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4 神様との幸せな時間
翌日、陽の光で目を覚ました愛衣は、自分が眠っていた事実に驚きを隠せなかった。自分の頬を両手で包み、三ヶ月ぶりの睡眠と寝覚めの心地良さに感動していると、間宮はまた慈しむような眼差しを向けていた。
ヒュプノス(眠りの神の意)の名前は伊達ではないかもしれない、愛衣はそう痛感した。間宮の優しい瞳に見つめられると、まるで神様の寵愛を受けているような気分になってしまう。
『困ってる愛衣ちゃんを助けられるなら、人を眠くしてしまう欠点も悪くはないかもね』
そう少し寂しそうに、穏やかな言葉を呟く間宮に、愛衣は胸がキュッと締め付けられるようだった。自分はこうやって過ごす事で安眠を得られるが、間宮が自分とソフレを続けるメリットは?
考えても答えが出ず、愛衣が眉根を下げていると間宮はそれを目敏く見つける。
『ふふ、確かに年の近い恋人じゃ、手に余るかもしれない』
間宮はそういうと、愛衣に部屋の合鍵を渡した。
『いつでも好きな時に来て良いよ。…そうだなぁ、私は食事を外で済ませる事が多かったから、食事を作ってくれると助かるな』
少し調子を外したように言う間宮の言葉に、また愛衣の気持ちは救われた。
愛衣が考えている事を汲み取って、先に条件を提示してくれる。
一回り近く年が離れているとこんなにも大人なのか。同い年の元彼としか付き合ってなかった愛衣にはそんな所も魅力的に映った。
けれどあくまでソフレの契約なのを思い出し、頭を振る。受け取った合鍵は失くさないよう、大きめのキーホルダーをつけて鞄に仕舞った。
◇◇◇
あの日から数日、仕事を終えて…現在、愛衣は近所のスーパーにいた。
近所といっても自分の家の近所ではなく、間宮のマンションの近くの、であった。
特売品になっている長葱を見つめながら、愛衣はぼんやりと考えていた。
何となく足がこちらに向いてしまった。いつでも来ていいと言われ、合鍵を預かったはいいが…ソフレとはどれぐらいの頻度で会うものなのだろうか。
やはり自分の部屋では一睡も出来なくて、身体は間宮と寝たいと言っている。
このまま食材を買って間宮の元へ行っていいものか。
レジを終えても迷ったままの愛衣は、スーパーを出てすぐ、人にぶつかってしまった。長身のその人は店に入ろうとしていたらしい。愛衣が慌てて「すみません」と言って顔を上げると、そこに居たのは先程まで考えていた間宮本人であった。間宮も驚いた表情をしていて、「愛衣ちゃんの家ってこの辺だった?」と口にしている。
視線は愛衣の買った食材に向いて、一人分にはやや多く見える食材達に間宮も察したようであった。自然な動作で愛衣の荷物を持つと、「帰る場所が同じ相手がいるのっていいものだね」と言って歩き出す。
慌てて愛衣が追って「買い物、いいんですか?」と尋ねると、間宮は薄く笑って「愛衣ちゃんが来てくれたから、必要なくなったよ」と言う。
同じマンションへと帰り、間宮が「ただいま」と言ったのを聞いて、愛衣は「お邪魔します」と言った。それに間宮が何か言いたそうな表情をしたが、軽く溜息を吐いて言葉を飲み込んだ。
愛衣は首を傾げたが、そのまま買ってきた食材で長葱と醤油ソースで作った和風オムライスと豚汁を作った。
食事を作りながら、愛衣は間宮とスーパーで鉢合わせた違和感を理解した。
間宮の前妻がいつ部屋を出たのか分からないが、調味料の多さや冷蔵庫に保存されている野菜の鮮度を見る限り…間違いなく間宮は料理をしている。
それもかなり、出来る人だろう。愛衣には何に使うのか分からない香辛料が棚に多く並んでいた。
それでも自分の平凡な料理を嬉しそうに頬張ってくれる間宮に、愛衣は笑顔を向ける。笑っている愛衣に、間宮も見守る様に微笑む。
恐らく、幸せってこんな時間のこと。
お互い、多くは語らない。必要なのは言葉よりも互いの熱なのだろうと愛衣は感じていた。
その夜も、ただじゃれるようなスキンシップだけをして…抱き合って眠った。
愛衣にとって間宮の熱と匂いと眼差しは、薬を捨てさせるぐらいの効果があった。
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