肉じゃがとわかめご飯と豚汁

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肉じゃがとわかめご飯と豚汁

 コート達を実家から取り戻し、ホテルに戻ると、チャットが来ていた。ライアンからだ。  君が元気になれるように祈っているって英語で書いてある。俺は帰ったらハグしてほしいと返信し、もう疲れたから今日は眠りについた。  次の日、ホテルをチェックアウトし、実家へ帰ってきた。なかなか着ないスーツを着て、山本さんの所へ向かった。待ち合わせした教会へ行くと、すでに山本さんは待っていた。俺に気づくと、右手を軽く上げる。俺はそれに答えるように軽く頭を下げると、近づいた。  「―――すみません。無茶なお願いを聞いてくれてありがとうございました」  「そうなってほしいと思って、準備はしていたんだ。18時からだからすごく時間あるんだけど、お母さんの顔を見てあげて?きれいだよ?」  山本さんに背を押され、教会の中へ足を踏み入れた。母は入ってすぐ、入り口の所でたくさんの花に囲まれ、棺に入って眠っていた。綺麗に化粧している姿を見るのは、中学以来。ちょっと恥ずかしいが、絵本から飛び出してきたお姫様のようだ。  母の顔を見ていると、隣に山本さんが立った。俺が見ると、遠慮気味に口をひらく。  「お母さんは、よく泣くが笑う人だった」  そう言って、母の髪を優しく梳いた。  俺は頷きながら小さい頃に教えてくれた母の言葉を思いだしていた。  ―――あれは、夏の暑い日。今は、30度を超える日なんて珍しくもないが、あの頃は非常事態で、母には内緒でアイスを買いに駄菓子屋へ向かっていた。遠くの方で何か聞こえ、一度は足を止めたものの、子どもだった俺は先を急いだ。  「おばちゃん、アイスちょうだい!」  水色のアイスキャンディーを取り出し、おばちゃんの掌に五十円玉を落とした。  「あら、雄ちゃん!今日は暑いね。車には気をつけるんだよ」  そう言いながら、汗ばんじゃった五十円玉を、嫌な顔一つせずに受け取ってくれた。    おばちゃんの声を背に別れた俺は、さっそくしゃぶりつく。火照った舌に、アイスキャンディーがくっついてくる。白熊にでもなった気分だ。舐めれば甘くて、かじれば中から酸味のあるかき氷が顔を出す。よく、近所の人が「お母さんの作ったお菓子と駄菓子屋さんのお菓子、どっちが好き?」なんて母の前で厄介なことを聞いてきたものだが、違うのだ。母親が作ったお菓子はもちろん好きだが、子どもの時の俺にとって、たまにしか食べられないアイスキャンディーは特別なものだったんだ。  アイスが染みた棒をしゃぶりながら来た道を戻っていると、また、何か聞こえた。それは、空き地の方から聞こえる。覗いてみるが、長年放置されているのか、草が生い茂っていて、音の正体が見えない。アイスも手に入れ満足していた俺は、草木を掻き分け、近づいて行った。5掻きほどすると、ダンボールが置いてある。ダンボールを見つめていると、また聞こえた。  好奇心でダンボールをあけてみれば、子犬が薄汚れた黄色いタオルの上でお座りをしていた。ダンボールの中にアイスの棒を置いてから、頭を撫でると、俺の手を舐めてくる。ダンボールには、ちぎれた白い紙が入っていた。そこには、『ひろってください』と拙い文字で書いてある。その内容を見た俺は決心すると、ダンボールごと家へ連れ帰った。  「ただいま!」  玄関で母に声だけ掛けると、昔、使っていた物置小屋に子犬を移動した。頭を撫でると、アイスの溶けた液が手についているのか、俺の指に吸い付く。  「くすぐったいよ。お母さんに飼っていいって絶対に言わせるから、ここで待っていてね」  そう声を掛けてから、隙間を少しだけあけて、戸を閉めた。    家の中に入ると、母は夜ご飯を作っていた。鼻歌を歌い、ご機嫌な様子。  「お母さん?ただいま」  母の背中に投げかけると、鼻歌が止まり、優しい笑顔が見えた。  「お帰り。今日は、雄太の好きなきんぴらごぼうだよ?すぐ、ご飯にするから手洗いうがいしておいで」  母は俺の頭を優しく撫でると、きんぴらごぼうをよそい始めた。俺は喜んでから手を洗いに洗面所へ向かった。