理由

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 お話を聞かせてくれたAさんは、お洒落なサングラスの良く似合う、ちょい悪風の中年男性である。  もう二十年ぐらい前、私がまだ大学生だった頃の話ですが、私の地元で高校の同窓会があったんです。同窓会とは言っても、丁度お盆の頃で地元に帰省してる奴も多いだろうという理由で、単に今日集まれる奴で飲みに行こうかという思いつき程度の話だったのですが、それでもなんだかんだで10名ほどの人間が集まりました。  地元を離れて関西で学生生活を送っていた私も、夏休みで帰省中だったので参加しました。高校卒業から、もう三年ほど経っていたわけですが、久しぶりに見る同級生の顔は互いに懐かしく、会は大変盛り上がりました。既に結婚した者、大学を入りなおした者、家業を継ぐ為に修行中の者、10名程度の集まりでも、様々な近況報告も聞かれて、平凡な学生生活を送っている自分が何だか妙に幼いような気分もしましたが、とにかくクラスメイトのそれぞれに元気そうな顔を見るだけでも、楽しいものでした。  一次会の終わった後、私と昔からよくつるんでいた三人の友人、ここでは、B,C,Dとさせてもらいますが、その四人で二次会に行きました。仲の良い男子ばかり四人の飲み会で、昔の思い出話から下ネタまで、周囲に女子もいなかったことから思い切り馬鹿話に興じていたんですが、そのうち誰が言い出したのか、今から心霊スポットに行こうという話になったんです。久しぶりに会えたことで、みんなテンションが上がっていたわけですが、まあ、その余勢を駆ってという感じでそんな話になったんでしょうね。 「なあ、”心霊トンネル”ってあったじゃん!あそこ行こうぜ!」  確かそう言ったのはC君だったと思いますが、みんなもすぐに賛同し、行こう行こうと言う話になりました。心霊トンネルと言うのは、勿論俗称ですが、私達の高校では、そういう名前で通っていました。それは、駅から1キロほど離れた場所にある、鉄道線路をくぐる形の小さなトンネルで、人と自転車くらいしか通れない小さなもので、どちらかと言うとガード下みたいなものでした。そのトンネルについては、30年ほど前にこの場所で通り魔に刺されて死体を放置されていた女性の怨念がまだ漂っていて、深夜ここを通るとその幽霊が出る、という噂が私達の地元に伝わっていました。もっとも、実際にそこで幽霊なり何らかの怪異現象に遭遇したという人の話は聞いたことは無く、所詮は陳腐な都市伝説みたいなものでしたが、いずれにしても、酔った勢いで現場に行ってみようという話になったわけです。  二次会を終えた後で、もう日付も替わっていました。馬鹿話に興じながら、トンネルに向う暗い夜道を歩いていると、段々と民家も減って行って、少しずつ寂しい雰囲気になってきました。みんなの口数も少しずつ減ってきて、なんとなく嫌な感じになったころ、私達はそこに到達しました。  機能としてはガードみたいなものですが、構造上は確かにトンネルのような形をしていました。もうすっかり時間も深夜で、月明かりで辛うじて入口の輪郭が見えるくらいで、あとはただ真っ黒な入口が不気味に口を開けています。一歩入ると薄暗いトンネルの中は、昼間でも妙に不気味なものがあり、実際、私が地元にいた時の記憶でも、積極的にここを利用する人はあまり多くなく、少々時間をロスしても、100メートルほど離れた場所にある踏切を使う人が多かったように思います。 「行くぞ」  少し緊張した声のB君を先頭に、私達は恐る恐る中に入りました。トンネルの中、手にした携帯の灯りだけを頼りに歩き始めます。頼りない灯りの中、水の沁みだしたコンクリートの壁が不気味な模様を作っているのが見えます。砂利の散らばる路面を踏みしめる私達の靴音が妙に耳障りなものに聴こえます。みんな黙り込んだまま、一言もしゃべらずに、ただひたすら前に進みました……  ですが、結局のところ何も起きず、私達はその短いトンネルをあっけなく通過してしまったのです。  反対側に出ると同時に、「なんだよ、何も起きねえじゃん」というD君の声を皮切りに、一同「大したことねえな」「脅かしやがって、がっかりだな」と笑いあいました。肩透かしをくらった反動もあり、私達は妙に大胆な気持ちになっていました。そして、酒の勢いもあって、みんながそこで狼藉を働き始めたのです。そこらじゅうに痰まじりの唾を吐きちらす者、コンクリートの壁にむかって罅が入るまで何度も蹴りをいれる者、果てはトンネル内で立小便をする者……。