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第二話 双子の兄
「戒ーー!バスケやろうぜ!」
中庭を通るとき、双子の兄の名前を聞いて振り向いた。渡り廊下のある中庭は煉瓦造りの赤い敷地で、緑もある。その真ん中だけ土のバスケのコートがあり、そこで隣のクラスの奴らがたむろしている中に戒を見つけた。
「良いぜ…おい、なに見てんだよ。」
戒は僕の視線に気づいたらしく、怖い顔で睨んでくる。怖い顔というよりも、顔は笑ってるけど殺してやると言わんばかりの目をしていて、咄嗟にそらした。
「って、お前超極悪なツラしてんぜ戒。」
「抑えろ抑えろ、女子にもてねーぞ。」
「あ"あ"?」
面白がってなだめる仲間に、戒は凄んだ。仲間は怯んだが、ご機嫌とりをしてなんとか戒の怒りを増長させないように努めたようだった。僕のことは忘れて、そのままバスケを始める戒のグループ。
取り残された僕は、俊敏な動きで仲間たちを翻弄する戒を悲しい気持ちでしばらく見つめて、その場を後にした。
戒は5分違いで先に産まれた双子の兄だ。
二卵性だったから僕らはあまり似なかったけど、小学校の低学年までは普通の兄弟のように仲が良かった。近所の大人たちは僕を疎んで見かけるたびに顔をしかめたり遠巻きにされていたけど、僕には家族が、誰より戒がいてくれたからあまり気にしたことはなかった。
休み時間になるたびに合流して、虫取りしたり遊具で遊んだり、グラウンドの隅にあるビオトープで遊んだりした。時々は僕に合わせて図書室に行ってくれたりと、戒は優しい面もちゃんとあった。
「なぁ啓、この次何する?」
小学2年の夏休み前、砂場で2人で遊んでいた。砂のトンネルを作って向こう側に手を通したりスコップを車に見立てて走らせたりと、一頻り砂だらけになって遊び終わった時だった。
「ねぇ、あの子たちだっけ?本当は産まれちゃいけなかったっていう…」
「どちらかというと、弟の方だけでしょ?双子だったから兄の方はギリセーフなのよ。」
「じゃああの大人しそうな方が…」
「おいっ!」
ブランコの方で遊んでいた高学年の女の子たちがヒソヒソと僕らの話をしていたところに、戒が鼻息荒く声を上げた。女の子たちは罰が悪そうにしながらも、嫌な目つきでこちらを横目に見ながら去っていった。
「あんな奴ら、気にすんなよ啓。お前は大人しいから、一人になるとああいう奴に何も言えないだろ。どっか行くときは絶対オレのこと呼べよ!」
「うん。ごめんね…」
「へへ、啓が謝るようなことじゃないだろ。」
「うん。ありがとう、戒。」
「おうよ!」
戒はそう言って、太陽みたいに笑ってくれた。あの後、2人でビオトープに行って飽きるまでおたまじゃくしや小魚を探して遊んだ。
いつも、言い返せない僕を噂話や陰口から守ってくれた。虐められそうになると必ず助けに来てくれる、双子なのに、年上のお兄ちゃんみたいに頼もしくて強くて、戒は僕のヒーローだった。
クラスはいつも別だったし、戒がいつから変わってしまったのか、はっきりとはわからない。
朝、一緒に登校してくれなくなり、教室にもきてくれなくなった。休み時間に探してみても教室にも図書室にもいない。家に帰ってもいなくて、でもお風呂に入って寝る頃にはすでに部屋にいたり。
理由を聞いても、
「お前には関係ない。」
と言って教えてくれなかった。
戒は大体いつも、砂だらけだったり水に濡れていたり、葉っぱだらけだったりした。怪我をしたようには見えなかったから、友達と遊んでいるのかと初めは思っていたけど、それなら別に隠すようなことでもないし帰りが遅いのも気になった。何よりいつも一緒にいた戒が構ってくれなくなって、寂しかった。
「ねえ、もしかして、何か僕のせいで喧嘩してるの?」