うがいをしながら、(今日はいける!)そう確信した。  茶の間に戻ると、もう母は卓袱台に料理を並べ始めていた。きんぴらごぼう、肉じゃが、味噌汁、ご飯。俺が座ると、俺の茶碗にご飯をよそってくれた。よそわれたご飯に視線を落としてから、縁側の方を何気なく見た俺は、蛙を踏み潰したような声をあげた。母は縁側に背を向けていて見えないが、あけていた窓からアイスの棒を咥えた子犬が入ってきたのだ。  「どうしたの?」  母が驚いた顔で俺を見つめる。  「えっ…ああ!ちょっと、量、多くない?こんなに食べられる自信ないんだけど」  こんもり盛られたご飯を見つけ、苦笑いを浮かべて見せた。  「何言っているのよ!いつも、2杯くらい余裕でしょう?」  「そ…そうだね。あはは!」  「変な子ね。麦茶、取ってくるからお箸、並べておいてね」  そう言い残し、母は台所へ戻って行った。俺はすぐに子犬を抱き抱えた。子犬は、アイスの棒を俺の膝に落とすと、うれしそうな顔で俺の頬を舐める。  「なんで、出てきちゃうのさ…。かわいいから許すけど。この下に入っているんだぞ?ご飯が終わるまで、絶対に吠えちゃだめだからね」  そう言いながら、卓袱台の下に押し込むと、元気な声で吠えた。俺は慌てて、「シー」とした。辺りを見渡すと、ちょうど母が麦茶の入った瓶とコップを持って戻ってきた。  「雄太?何、しているの?」  「えっ…何もしていません!」  普通にしようとしていたのに、後ろめたさから背筋が伸びる。  「…本当に何もしてくれてないじゃない!箸、並べてないし。そんなにボーとしていると、学校で、やっていけないわよ?」  軽くため息を吐きながら座ると、コップに麦茶を注ぎながら俺に小言を言う。小言が始まると、長いのだ。  「わかった!今度は気をつけるよ!」  言っていることは反論の余地がないのだが、批判されると素直になれないのだ。いつもそこで切り上げさせるから俺は成長しないのだ。  「もう…。冷めないうちに早く食べなさい」  なんだかんだ言っても、すぐに許してくれちゃう。切り替えが早いのだ。  俺は手を合わせ「いただきます」と一言言ってから、肉じゃがに手を伸ばした。  存在感のあるジャガイモも好きだけど、俺は玉ねぎが好きだ。甘めに作られたつゆを吸った玉ねぎを噛んだ瞬間、ジュワーと口いっぱいに溢れだす。あの味を舌に残したまま、炊き立てのご飯を一口。ご飯が進まないわけがない。  「美味しいの?よかった」  母は俺が美味しそうに食べる姿を見て、うれしそうな顔をした。母が作るご飯が美味しいと言うのもあるが、母と一緒に食べられるこの時間が好きだから、こんもりあったご飯は、どんどん俺の胃袋に吸い込まれていき、ついになくなった。まだ、いけるな。  「お母さん、おかわり!」  空になったお椀を差しだすと、母はうれしそうな顔で受け取り、よそい始めた。俺の前に置かれるのを待っていると、卓袱台の下にいることに飽きた子犬が、母の方へ行こうとしていた。  「ああ!待って!」  子犬を呼び止めると、母のよそう手が止まる。  「おかわりしないの?」  挙動不審な俺を困惑な顔で見つめてくる。  「ま…迷っているの!俺、ジムみたいになりたいからさ」  テレビの再放送で『理由なき反抗』を見てから、その頃の俺は、すっかりジェームス・ディーンにハマってしまったのだ。  「だったら、なおさら、ちゃんと食べなさい!成長期なんだし、ジェームス・ディーンだって、雄太くらいの頃はたくさん食べていたわよ」  母はどこかで見て来たかのように自信満々に言ってのけた。膝の上に乗せていた子犬は、気づけば眠っている。俺は起こさないように卓袱台の下に戻し、何事もなかったように2杯目を平らげた。  使った食器を母の元へ届け、お腹が落ち着いた俺は子犬の存在も忘れ、母に言われるがまま、お風呂に入った。  お風呂から上がり、茶の間に行くと母が難しい顔をして座っていた。卓袱台は折り畳まれ、端へ寄せられていて、その代わりに子犬が母の前でしっぽを振りながら座っている。  それを見た瞬間、終わったと思った。母は何も言っていなかったが、自然に足が動いていた。子犬と一緒に母の前に座ると、母が口をひらいた。  