四. 艶

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四. 艶

 萌音ちゃん一家が住む街には、わりと大きな神社がある。そこで毎年の恒例行事でもある夏祭りが今週土日の二日間で開催される。  屋台が境内の両端に所狭しと並ぶ。その熱気と照らされる電飾が、夜の闇も溶かしていくみたいに眩しい。  小さなボクは、萌音ちゃんのバッグに入れてもらって夏祭りの雰囲気を楽しんでいた。  萌音ちゃんはフランクフルトを少し分けてくれる。本当は人間の食べるものは塩分が強いから与えないようにしているらしいんだけど、お祭りだからちょっとだけだよとボクにくれる。  確かにいつも食べるキャットフードと違って何か舌につく味だ。でも決して不味くはない。人間はこういうものをいつも食べているんだなと興味も沸いた。  七夕まであと六日と迫った。  おりひめさまと、ひこぼしさまは今年も無事に天の川で再会することができるんだろうか。あまりにも同じ夢ばかり見続けるので少し不安になってくる。 「ミルク、ねえ見て。浴衣ママに買ってもらったの! ちょっと試しに着てみたんだけど、どうかな? 似合ってるかなあ?」 「ニャアア(すごく可愛いよ)」 「えー? どうしたの、ミルク。擦り寄ってるってことは似合ってるってことでいいのかなあ」 「ニャアアン(そうそう)」  姿見に映る萌音ちゃん。去年に比べてまた一段と女性らしくなっていた。  背丈もうんと伸びて、手足なんかすらりと長い。細いけれどちゃんとどこかしらに丸みを帯びている。  浴衣を着た彼女が、ボクには眩しすぎてずっと見ていられないくらいだと思った。  それはいつも一緒にいるボクだからわかること。(かいり)もボクよりは一緒にいるけれど、浬よりボクはずっとこうして萌音ちゃんと同じ部屋にいるんだ。  だからボクの方が萌音ちゃんのこと──。  ……どうしたんだ。  浬にやきもち焼いてるのか。  いや絶対に焼いているだろう、こんな気持ちになるのは。  ボクなんかよりもずっと浬の方が相応しいことくらい、初めからわかっていることなのに。  こうしてボクの気持ちが沈んでいたって、猫の表情には一切表れない。  だから誰にもこの悲しみも苦しみも分かり合ってもらえないのだ。  ボクがニャアと泣いたって、君は笑顔で受け止めるだろうから。  彼女の瞳をじいっと見つめ続けていてもそれは同じこと。  言葉を持たないボクらが深い悲しみに触れてしまった時、ただ黙って静かに受け入れるしかないのだから。  言葉も、涙を流すことも知らないボクらは、どうやってこの感情を伝えたらいいのだろうか。  どうやって君のことを好きだと伝えたらいいんだろうか。  人の言葉を理解できてしまうボクは、人と同じような感情を持ち得てしまう。  全部、吐き出せたらどれほど楽になれるんだろう。  お日様の当たらない、冷たい檻の中で過ごした時期の方が、実は何も知り得なくてよかったのかもしれない。  眠りながら、何も苦しまずに天国へ行けたらよかったのかもしれない。  成長してちょっとだけ大人になったボクの感情はとても豊かになっていて、想像もしなかったような気持ちに苛まれている。  こうして今、ボクのことを笑顔で抱きしめる君のことを、こんなにも愛おしいと思うのに。 「もうすぐ七夕だね。ミルクのお願いごとは何かな? 私のお願いごとはね、やっぱり浬くんとのことかなあ。浬くんと両想いになれますようにって。でもみんながみんな流れ星に向かって願いごとばかりしたら叶うわけないよね。織姫様も彦星様も困っちゃうもん。だから私、今年の願いごとはやめる。その代わりにね、二人が天の川で無事に出会えますようにって願ってあげることにする」 「ニャアアア(ああ、萌音ちゃん!)」    精一杯の気持ちを込めて声を上げ、腕に抱かれるまま彼女の頬をペロリと舐めた。  君は嬉しそうに頬ずりをしてくる。何度も何度も。  どんな時でも君は優しい。  だから好きになった。  決めた。  君のために願いごとをするよ。  だから大丈夫、安心していて。
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