち込んでいた彼とは、別人だ。
「Congratrations!I‘m happy for you」
俺もうれしくて、自然と立って、一緒に喜んでいた。うれしさが爆発した俺達は、抱きあい、喜んだ。海外に行ってから、感情のままに動くことができるようになった。毎日、新しい自分を発見できて、楽しいのだ。
朝食を終えても、デートの時間まで俺達は盛り上がった。ライアンは恥ずかしがることもなく、彼女への愛を溢れさせている。ライアンの携帯が鳴る。彼女からだ。しばらく話し、通話を終えるとライアンは顔をにやけさせながらコートを羽織り始めた。
「See you later!」
「Have a nice day!」
そう言うと、うれしそうに「You,too」と返し、部屋を出て行った。
1人になった俺は、久しぶりにタイムズスクエアへ来た。マフラーも手袋もコートも着ているが、あいかわらず寒い!初めて、NYで冬を過ごした時、突き刺さるような痛みに慣れず、5分で家に戻った。今ではいい思い出だ。
(人は多いが、この空気感!やっぱり、いいな。何かの海外ドラマでNYは夢を追い求める者が集まる街って言っていたけど、本当にそんな気がする)
日本では基本的に認められていないストリートパフォーマー達も、ここにはたくさんいる。気に入ってくれれば、お金だってくれるし、SNSにだってあげてくれる。何より、盛り上がり、褒めてくれる。ここには、チャンスが平等に転がっているのだ。NYは、そういう場所だ。
歩き疲れ、小腹が空いた俺は、セントラルパークに設置されたベンチに腰掛けた。近くの店で買ったコーヒーを1口飲み、空を見ながら大きく息を吐く。白い煙がコーヒーの湯気とともに空へ消えた。あまりのあったかさに、固まってしまった表情筋がどんどんとほぐれていく。
顔をにやけさせていると、誰かが隣に座る気配がした。別に座るくらいは気にしないが、大きなため息が聞こえたのだ。チラッと横目で見ると、赤いベレー帽を被った女性だった。
(日本人?こっちに住んでいるのかな…)
そんなことを考えていると、また溜息が聞こえた。我慢できなくなった俺は、前を向いたまま話しかけた。
「あの…ため息つくと幸せ、逃げますよ?」
俺が声を掛けたからか、体を飛び跳ねさせた。その飛び跳ねように必死に笑いを堪えていると、耳を澄ましていないと聞きそびれそうな声でその女性は言った。
「余計なお世話…。ちょっと、ホームシックなだけだし」
関わらないでオーラを出すのに、遠回しに助けは求める。気持ちを察しなきゃいけない日本人らしい答え方に懐かしさを覚えた。こっちじゃ、感情をダイレクトに伝えるから気持ちをちゃんと言わないと伝わらない。ここで暮らすうちに、学んだことだ。
「ホームシックね…。懐かしい!―――お腹、空いていませんか?」
少しでも気持ちが明るくなればとテンション高めに言ってみるが、返事はない。困っていると、コーヒーと一緒に買った軽食が視界に入り、聞いてみた。案の定、変な目で俺のことを見ている。
「いや…よく母親からお腹が空いていると悲しくなるから、常にお腹いっぱいでいろと言われていたもので…」
それを聞いた女性は、声をあげて笑った。
「はあ…久しぶりに笑った。―――ちょうだい!」
笑いすぎて流れた涙を細い指で拭うと、両掌を見せた。俺は頷いてから、それを乗せた。女性は、いろんな角度からそれを見ていた。
「これは、Jelly Donuts。ドーナツの中にジャムが入っています。美味しいですよ?」
そう言うと、女性は何かを決心したようにチョコレートドーナツへかぶりついた。勢いよくブラックラズベリージャムが出てくる。口にジャムをつけて「美味しい」と幸せそうな顔で言う笑顔に俺もうれしくなった。
俺は微笑んでから、粉砂糖が雪のように振りかけられたドーナツを紙袋から取り出した。手で持ったらすぐにわかるふわふわの生地とジャムの重み。強く握れば、今にも溢れそうなほど詰まっている。一口かじれば、レッドラズベリージャムの爽やかな酸味が口いっぱいに溢れだす。噛めば噛むほど、ラズベリージャムが引き出した自然の甘みを感じることができる。味わっていると、急に女性が笑い始めた。口についていたジャムを舐めると、聞く。
「美味しそうに食べるね。好きなの?」
「よく作ってくれた母のドーナツに似ています」