「雄太…お母さん、いないはずの犬が見えているんだけど、疲れているのかな?」  難しい顔で首を傾げる母。冗談なのか冗談じゃないのか、よくわからず返答に困る。  「えっとね…子犬が空き地にいたんだ。ダンボールの中には、ひろってくださいって書かれた紙も入っていた。だから、拾ってきちゃった」  「なんで、帰ってきた時に言わなかったの?」  「戻して来いって言われるかと思ったから」  アニメとかでおねだりをするが、必ず失敗に終わるシーンしか見ていなかった俺は、親に見つかったら最後だと思っていた。  「言ってみないとわからないのにね。だから、ずっと挙動不審だったのか。子犬ちゃんは何が食べられるかな?」  子犬を撫でながら話す母は、少女のようだった。  「じゃあ、飼ってくれるってこと?」  そう聞けば、大きく頷いた。俺は喜びながら子犬を抱きしめた。  縁側でつい昨日、母がもらったというドッグフードの試供品をもりもり食べる子犬。それを2人で眺めていた。食べ終わると、母の手と俺の手を舐め、卓袱台があった場所へ向かった。自由に生きる子犬を目で追っていると、何かを咥えて戻ってきた。よく見ればアイスの棒で、血の気が引いた。俺がフリーズしていると、ご飯をくれたお礼なのだろうか。母の膝の上にアイスの棒を落とした。  「アイスの棒…雄太!また、アイス食べたの?」  実は、2回目なのだ。1回目は、煙草屋に来たお客さんがくれた。普通にしていれば絶対にばれなかったのだろうが、1人で慌てているから完全にばれてしまった。こうなった時は潔く謝る。これが、男だ。そうすれば、母も許してくれる。  「雄太より、君の方がおりこうさんだね」  小さい子どもを褒めるように、これでもかと頭を撫で、褒めちぎっている。  「もう…キャンディー!こいつめ」  キャンディーを抱き上げ、おでこをくっつけると俺の眉間に鼻息が掛かる。  「男の子なのにキャンディーにしたの?」  母はまた何か勘違いしているようだった。  「キャンディーは男じゃないよ、女の子だよ?ほら!」  キャンディーを抱え直し、母にキャンディーのお腹を見せた。そこには、6つのおっぱいがある。  「本当だ!お母さん、男の子だと思っていた。キャンディーちゃん、ごめんね」  頭を撫でるとキャンディーは(いいよ!)と言うように、舌を出した。  いっぱい遊んで疲れた子犬は、ぽっこりしたお腹を見せながら、無防備に眠っている。俺はそんな子犬のお腹を撫でながら、母に聞いた。  「どうして、飼っていいって言ってくれたの?」  「お母さんもね、雄太くらいの頃に犬を拾ったことがあるの。教会の扉の前に、ダンボールに入って、捨てられていた。連れて帰ったんだけど、雄太のおばあちゃんにね、ダメって。雄太には、お母さんみたいな思いしてほしくないから」  「―――その犬、どうなっちゃったの?幸せに…なれた?」  覚悟を持って聞けば、母は首を横に振った。  「わからない。雄太のおじいちゃんが、保健所に連れて行っちゃったから救われたかもしれないし、救われなかったかもしれない。結局、お母さんは何もしてあげられなかったから、悔しかったんだ。  次の日、拾った場所で泣いていたら、急に教会の扉があいて、男の子がニコニコしながら出てきたの。泣いているお母さんの手を握って、教会の中へ招き入れてくれた。その瞬間、不思議と苦しかった気持ちが消えたの。男の子は、『いま、泣いている人は幸いなんだよ?いまに笑うようになるんだ』、そう言ってくれた。太陽に照らされたステンドグラスの光を2人で見たあの光景は、一生忘れられない」  「今、泣いている人は幸いだってどういう意味?いまに笑うって?」  「お母さんも雄太の頃はわからなかった。でも、今ならわかる。雄太もお母さんくらい大人になったらわかるんじゃない?―――もう、遅いから寝なさい」  俺が欠伸をしていると、母は笑った。母は俺の気持ちを知っているのか、キャンディーの隣に布団を敷いてくれた。干してくれていたのか、お日様の匂いがしていて、気持ちいい。  横になった俺に、母は緑色のタオルケットをお腹に掛けてくれた。俺がうれしそうな顔をすると、母は俺の頭を撫でてから自分の布団へ横になった。