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 『愚痴聴き屋』なる職業が巷に登場したらしい。愚痴を聴くだけの仕事のようだが、それならば私も『愚痴聴き屋』の一人といえるかもしれない。まあ私の場合はボランティアみたいなものだが。  一般的なやり方はわからないが、私の場合は黙ってひたすら聴き、最後に、全てを受け入れて包容するようにしている。  今日も聴くか、と手を太陽に掲げて深呼吸をすると、視界の中に一人の女性が映った。どうやら、さっそくお仕事のようだ。私が横に座ると、彼女はおもむろに愚痴を溢し始めた。仕事だと思うと、愚痴を聴くだけのことにも身が入る。 「まったくあの人は。またあの泥棒猫と会っているみたいよ。もしかしたら浮気じゃないかしら」  また浮気の愚痴か、と思うがそれを表情に出してはいけない。私は黙って彼女の言葉を傾聴した。浮気は男の(さが)だ。だからといって許されるものではないが、私にはその気持ちが痛いほどわかった。そして、女性の言葉を聴くごとに私は罪の意識に苛まれていった。 「あの人に聞いたらなんて言ったと思いますか。浮気はしていないですって。もう尻尾は掴んでいるのに。まったく」  ご主人は奥さんを大切にしていないんですね。とは言わない。不純な恋に走る気持ちは理解できる。愛と恋は違う。刺激が違う。若さを保ち続けることは、耐えず刺激を求め続けることなのだ。愛だけでは年老いてしまうから。 「本当にあの人は……。なんかごめんなさい初めて会う方なのに。お話を聞いてくださってありがとうございました」  女性は言いたいことを言い終わると一礼した。私は彼女を優しく包容する。これが一連の仕事だからだ。彼女は少し慌てて、私の胸をそっと押し離した。 「ちょっと困ります。あなたってあの人に少し似てるんですね」  突然の包容は拒まれることも多い。私はお辞儀をすると、縁側に座る彼女を残して、その場を後にした。  爽やかな春の日だった。
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