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部屋を出て少し歩き、彼らから聞こえないところまで来ると、烈は息を長く吐き出した。そのままトイレとは逆の方向へ歩き出し、中庭の見える書斎へお邪魔してふすまを閉めた。
話をしている最中、烈は蒼矢と目を合わせることができなかった。話も半分くらいしか頭に入って来ず、表情もぎこちなくなっていたように思う。
どうしても視線が、蒼矢の胸元に注がれてしまった。あの時見えた赤い痣の映像が、烈の脳裏に強く焼きついていた。
あの痣を思い出すと、色んな感情が湧きあがってくる。
蒼矢を犯した[侵略者]への、怒り。
そうさせてしまった自分の手落ちへの、悔しさ。
そして…一瞬でも彼を失いそうになった事実への、恐怖。
葉月にはフォローされたが、自分がついていれば、もしくは無理にでも学校へ行かせなければ、こうならなかったかもしれない。…そう考えずにはいられなかった。何よりも、昨日…寝過ごして、朝通学する蒼矢をつかまえられなかったことには殊更後悔し、強く自分を責め続けていた。
「…烈」
「!!」
ふいに後ろから小さく声をかけられる。
いつの間にか室内に蒼矢が入ってきていた。烈は後ろを振り返れない。
蒼矢はふすまを元通り閉め、烈へ歩み寄った。
「様子がおかしかったから…気になって」
「蒼矢…っ …悪い」
「…? 何が?」
「だからっ…その」
烈は振り返り、蒼矢へ視線を合わす。が、すぐに視線が…蒼矢の顔のすぐ下あたりに逸れていく。
「…悪い」
「…!」
烈の視線を追っていた蒼矢はすぐに察し、首筋に手を当てた。
…見られてたんだ。
葉月はおおむね把握しているだろうにしても、助け出した影斗をはじめ他のセイバーが、どこからどこまで自分の身体を見ているか、知りようもなかった。願わくば、何も見ていないで欲しいと思っていたが…
烈はうつむいたまま、言葉を絞り出す。
「…俺、お前にどんな顔していいか、とか…、なんて声掛ければいいのかとか、わからなくなっちまって…」
「烈…」
「…ふざけんなって話だよな! 辛いのはお前の方なのに…」
「……」
やっぱり目を合わせられない烈の苦しそうな表情を、蒼矢はぼんやりと眺めていた。
"辛い"という言葉が自分の中に素直に入っていき、記憶の隅に押し隠していた一昨日のことが頭に駆け巡る。でも、それを拒絶する感情は噴き出してこなかった。代わりに、背後から烈が寄り添っているような感覚が、外側から記憶の上に注がれていった。
「あーっ、くそっ!」
「!?」
突然、烈は両手で自分の両頬を力強く引っぱたいた。良い音が鳴り、少し呆けていた蒼矢の肩がビクッと上がる。
烈はその蒼矢の両肩を掴まえた。
「…情けなくてごめん。でも、本当に怖かったんだ。…陽と変わんねーな」
少し笑うと、そのまま引き寄せ、手を背中に回した。
「…っ、烈…」
腕に力が込められ、蒼矢は背中の痛みに少し声をあげたが、すぐに彼の身体が微かに震えていることに気付く。
葉月の気遣い、陽の涙、影斗の叱責。そして…今目の前で、自分への思いを身体全体でさらけ出してくる、幼馴染。
――お前の敵は、俺たちの敵でもあるんだからな――
…なんとなく今やっと、昨日の影斗の言葉をきちんと理解できた気がした。
「……」
蒼矢はそのまま身を任せて目を閉じ、烈の大きな背中に手を伸ばすと、優しくさすった。
ふすま越しに、影斗は二人の会話を聞いていた。
静かにその場を離れ、何事も無かったように居間へ向かう。
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