大事な、五分

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大事な、五分

「こら、起きろっ!」 「……ん」  毛布を抱いて丸くなっている恋人の頬を僕は指でつまんだ。もう七時前。そろそろ朝の用意をしないと彼は遅刻してしまう。 「朝だよ! 起きて!」 「……あと五分」 「さっきも、あと五分って言ってた!」 「言ってない」 「言った!」  彼から毛布を引っぺがすと「寒い……」と文句を言われた。僕はそれを無視して毛布を畳む。彼はしばらくの間動かなかったが、やがて観念したのか、のそのそと起き上がってくちびるを尖らせる。 「朝ぐらいゆっくり眠らせてくれても……」 「朝だから素早く行動しなきゃ駄目でしょ」 「けち」 「けちって言うな!」  僕は寝室を出て、味噌汁の鍋に火をかける。十分に温まった頃、顔を洗った彼がようやくリビングに顔を出した。 「今日、大学は?」 「あるよ。午後からだけど」 「良いなぁ。俺も午後から出勤したい」 「何言ってんの。今日はあいさつ運動の指導なんでしょ?」 「そうだけどさ」 「子供たちの見本にならなきゃ」  僕は手早く作った朝ご飯をテーブルに並べる。そして、ふたり揃って椅子に着いてから「いただきます」をした。  もぐもぐ口を動かすうちに、頭がクリアになってきたのだろう。彼の目がだんだん「大人」の色を含み始める。その瞬間が、好きだ。 「遅くなるなら、連絡しなさい。その、迎えに行くから」 「平気。ちょっとくらい暗くても」 「まだ二十歳のくせに、危なっかしいことを言わないように」 「もう二十歳だよ」  彼は、僕の「先生」だった。  高校の時、僕が一目惚れして、告白して、卒業してからなら付き合おうって彼に言わせた。卒業してから改めて告白したら「もう飽きて忘れてるかと思った」って驚かれたっけ。懐かしいな。  学校での彼は、隙が無くて、モテモテで、誰よりも格好良かった。そんな彼が、毎朝「あと五分」と言って僕に甘えてくる。こんな彼の一面、きっと僕しか知らないんだ。ギャップに萌えるのと、秘密を知っている優越感で僕の心は満たされている。 「それじゃ、行ってくる」  すっかり「先生」の顔になった彼が僕の髪を撫でる。僕は彼に抱き着いた。 「どうした?」 「……あと五分、このままで居させて?」  返事の代わりにキスをされた。  あと五分。大事な、五分。  どきどきと流れる優しい時間を噛み締める。  また明日も、起こしてあげるね。そう思いながら、僕は伝わる温もりに身を任せた。  ずっとずっと、こんな朝が続いていきますように。そう願いながら――。
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