第六話 百瀬海洋

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第六話 百瀬海洋

自然学舎もあと十数日後になったある日の体育の授業のこと。 僕ら1年は40人クラスが6クラスあって、A・B組、C・D組、E・F組で男女別に合同授業をしていた。 この日の男子の体育はサッカーで、準備体操はいつも僕が余ってしまい、僕は一人で済ませた。体育は百瀬海洋(ももせかいよう)先生という結構な高齢の先生が受け持っていたから、先生と僕では組めなかった。厳しい雰囲気の先生だけど白髪で日に焼けていてシワが濃く、歳のせいなのかとても小柄で痩せていて、見た感じではもう70歳くらいにも思えたし、実際先生自身は授業でもほとんど指示をするだけで、体を動かすのは大変そうだった。 けど、 「コラそこぉ!手ェ抜いて走るなぁ!連帯責任で腕立て50回だ!」 なんて怒鳴っているのを見ると、まだまだ元気らしい。 先生は生徒たちに愛称で“モモ爺”と呼ばれていた。 教室では僕のことで陰口を言ったりする人たちも、百瀬(ももせ)先生の授業では大人しかった。 初めての授業の時、準備体操で同じ神奈(かんな)小出身の高橋(たかはし)くんに僕なんかと組みたくないって言われて、百瀬(ももせ)先生の雷が落ちた。高橋(たかはし)くんは先生に怒られたくはなかったんだろうけどそれよりも僕と組む方が嫌だったらしく半泣きで抗議して、その様子を見て先生は僕を一人で体操させることに決めた。 みんなの前であそこまで拒絶されるのはかなり悲しかったけど、慣れっこだったので先生が素直に僕を一人にさせてくれてほっとした。 小学校の頃の先生はなんとか僕をクラスの輪に入れようとして、3人グループの中に僕を混ぜていたけど、結果はほぼ無意味だった。結局他の2人は僕を無視するし、またある時は先生の見えないところで殴られたり酷く扱われたりしたから、一人の方がよっぽど気楽で良かった。その辺、この百瀬(ももせ)先生という人は空気を読むのに長けていて、ルールを乱さず僕も授業の端で参加できるようにしてくれた。真ん中や輪に入れようとせず、あくまで端でひっそりと授業ができるように。自然な流れでボール拾いや準備などに使ってくれたし、無理にみんなと一緒にさせなかった。常に緊張はあったけど、危惧していたほど酷いことは起きなくて、少し安心していた。 既にこれまでの授業でサッカーの基本的な動きは習ってきたので、今日は初めて試合をすることになった。 そして問題はここで起きた。 審判は先生がして、僕は一応片方のチームに入れてもらえたけど、試合が始まって早々何故か僕にボールが回ってきて、驚いたけどとにかく誰かにパスしなきゃと思ったらいつの間にか囲まれていた。思わず動きを止めた瞬間、四方八方から蹴りが飛んできて吹っ飛ばされ、やむなく退場。みんなから蹴られた足はすごく痛いし、吹っ飛ばされたとき腕で体を庇ったから地面に擦れて血が出てしまった。 百瀬(ももせ)先生は他の先生みたいに問題の原因の僕を疎むようなことはせず、丁寧に傷を見て保健室に行くように言ってくれたけど、僕は自分で出来るからとグラウンド横の水道で腕を洗った。 グラウンドの方で先生がみんなを叱っている声が聞こえて、みんなには悪いけど少し嬉しくなった。仕事として割り切っているだけだとしても、僕の存在を疎まないで他のクラスメイトと一緒に見てくれる先生が担任以外にもいると思うと、それだけで心が軽くなった気がした。 百瀬(ももせ)先生は多分、入学してから今までの授業を見て一度試しに僕を普通にみんなに混ぜて授業をしてみたんだと思う。この分だと失敗だったと結論したんだろうけれど、やはり先生も僕のことを哀れに思っていたんだろう。同じ歳の子供たちの中にいながらも、まったく相入れない孤独で罪な僕のいう人間が、誰とも話さず戯れずひたすら気配を消してそれでもそこにいるということが、先生からしたらとても奇異に見えたのかもしれない。 なんとか砂を洗い流してタオルで軽く拭き、ガーゼを巻いた。もともと鈍臭くて昔からよく怪我をしたし、こういう時のために救急道具は持ち歩いていた。それでも忘れることも多いし、いつもじゃないけど、今日は運が良かった。昔から保健室の先生でも人に会うのが怖くて、自分で手当てすることを覚えた。 遠くで試合をするみんなをグラウンド横の階段から眺めた。よく晴れていて陽射しは暑くなってきたけど、風はとても涼しかった。 百瀬(ももせ)先生はクラスを受け持ってはいなかったけれど、若い頃は担任として子供たちを指導したんだろうなと思う。学校のどの先生よりも的確で子供に寄り添った判断ができる、良い先生だ。僕は祖父母に会ったことがないけれど、こんなお爺ちゃんがいたら嬉しいかもしれないなんて想像してみる。 普段からこんな風に思うわけじゃないけど、そんなことを考えるくらいには授業から抜けて暇だったし、寂しかった。先生は僕を特別扱いせずに、あくまで自然に角が立たないよう他の子と同じように接して、さりげなく輪から外してくれる。 ただそれだけ。他にはなにもないし何にもなりようがないと分かっていても、寂しいという気持ちは小さくはならなかった。 百瀬(ももせ)先生みたいな人もいるけど、大半の人々から疎まれるのに、なんで僕は学校に通わなくちゃいけないんだろう。そんなことを考えて、気がついたらチャイムが鳴っていた。
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