眠いはずなのに、しばらく、目を瞑るが眠れない。  「―――お母さん、寝ちゃった?」  「どうしたの?眠れない?」  体制を俺に向けながら、母は優しく聞いた。俺が頷くと、優しい微笑みを浮かべながらピンクのタオルケットを少しだけ退かし、ずれてくれた。あいた隙間に潜り込むと、母の大好きな匂いがする。  「雄太は、甘えん坊さんだね。大好きよ」  「僕も」  そう、答えたかったが母にお腹をポンポンされ、眠ってしまった。  もうじき、あの頃の母と同じくらいの年になるが、まだ、わからない。なった瞬間に、わかるようなものなのだろうか。  高橋雄太は、回想を終えたあとも母の顔を見ながら、そんなことを考えていた。  「―――ん、雄太君?」  声のした方を見ると、山本さんが申し訳なさそうな顔でいた。  「雄太君、そろそろ…。親しかった人達を招待しに行かないと」  山本さんの言葉で、思いだした。時計を見れば、もう12時。体内時計では、5分くらいの感覚しかないが、思い出に浸っている時間ではなかった。  俺は、山本さんに一礼してから、教会を飛び出した。  まず、向ったのは八百屋。物心つく前から俺を知っている人は、ここくらいのもの。あとは、豆腐屋かな。母の友達らしい。八百屋は相変わらず、繁盛している。髪の色とかは白くなっているけど、元気で、楽しいところは全然、変わっていないようだ。おじさんに声を掛けると、目を丸くさせた。その目は、どんどん大きくなっていく。  「ゆ…雄太か?よく、オムツを変えてあげた雄太か?」  この話を聞かされるのは、何回目だろうか。まあ、今も思春期真最中だと思うが、入りたての頃は、正直うっとうしかった。  「お久しぶりです。おじさん、元気そうでなによりだよ」  「あったりまえだのクラッカーだよ!大変だったな…」  涙を堪えながら俺の腕をさする。  「ショックは大きかったですけど、今は大丈夫です。生前は、母が大変お世話になりました」  深く一礼すると、おじさんは慌てて俺に顔を上げるように言った。顔を上げると、店の外にこちらを窺う青年がいた。俺より、年下に見える。その表情は、困惑している。  「水臭いよ!世話になっていたのは、俺達の方だ。  ―――あっ!誠二、こっち来い!ほら、覚えていないか?雄太が中学生くらいの時に、こいつが産まれて抱っこしてくれただろう」  困惑していた青年を見つけたおじさんは、手招きしている。  「誠二君?大きくなったね。赤ちゃんの頃からかっこいいと思っていたけど、俺の目に狂いはなかった」  母の買い物に付き添い、ここへやってきた時、抱かされたことを思いだした。落とすんじゃないかと怖かった。母に手伝ってもらいながら抱いた時、誠二は俺の目をじっと見つめ、笑った。ミルクの香りをさせた小さな誠二を守ってあげたい、そう思ったんだ。  「全然覚えていないけど、その節は。ちょっと話が聞こえたけど、タバコ屋のおばちゃんの子どもでしょう?なんで、家族葬にしたの?」  不満あり気な顔で、俺に質問する誠二。  「バカ、お前!海外で成功している人に向かって何言っているんだよ!」  「魚屋のおばちゃんも親父だって言っていただろう!」  言い合いをし始めた2人。親子喧嘩をする2人を見て、少しだけ羨ましくなった。俺の存在を思い出させるために咳払いをしてから、息を吸い込んだ。俺のことを驚いた顔で、見つめる親子。  「うん。そのことも含めて、話しに来たんだ。ある人に、母にお礼を言いたい人はたくさんいるって聞いて、家族葬はやめた。今日の18時からだから急なんだけど、誠二君達に来て欲しい。来てくれるかな?」  そう言えば、おじさん達は申し訳なそうに頷いた。  「あの…失礼な態度、取ってごめん…なさい」  思いがけない招待に、自分が恥ずかしくなった誠二は、俯きがちに謝った。そんな誠二に微笑み、首を横に振ってからこう言った。  「誠二君にお願いがあるんだ。母と親しかった人達に声、掛けてもらってもいいかな」  「喜んで!頑張ります!」  笑った顔は、初めて俺に笑いかけてくれた笑顔と一緒だった。
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