コーヒーを一口飲み、そう答えた。
「ふーん。これから、彼氏とデートなの。もう行くね」
そう言うと、颯爽と消えていった。
名前も知らない女性。それだけの出会い。
その30分後だ。俺の携帯に母親が息を引き取ったと連絡が来たのは―――
思いだしていると、もうバスはバスタ新宿に到着していた。スーツケースを引き取ると、俺は、その足で新宿駅南口から徒歩5分の病院へ向かった。
病院の中に入ると、ICUへ向かった。どこにいるのだろうか…。忙しそうで、声を掛けるのが申し訳ない。困っていると、1人の看護師が声を掛けてきた。
「どうなさいましたか?」
その看護師の声に聞き覚えがあった。驚いていると、不思議な顔で俺を見ていた。
「―――あっ…高橋です。高橋すみれの息子です」
そう言うと、すぐに神妙な顔で頭を下げた。それにつられて、俺も下げる。
「穏やかな最期でした。ご案内いたしますね」
目を潤ませながら、母が眠る場所へと案内してくれた。部屋に入ると、看護師は気をきかせたのか出て行き、母と2人きりになった。眠るその顔は穏やかで、声を掛ければ今にも「よく、寝たー」って起き上がりそうな気がした。
(朝、俺が起きると、茶の間の陰に隠れていて必ず脅かしてくるんだ。それで俺が腰を抜かすと、小さな子どものように楽しそうに笑って―――)
すっかり冷たくなってしまった母の手に触れ、倒れたと聞いた瞬間に帰ればよかったと今さら後悔している自分がいた。なのに…涙は出てこない。
しばらく無心で母の顔を見つめていると、喪服のような黒いスーツを着たおじさんが神妙な顔でこちらへ近づいてきた。母と同じくらいの年齢だろうか。
「あの…どちらさまでしょうか?」
「山本葬儀社から参りました。山本正と申します」
(葬儀屋…?まだ、頼んでもないのに)
どこから聞きつけたのか知らないが、到着の早さに俺の警戒心は深まるばかりだ。
「俺、まだ葬儀屋に依頼なんてしていないんですけど…。本当に葬儀屋の方ですか?名刺ください」
俺は気持ちのままに疑問をぶつけ、山本さんという人に詰め寄った。俺の勢いに圧倒されたのか、山本さんは困った顔で名刺をくれた。受け取った名刺には、確かに山本さんの名前が書いてあった。しかも、代表取締役。おれが、穴があきそうなほど名刺を見つめていると、山本さんが恐る恐る口をひらいた。
「あの…信じてもらえましたか?」
俺が頷くと、胸を撫でおろすという言葉があるが、本当に胸を撫で、大きく息を吐きだした。そして、咳払いを1つすると、続けてこう言った。
「私はすみれさん…つまり、あなたのお母さんと親しくしていた者です。常々、亡くなる時は私に任すと、そう言っておられました。今日は、虫の知らせと言いますか。嫌な感じがしてすみれさんの家に行けば、倒れて運ばれたというじゃないですか…。急いで病院に駆け付けた時にはもう―――」
そう言って、山本さんは零れた涙を一生懸命に手で拭った。俺がハンカチを差し出すと、お礼を言って受け取った。
「母の葬儀のことですが、家族葬でお願いします。花とかそういう物も入りません。どうせ、家族って言っても俺しかいないですし…」
そう言うと、山本さんは驚いた顔をしていた。俺は一礼すると、山本さんの呼び止める声にも振り向かず、部屋を出た。
病院から出ると、俺は人の目も気にせず思い切り叫んだ。山本さんは俺を薄情な息子だと思っただろう。込み上げてくるいろんな感情に俺は気づかないふりをすると、タクシーを止め、近くのビジネスホテルに向かった。
次の日、時差ボケか目が冴えて眠れなかった。日本の夜明けというのもいいものかもしれないな…。時計は、午前6時を指していた。あっちじゃ、まだ完全に夢の中だ。おかげで、ずっと描けなかった絵が完成し、クライアントに送った所だ。ライアンが日本人は休みまで仕事するなんて変だって言っていたが、俺も本当にそう思う。ライアンに言われてから休みの日はどこかへ出かけたりするようになったが、今回ばかりは違う。何かしていないと気が済まないのだ。
シャワーを浴びて、出てくると俺のパソコンにメールが届いた。クライアントからだ。要約すると、いい作品だ。今度は、違う作品もお願いしたい。テーマはFamily。詳しい打ち合わせがしたいらしい。打ち合わせは7日後。家族か…。再び、俺は作品に向き合った。