まだ二十歳そこそこの若者で、おまけに二次会でしこたま飲んだ後ですから、一旦タガが外れるとエスカレートして、思いつくままに悪さを始めたわけです。  ただ、私は何もしないで傍観していました。実は、私はもともと怖い話は苦手な方で、本当はそういう”怖い場所”にも行きたくなかったのですが、その時は一人だけ”俺は帰る”と言うわけにもいかない雰囲気だったので、嫌々ながらみんなについて行かざるを得なかった、というのが正直なところだったんです。幸い、みんな自分の悪さに夢中で、私が何かを強要されることは無く、一応自分も楽しんでいる風を装うために、一緒になって笑ったり囃し立てたりしていました。最後に私達全員の写真を自撮りして、深夜二時ごろに解散となりました。  そんな風に昔の友達と過ごしたひとときは、本当に楽しいものでした。そして、これを皮切りに毎年この時期に四人で集まろうやという話になったのです。勿論、お互い仕事や学校の都合もあるでしょうから、お盆だからと言って、必ずしもこの時期に帰省出来る保証も無いのですが、ともかく出来るだけ集まろうという話になりました。実際、翌年からこの四人の飲み会は毎年続いていくことになったのです。年によっては、どうしても都合のつかない1,2名が欠席することもありましたが、それでも何とか毎年続いていました。  そうして、最初の集まりから五年ほど経った、ある年のことです。  大学卒業後、東京の会社に就職していた私は、例年同様、この時期に実家に帰省していました。今回の幹事役のC君から、前もって連絡を貰っていた私は、指定された居酒屋に行きました。既にC,D両名が席についているのが見えます。 「おう、久しぶり。あれ、Bは?」  飲み会というと、真っ先に駆けつけて人より先に飲んでいる筈のB君の姿がそこに見えないのを少々意外に思った私は、席につくなり思わず尋ねました。 「うん、それがさ……」  妙に暗い顔で飲んでいたC君が重い口を開きました。 「あいつ亡くなったんだよ」 「亡くなった?なんで?」  驚きのあまり、私の口は半開きになったままでした。 「うん、俺もこっちに帰ってきて親から聞いて初めて知ったんだけどさ。どうも先週、工場で事故に遭ったみたいなんだけど……家族は誰にも知らせないで、身内だけで葬式を済ませちまったらしい」  B君は地元で家業の町工場で働いていました。去年会った時は、いつもどおりの元気なキャラで、その彼が突然亡くなるなんてことは、信じられなかったのですが…… 「……噂で聞いた限りでは、どうもあいつがメンテナンス作業をしていたら、機械が突然動き出して、下半身が巻き込まれたらしいんだ。発見された時には両脚がぐちゃぐちゃになって、切断された動脈から血がドクドク流れてたって……家業の工場で事故が起きて酷い死に方したわけだから、家族も秘密にしておきたかったんだろうな。俺もあいつが死んだなんて、未だに信じられないよ……」  あまりの唐突な話に、私も暫し呆然としてしまいました。結局、その場はB君を偲んで杯を傾ける流れになり、彼の家にお線香をあげに行くべきか、それとも彼の家族もこのことは触れて欲しくないみたいだから遠慮するべきか、みたいな話で終始しました。結論的にはご焼香には行けませんでしたが……  その翌年のことです。今回の幹事はD君でした。もうこの集まりも恒例化しているので、店は例年同じ居酒屋が指定されるようになっていました。  時間通りに店に行ってみると、D君が一人でぽつねんと座っていました。 「……久しぶり……」  何やら不安なものを感じながらD君の対面に座ると、彼は少し難しい顔を上げました。 「Cの奴、急に来れなくなったって。さっき連絡があった。やっぱり駄目だったみたいだな」 「そうか、駄目だったか。残念だな」  やっぱり、と言った意味は、現在のC君の仕事に関係があったのです。彼は、約1年ほど前に転職して新しい会社に移ったのですが、そこがとんでもないブラック企業だったのです。休日は事実上全く無し、毎日日付が変わるまで残業が常態化し、ろくに寝る時間も無い毎日だという話を、私達も折に触れ聞かされていました。このお盆の季節くらいは、帰省の為の休暇が取れるのではないか、と淡い期待をしていたのですが、どうやらそれも許されなかったようです。 「あいつ、大丈夫かな」 「うーん……まあ、とにかく体だけは壊さないでほしいよな」 「体もそうだし、メンタルもな」  結局その日は私とD君二人きりで、ぼそぼそと近況を報告しあい、すぐにお開きになりました。  