そんな状態がしばらく続いて、一度だけ、どうしても気がかりで聞いたことがある。4年生の冬だった。
その日、戒は顔や手を真っ赤にして帰ってきた。その年の冬は寒波で、特別寒くて雪もよく降った。はしゃいで雪遊びしてもおかしくないけど、戒の手は霜焼けだらけで、指の関節の皮が裂けているところもあり、さすがに心配で黙っていられなくなった。
それまでも薄々感じてはいた。遊んだというにはあまりに乱れた姿で帰ってくる双子の兄が、僕に何も教えてくれないことを。だから、聞いた。
でも戒は、
「お前には関係ないって言ってるだろ!んなこと聞く暇があったら、勉強でもしてろ!」
と…それまで聞いたこともないくらい大きな声で怒鳴った。今にも殴られそうで恐くて、尻餅をついた僕は戒の部屋から走って逃げてしまった。
それからだ。戒が学校のみんなの前で僕を虐めるようになったのは。
それどころか、虐められていると逆にそのいじめっ子と選手交代して僕を虐めるようになった。
髪を引っ張ったり突き飛ばしたり便所に顔を突っ込もうとしたり。大抵仲間たちとお喋りをしながらのものだったので、実際に突っ込まれたことはない。なんだかんだで別のことに興味が移ったのか、放り出されることが多かった。
廊下ですれ違うと持っている教科書を取られてばら撒かれたり、明るくて頼もしく思っていたあの瞳で蔑むように見下ろされたり睨まれたり。
つらかった。変わってしまった戒が恐かった。悲しくて、戒が隣にいてくれないことが寂しくて、あの頃は毎日泣いていた。またあの頃のように、仲が良かった頃に戻りたいと思った。
けど、一つだけ悪くないこともあった。戒が率先して僕を虐めるようになったからか、いじめっ子たちはみんな戒のグループになって、僕を直接虐める奴はいなくなった。大抵みんな戒の後ろで面白がったり眺めていたりで、手を出すのはもっぱら戒だったのだ。だから、いつどこでいじめっ子が潜んでいるか四六時中怯えることはなくなった。戒のグループは近づけば声や集団ですぐにわかるから。
ちなみに、先生たちは虐めを止めたりなんかしなかった。多分、僕が本当は存在してはいけないはずの4番目の子どもだからだろう。罪人同然の、法律上認められない人間を擁護する人なんていない。ただそれだけ。中学で今回担任になった先生は、多分僕の存在にとても迷惑をしているだろう。僕だって、教師だったら僕のような生徒はお断りだって思うから。
戒はもう、僕のことを嫌いだから、僕の面倒を見るのが嫌だから離れていったのだろうとは思う。けれどやっぱり、あの頃に戻りたいとどうしても考えてしまう。けどどうすれば良いのか、今の僕にはわからない。時々見かけるたびに目で追ってしまうのもやめられない。僕を見る時、戒の瞳はとても冷たい色をするけれど、仲間との会話で笑っている時の戒は、あの頃の明るくて頼もしい太陽のような顔なんだ。みんなもきっと、そんな戒が大好きだから、集まるんだろうと思う。
でも、そこに僕は行かない。そもそも僕は存在すること自体が認められない人間なんだ。僕がいない方がきっと、教室の雰囲気も良くなるし、家族も穏やかでいられるだろう。戒も、余計なお荷物を気にかける必要もなくなる。
中学では、なるべく戒のグループの視界に入らないように努めようと決めていた。透明人間になって空気のように過ごせば、いじめっ子もわざわざ絡んでこなくなるに違いない。他の小学校出身の子たちには、あまり悪い噂が立たないように祈るしかないけど…出来るだけ始めのうちから存在を消そう。
そう決意を新たにして、中庭に響く笑い声を背に下駄箱の上靴に手をかけた。
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