作品と向き合い、軽く2時間。はっきり言って、何も浮かばない!俺は凝り固まった肩をほぐすと、外へ出かけた。
スタバに入り、コーヒーとクラブハウスサンドイッチを買った。席に着き、コーヒーで口の中を湿らすと、さっそくかぶりついた。その瞬間、「ザクッ」という音が響き渡る。温めてもらったおかげで、パンが軽い食感になっている。玉子は半熟で、チキンとベーコンの旨味を濃厚な黄身が掴んで離さない。また、このトマトソースが食欲をそそり、いい仕事をしている。これがなかったら、朝の胃は戦うことができなかっただろう。NYでもよく食べるが、今日は美味しさが一段と違う。最後の一滴までコーヒーを飲み干すと、店を出た。
人がまばらだった新宿駅も、今では人で溢れかえっている。人、人、人の波だ。NYも結構、多いが、それと比べ物にならない。ぶつからないように避けながら歩き、やってきたのは、俺が幼少期を過ごした場所。実家だ。ドアではなく引き戸の昔ながらな家だ。少し建付けが悪くてあきにくい。中学生の時、直そうと提案したが曖昧な返事をするだけだった。
家の中に足を踏み入れると、母がつけていた香水の匂いがした。俺がアルバイトでためたお金で買ってプレゼントしたら、母は大切に使っていた。どこかへ出かける時とか本当に大切な記念日にしか、母は香水をつけなかった。
母の遺品を整理し始めるとやっぱりでてきた。透明な丸形の香水瓶。薔薇の匂いがする。大事に使っていたが、残り4プッシュだろうか。物を大事にし過ぎて最後まで使いきれない母らしくて、少しだけ明るい気持ちになった。
香水を机に置き、遺品整理を続ければ、照れ臭いものが次から次へと出てくる。アルバムや母に当てた俺の手紙、母の絵が何枚も何枚も出てくる。アルバムに被った埃を吹き飛ばす。
「母さん、若いな…。ていうか、俺、ちっちゃ!かわいーい!」
アルバムをめくりながら、素直なあの頃を懐かしんでいた。
縁側で俺を膝に乗せた母の顔も俺の顔も何がそんなにうれしいのかと思うほど、笑顔で幸せそうだった。次のページへ捲ろうとした時、隙間からボロボロの写真が落ちた。少し色褪せた写真には、母が働いているタバコ屋の前で、若い男性とこれまた幸せそうな顔で写っていた。母のお腹は少しだけ膨れている。俺が入っているのかな…。
何気なしに裏返した時、戸があけられる音がした。その音に驚き、母が護身用に置いていた木刀を手に玄関へ飛び出して行った。
「泥棒!」
振りかざした所で、その泥棒に見覚えがあった。しかし、もう木刀を振り下ろし始めていたため、鈍い音と共に泥棒の頭へ…。
「本当にすみませんでした!」
泥棒と間違われ、痛い目に遭った人は山本さんだった。
「いやいや、いい素振りだった。お母さんの血筋が流れているね!それに、私もよくなかったから、お互い様という事にしよう」
打ち付けられた頭を氷嚢で冷やしながら、山本さんは楽しそうに笑った。
「ありがとうございます。今日は、どうなさったんですか?」
「遺品整理、手伝おうかと思ってね。すみれさんにも頼まれていたから来たんだけど、私は必要なかったかもしれないな」
「そんなことありません!一緒にやりましょう?」
そう言えば、山本さんはうれしそうな顔で頷いた。
しばらく無言で片付けていると、無意識に腰を擦る山本さんが目に入った。
「ほとんど片付きましたね。あとは、もう僕だけで大丈夫なので、休憩しましょう!母みたいには上手には淹れられないですけど!自信はあります」
そう言い、キッチンへ向かった。
「すまないね。手伝うどころか足手まといになっちゃったな」
声だけでも落ち込んでいるのがよくわかる。
「いえいえ。ほんとに助かっているんですよ?俺、片付けが苦手なんです。だから、1人でやっていたら、部屋が酷いことになっていたと思います」
お茶を淹れながらそう言うと、山本さんの笑い声が聞こえてきた。その笑い声を聞き、俺にも笑いが伝染する。
「いや、本当ですよ!母に、こんな足の踏み場のない場所でよく暮らせるわねって、呆れられていましたもん」
話していると、どんどんお茶目な母を思いだしていく。お茶と梅昆布を山本さんの前に置くと、目を丸くしていた。
「嫌い…ですか?」
出しといてなんだが、心配になってきた。
「いや…大好きだよ。よく君のお母さんが作って来てくれたんだが、最近、見なかったからな。久しぶりにいただきます」