その翌年は、私が幹事の順番でした。毎年ほぼ日程も場所も固定されたような集まりで、人数も三人になっているので、大体一週間前くらいに案内すれば十分と思っていたのですが、七月に入って間もないころ、突然D君から手紙が届いたのです。 「久しぶり。何から書けば良いのかわからんが、時間が無いので思い付くままに書く。乱文で悪いが、とにかく読んでくれ。  まず、Cの奴が自殺した。  先月、自宅で首を括っているのを発見されたそうだ。例のブラック職場でさんざんこき使われて、睡眠時間も2~3時間くらいしかとれない日々がずっと続いていたらしく、しまいには血尿が出ていたそうだ。俺も、”命の方が大事なんだからそんな会社すぐに辞めろ”って何度も言ってたんだが、結局あそこまで追い込まれると、もう誰の声も聞こえなくなっちまうんだよな。まったく、やりきれないよな。  そして、悪いが俺も今度の集まりは行けなくなった。  実は去年の秋に、口腔がんが見つかった。既に転移もしていて、すぐに治療を開始したんだが、進行が妙に早く、二ヶ月前から入院している。そして、一月前には舌を切除した。だから、もうお前と喋ることも出来なくなった。寂しいよ。そんなこんなで、Cの事も連絡が遅れてごめん。でも、とにかく頑張ってみる。良くなったらまた連絡するから待っててくれ。怖いけど頑張ってみるよ。頑張ってみるよ。俺、まだ死にたくないよ。怖いよ。  最後にAよ、今まで有難う。どうかお前だけは無事でいてくれ」  手紙を読んだ私は、それを握りしめたまま、暫くの間ただ呆然としていました。B君が亡くなったその翌年にC君も……立て続けに二人の友人が死んだ……そして今、D君まで重篤な病に冒されているのです。  そして、あらためて最初のB君の死亡時の話を思い出した途端、私の中にある”記憶”が蘇りました。  B君は下半身を機械に巻き込まれ、両脚がぐちゃぐちゃになって死んだ……その彼は、"あの時"、つまりみんなが心霊トンネルで酔った勢いで悪さをしていた時、何度もトンネルの壁を蹴りつけていたのです。  血尿が出るまで働かされた挙句に過労死自殺したC君は、まさしくあの時トンネル内で立小便をしていました。  そして今、口腔がんになり、舌まで切除することになってしまったD君は、あそこでそこら中に唾を吐き散らしていたのです。  みんな、あの時行った蛮行の代償を払わされるような形で、命を落としたり重い病に罹り……私は、その恐ろしい符号にぞっとしました。あそこには、やっぱり"何か"がいたのではないか。強い怨念を持つ"何か"が……そして、私達は酔った勢いで、その"何か"を怒らせてしまったのではないか……  結局、それから三か月後、私はD君の家族から彼の訃報を受け取ることになりました。こうして、あの時心霊トンネルを訪れた仲間達は、三年足らずのうちに立て続けに死んでいったわけです……  話を終えたAさんは、一息入れるようにグラスに口をつけた。 「最後のD君が死んでから、今年でもう十年になります。実は、今日は我々があの心霊トンネルを訪れた日なのです。そして毎年この日が来ると、彼等への供養を兼ねて、私がこうやってたった一人で酒を飲むというわけです」  仲間が次々と死んでいくのを見守ってきたAさんの語り口は、淡々とした中にも不気味さと、そしてある種の寂しさを感じさせるものがあった。  それにしても、三人目が亡くなってから、もう十年もAさんは生き延びてきたとのことだが、その間この人は”次は自分だ”という恐怖に怯えながら、悶々と暮らし続けてきたのだろうか。そしてAさんが十年生き延びて来たことに、何か理由は有ったのだろうか。そのあたりを聞いてみたくて、私は切り出してみた。 「最後の方が亡くなられてから、もう十年も経つんですか。でしたら、もうAさんが命を取られることは、無さそうですね」  私の脳天気な言葉に、Aさんは軽く笑って肯いてくれた。  「まあ、私の命については、お目こぼし頂けたのかもしれませんね。あの時は、何もしないで見てただけですから」 「じゃあ、よかったですね」  Aさんは急に真顔になると、低い声でこう続けた。 「でも正直、今でも不安なんです。許されたという確証は有りませんしね。あるいは"あのトンネルにいた何か"は許してくれたとしても、"私を許さない者"は他にいるのかもしれません……」  そう言って彼は、さりげなくサングラスを外した。  Aさんの両目は、つぶれていた。 [了]
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