手を合わせると、梅昆布を1つ手に取り、口に入れた。すると、山本さんは梅昆布を噛みしめたまま、涙を流しだした。俺が慌てて背中をさすり出せば、嗚咽を漏らし始める。
「ごめんな、ごめん…。本当にごめん」
そう言って、必死に泣き止もうとするが、すればするほど、涙が零れていく。
「いいんですよ?母のこと、そんなに悲しんでくれてありがとうございます。母もきっと喜んでいると思います」
そう言うと、山本さんは何度も頷きながら俺の手を震える手でしっかり握った。
「いや…本当に申し訳ない。散々泣いたあげく、お土産までありがとう」
玄関先まで見送ると、山本さんは照れ笑いを浮かべながらそう言った。梅昆布を一口しか食べられなかったため、包んで持たせたのだ。
「今日は本当に助かりました。納骨まで、よろしくお願いします」
頭を下げると、山本さんも頭を下げた。
山本さんを送り出し、母の遺品を全てダンボール箱に入れると、あの写真をしまい忘れていることに気づいた。アルバムに入れようと写真を手に取ると、文字がびっしり。
その内容を見て、俺は写真を手に家を飛び出した。
すっかり日も暮れ、夜の新宿が姿を現す。『ゆかり』の店主、新村貴士が暖簾を夜用に変え始めた。新村貴士は、白い息を吐きながら夜空を見上げた。
「今日も冷えるな…」
そんな独り言は、儚い空へ吸い込まれていく。北寄りの冷たい風に背を押され、新村貴士は気合を入れた。
夜の営業に移り変わってからというもの、店の中には客が2名と俺だけだ。その2名はカップルで、日本酒を頼んだきり今日のデートの思い出を語り合っていた。何度目かの溜息を一生懸命に飲み込むと、ブリ大根の火を止めた。
「何か、お作りしましょうか?」
我慢の限界に来ていた俺は、勇気を振り絞り、カップルの会話を遮った。すると、面倒くさそうな顔で俺を見る。
「え?あー…ここさ、メニューないわけ?じゃあ日本酒もう一杯。あと、適当になんか酒のつまみでも作って。それでさ、今日のホラー映画だけどさ―――」
そう言うと、カップルはまた話しだした。
「―――かしこまり…ました。すぐに、お持ちいたします」
内心、はらわたが煮えくりかえっている。
(酒のつまみだ?酒の美味しさもわかっていないやつに、なんでつまみなんて出さなきゃいけないんだ!外につまみ出せ!)
綿棒でキュウリを叩く横で、昔のオレが暴れている。罪のないキュウリに怒りをぶつけているうちに、ようやく、消えてくれた。いい感じに潰れたキュウリにネギと塩を加え、和える。そして、気持ちほどのゴマ油をかけたら、たたきキュウリのネギ塩和えが完成!最後のゴマ油があるかないかで、味が左右されるといっても過言ではない。
「お待たせしました。日本酒のおかわりとおつまみです」
携帯をいじる2人の元へ届けると、俺はキッチンに戻った。携帯をいじりながら食べる2人からは、味の感想すら飛んでこない。彼らは、食べる楽しさを忘れているのかもしれない。普通に食べられるという事自体、本当に幸せなことなのに…。そんな説教臭いことは言わないが、どこか虚しい気持ちになる。また込み上げてきた溜息を一生懸命に飲み込むと、店の外へ出た。
「なんなんだよ!味の感想くらい言えよ!日本酒もいいけど、唐揚げとかさ…もっとあるだろう!」
溜まりにたまったイライラを1つ吐きだせば、次から次へと溢れてくる。心太のように一度突き出された気持ちは、全て、押し出されるまで止まることはない。
少し落ち着いた頃、さらに俺を苛つかせたいのか、俺を憐れんでくれているのかはわからないが、雨が降りだした。
「今日はいい日だと思っていたんだけどな…」
ストレス発散を諦めた俺は、盛大なため息を吐くと、暖簾に手を掛けた。
「もう…誰も来ないよな」
雨が降れば、客が遠のくことはわかっているが、昔からどうも諦めが悪くて嫌になる。すると、微かな可能性を捨てきれない俺の目の前に、ふらふらと歩く1人の男性が現れた。ひどく落ち込んだ様子で、びしょ濡れ。俺は、彼の元へ駆け寄っていた。
「大丈夫ですか?雨宿り、して行きませんか?」
男性の目を見ると、人生に疲れたような目をしていた。男性は、体をふらつかせながらもしっかりと頷いた。
「お帰りなさい」
そう言えば、男性は驚いた目をした。
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